ラベル ラオス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ラオス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年7月12日月曜日

センシ パラディーゾ!(朝飯前の、パラダイス)

 今、ラオスの首都、ヴィエンチャンにいる。まだ朝早い。
 メコン川のすぐそばにいる。今朝、宿の前の、大きな水瓶の中に、蓮の花が、花開こうとしていたのに気ががついた。蓮の花は、朝になると開き、夕暮れになると閉じてしまう。花の蕾が、今、まさに開こうとしていた。
 水瓶には、金魚が数匹すんでいた。浮き上がってきた金魚の頭を、そっとなでてあげると、口をあけて、指先をなめようとしている。こんなことは初めてだ。こっちの波動に違和感がなかったのではないだろうか? 金魚も、朝だし、機嫌もよかったのではないだろうか?

 そのうち、蓮の花は、次第に開花しようとしていた。花弁は白く、中心の黄色い部分が微笑んでいる。指のほうは、なんと数匹の金魚が、私の指をしゃぶっている。指先になんともいえない心地よさが伝わってくる。コミュニュケーションが始まった。
 小鳥が鳴いている。近所の人たちや、同宿のフランス人たちが声をかけてくれる。”サバイ・ディー”。宿の兄ちゃんが、自転車でどこかに行こうとしている。車が宿の前をゆっくり動いていく。何事もない。ただ、水瓶のそばに腰掛けている。蓮の花は完全に開花し、黄色い中心部分も、笑っている。
 いろいろな音が聞こえてくる。目を閉じ、存在を感じると、さらに多くの物事、微妙なものが現れてくる。香りも漂ってくる。バゲット(パン)を焼く香ばしい香りだ。さまざまな出来事が思考の流れとなって、流れているのを感じることができる。思考はすべて、外からやってきたもの、本来自分のものではない。集めたり、集まったり、お客さんのようなものだ。それを眺めている静寂さだけが、自分本来のもののように感じる。思考の流れは、外からの頂き物だが、その静寂さは、人やほかからもらったものではない。もって生まれた、素の自分そのもののようである。

 その静寂さゆえに、外の世界も、内なる世界も、潤って、調和の取れたものとなってくるようである。自分の思考の流れを、ただ黙ってみていることを、それを観照というが、それを楽しむことができると、うれしくもあり、楽し くもある。それがサイレント・ジョイである。
 人が何かものを考えているとき、中心は頭になる。普段よく使っている。思考は生きていくうえで、重要な働きをする。なくてはならない。といって、それ以外のものを拒否したり、やめてしまうと、生のバランスはおかしくなってしまう。これは個人についても、社会や世界全体についてもいえることなのだ。感じることすら、考えるようになってしまうこともある。何事も解決しない。

 思考に同化してしまうのではなく、思考を感じるようにすると、焦点は変わり、別世界にワープすることができる。すると中心は頭ではなく、ハート(胸の中心)に移っている。考えている時は、中心は頭になり、何らかの結論に向かおうとする。だが、深く感じようとするとき、頭なしになる。存在の中心はハートになる。
 美とは、ハートの感覚であって、頭で量れるようなものではない。それは観念でも、思い込みでも、数学でもない。そして ハートの感覚は頭の働きとは違って、すでに結論に達している。美は蓮の花や金魚や周囲の出来事にあるのではなく、自分のハート と、周囲の出来事、蓮の花、金魚、人々との出会いの中で生じてくるのであろう。一見、何事もない世界が、この上ないもののように感じられる。無論出入りは自由だし、あなた次第だ。

 さて、朝飯にしようか? バゲット(パン)と、カフェ・ラオ(ラオスコーヒー)だ。

2007年5月7日月曜日

薬草スティーム・サウナ

 ラオスには、“薬草スチーム・サウナ”というのがある。ヴィエンチャンには、既に何軒かはあるが、ビエンチャンだけではなく,旅行者が訪れる町や村にも出来て来たそうだ。最近は、ラオスへ行く度に,“薬草スチーム・サウナ”は楽しみになってしまった。


 朝、行くと、“未だ始まっていないよ,昼からだよ。”と言われるが、お茶でも呼ばれながら、のんびり待っている内に、釜に火が入り、少しずつ薬草の、何とも言えぬ“渋みのある芳香”が,辺りに浸透し始める。良い香りである。何か,効きそうな気がしてくる。
大雑把に割られた廃材が、ぱちぱちいいながら、火はメラメラと良く燃え上がってくる。そのうち,ゴーッという火炎の咆哮が聴こえる様になってくる。火の勢いが、佳境に入って来たのだ。

 無論、日本にいて想像する様な,近代的な、ハイテクのサウナではない。もっと原始的で,だが、中々風情のあるサウナだ。チベット族やアメリカ・インディアンのスウェット・ロッジの様なものだ。実際には,サウナそのものは小さな小屋となっているが、体を、備え付けの小さなプールの水で洗ったり、火照った体を冷やしてノンビリするには、野外という事もあって、それなりの楽しみも大きい様な気がする。アルコールはさすがにないが,お茶やジュースや缶コーヒー、アイスクリームなら頂ける。勿論、テレビも雑誌も映画も何も無い。BGMにタイやラオスやアメリカン・ポップスが、程よい音量で流れている。これでいいんだよ。

 子供の頃,良く風呂を焚いていた事を思い出す。
風呂炊きは,私の得意技の一つで、新聞紙、そして細い枝から、だんだんと太い廃材に火を移行させる。風の通りを下から上へと上手く配慮して、空気の流れを煙突に向けて流してやると,火は良く燃え上がって、安定してくる。
道理と言うか、コツが判ると,ますます面白くなってくる。
子供ながらに,自分は、火をおこす“名人”だと自負していた。
庭の掃除も最後には,落ち葉を集めて焚き火にする。
芋や栗を焚き火に放り込んで待っているのも中々の楽しみであった。
今では中々出来なくなってしまったが、それは、子供の頃の楽しみであった。

 火入れが順調に進み始めると、置き火を利用して、昼ご飯の支度が同時進行している。この店の、従業員の食亊らしい。スープと焼き魚のようだ。
 小一時間もすると、地元のラオスの人,タイやフランスの人を始めとする旅行者達,日本人も含めて、三々五々と集まってくる。美容にいいのだろうか,女性客の方が多い事もある。サウナのロッジは二つあって、男女、別々だが、中庭は,共通のスペースとなっている。
タオルを、胸や腰に巻いてのことだが、まあ、混浴に近い。

 “もういいよー”と声がかかる。
 既に,ロッジの中は、熱い、薬草の蒸気でムンムンになっている。
明かりが無いので,ドアを開けた時,外の明るさをたよりに,自分の居場所を、確かめておく。
入って暫くするうちに、だんだんと眼が慣れてくる。
 所謂,北欧式のサウナというよりは,薬草と蒸気を使った”蒸し風呂“である。
深呼吸すると,薬草効果が,体中の隅々まで浸透する。
初めて入った時,“これはいいなー”と思った。肺や内蔵の隅々まで薬草効果が浸透する。
体の中の老廃物が,どんどん溢れる様に出てくる。水銀なんかも溜まっているかもねえ。

 5分か,10分も入っていると,全身が飽和状態にまでなってくる。外に出て,水をかぶり,一服すると,人心地がついてくる。それを、5回から10回も繰り返すと,出来上がり、となる。後は,マンゴー・シェイクでも頂き、軽く食事して,寝るだけ。

 その所為だけでもないだろうが,タイやラオスの人は,暑い昼過ぎから,夕方まで寝ている事が多い。地中海沿岸に似ているね。午前中と,夕方から活動が始まるのだ。

2007年4月25日水曜日

何となく,コスミック(朝のヴィエンチャン)

 夜汽車は,朝の5時にノンカイ(タイ、国境の街)に着き、次いで、7時半発のタイとラオスの国境をつなぐ国際バスを待ち、メコン川を越えて、イミグレーションを通過し、ヴィエンチャンの街に着いたのが,8時半頃。夜汽車の窓から見えた、“黄金色の三日月と無数の星の輝き”の印象が,未だ、心に残像を落としている。

“名月や 星数限りなく 空は闇”

 いつもの事ながら、一国の首都としては,きれいな空気。車の往来も少なく、道幅も広く、街を歩くのが楽しい。気温は、30度を切っていた。涼しい!

 ここは,ラオスの首都、ガーデン・シティー、ビエンチャン。あちこちに緑が多く,南国の花が咲き競っている。何度も来ている所為か,土地勘もつき、街を歩くのが楽しい。ラオス語も少し覚えた。文字は異なるが、タイ語に近い。ヒンドウー語とネパール語の違いくらいのようだ。尤も、人々は、タイのテレビ放送を見ているので、問題はなさそうである。
 ここは,寛ぎの都。時間にゆとりがあれば,誰もが寛いでいる。しかも美人の郷としても知られている。知り合いもふえてきた。特別,何があるという事はないが、風情のある、居心地の良い街である。初めて来たのは、もう7〜8年前の事になるだろうか? メコンに橋(第1友好橋)が架かったときだった。嘗ては、“100万頭の象の国”と呼ばれた、タイの様な“王国”だったのだ。それが戦争で、全人口も500万になってしまった。

 だが、少しずつ、街はきれいに、そして確実に進化している。それでも,未だに、嘗てのヒマラヤの街や,チェンマイやチェンライの郊外や田園地帯の風情がある。なんと心地よい事か! それは,本来の自分に戻してくれるかのようだ。だが、それは“本来の自己”であって,まがい物のエゴ(自我)ではない、という事が唯一の条件だ。旅の途中で,虚偽を決める事もないだろうに…
 人は、その人自身にしかなれない。鷲がカラスにはなれず、蓮は蘭にはなれない。その逆も又真なり。他に道はない。他の道は,他の人の為のもの。だが,中には,自分以外の誰かになろうとしている。その事に同化しようとしたり,思考に悩まされる。それは留まる事を知らない。それは途轍もない、遠回りとなり,堂々巡りとなり、貴重な時間も無駄になってしまう。

 思考というものの性質に気付いた事があるだろうか? 思考、それは,一つの極端しか見る事がない。だから,小さい事,部分的な事、思考で起きた問題には役に立つ。だが,真実は二つの極を含んでいる。表層意識と深層意識、意識と無意識、昼と夜、陰と陽、静と動、存在と無。有と無、シヴァとシャクティー。東洋の伝統として、その両者を二重写しにして見る事の出来る人、意識の目覚めている人、ブッダとかシッダとか呼ばれる人が、この上なく、大切にされて来た。

 リアリティー、その事について、思考はその全体像を見る事は出来ない、という特徴がある。リアリティーには二つある。仏教では、二つの真実と言う。即ち、実在性、例えば心、そして、事実性、ものがものである事、この二つであって、ヒンドウー、仏教、イスラーム、タオ、全てが認めている。両者が一つとなって、生を成り立たせている。

 だが、思考自身には,それを見抜く事が出来ない。事の真のありようを見抜く事が出来ない。それは“いいとかわるい”という事ではなく,思考の持つ性質の事だ。

 一方、生は、両極性の融合の中に存在する。例えて言えば、丁度、メコン川のように、タイと言う岸辺と、ラオスの岸辺との間を流れるのだ。素直に、両極を同時に見て、理解しない限り,何を見ても,半分になり,そして、もし、その半分を全体としてしまったとしたら,観念、概念の幻覚世界に陥ってしまうのは、当然の事となる。そんな事があちこちで起こっている。頭でっかちになってしまっている証拠でもある。
 今日は,日本の詩や賢人を中心に話を進めていこう。

“ながむれば 我が心さへはてもなく 行へも知らぬ月の蔭かな”(式子内親王)

 この歌人の意識は、ものごと自体に、それほど焦点を合わせていない。遠いところを、静かに“眺めて”いる。詩的情緒的表現であるが、この焦点をぼかした視線の彼方に,何か越えたもの、無限性を感じてしまう。

 井筒俊彦氏の“意識と本質”という書籍を参考にさせて頂くと、“本居宣長”の言うところの、“もののあはれ”、“ものの心“とは、二つの正反対の次元で成立している、という事である。一方だけでその価値観は成り立たない。物事を、概念的、観念的、抽象的に見るのではなく、又、普遍的な認識を排除して、“直に触れる事で“、成り立ってくる。それは”生きた現実“でなくてはならないのだ。言葉で説明すると、どうしても遠回しでややこしいが、ここに日本的な、宇宙観の基本があるように思う。それは、在る意味で、東洋的な、仏教やタントラ、タオ的な価値観でもあると思う。

 そのことが,深く理解できれば,“生命の河”は流れ始める。何の滞りもない。それが自然、無為自然という事なのだ。“ものの心”を、知った事になる。その人は、“心ある人”と呼ばれる。

 只、理解力、耳の光があれば良い。人は生き生きとしてくる。喜びに満ちあふれてくる。なんとも、不思議な事だ。“妙”とは、言語を絶している。

 どうも、最近の我々の日常的世界は、この“肝心要の理解”を省略して、既に出来上がった、物質的見地による地平に、そして、表層意識という狭い部分に、観念的に押し込まれて来ている、ように思えてならない。効率や能率“だけ”が,有効であるかのようになってしまう。生が感じられないのだ。
 昔のジャズの名曲に,“スイングしなけりゃ,意味が無い”という曲があった。効率や能率も必要かもしれないが、生きてなければ,意味が無い。

 例えば,自分の使っている物,ペンでも、眼鏡でも、自転車でも、車でも,愛着が湧けば,そのものの存在は,只の“木石”ではなくなってくる。
石でさえ、光り輝くのだ。それは、意味を持ち始めるという事である。どんなものでも、金銭には替えられない何かになってくる事さえある。それは、“妙”の一端を知った事になる。誰しもが知っている筈の事である。“物の心”を知る、とはそういう事でもある。

“常に無欲、以てその妙を知る” “常に有欲、以てその徼(今日、言語的に分類されたハッキリした輪郭を持つ世界、即ち、ものに執着する心)を知る”

 “老子”の言葉であるが。どうも、その大切な、前半の部分を忘れてしまったのではないだろうか? 両方なければならないのに… それは相互依存に在る両極なのだ。どちらか、片方だけでは、何も始まらない。“隻手の音声”となってしまう。あなたは、本当に生きた事があるだろうか? 子供の頃は、どうだった。

 メコン川にそった宿(ラオ・サコーン・ゲストハウス)に部屋を取り、まずは朝食に出かけよう。マンゴー・シェイクで落ち着き、カフェ・ラオとフランスパンでの朝食。夕べ、汽車の窓から見えた、“黄金色の三日月”が心に残っていた所為もあるが、どの名の通り、“クロワッサン ドール”(黄金のクロワッサン、三日月)という、行きつけのフレンチ系の、カフェ・ベーカリー。
 相変わらず,タイ人、ラオの人、そしてフランス人のお客が多い。美味しいからだ。一人や二人の顔見知りもいる。人心地がついたところで,一眠りしたくなった。汽車の長旅に疲れたんだろうね。実際、夢ではなかったのだが、夜汽車の夢の続きとして見れたらいいな。

 目が覚めたら、夕方だった。もう6時を回っている。外に出てみると、真っ赤になった夕日はまさに沈もうとしていて、西の空は茜色。何時見ても美しい! 不思議な事に、この茜色という天然の色は、空の蒼さ、水の色、森の緑と同様に、見ていても、決して飽きる事はない。不思議だねえ。そして,三日月は、昨晩より一寸成長して,南の空に,今夕は白く輝いている。

“茜空 月は南に 日は西に”

と言った,案配。
 さすがに未だ昼間の暑さの名残が残っていて、少し暑い。だが木陰に入ると、そよ風が涼しい。もう少しすれば、もっと気持ちよい。涼しさに誘われて、一休禅師の和歌を思い出してしまった。私のフェイバリットである。

“二つなき ものとなりえて 一もなし 墨絵の風の さても涼しき”

 寒いのはごめんだが、涼しさというのは素晴らしい。引っ越してきたくなってしまう。ビエンチャンはいいところだ。“コプチャイ・ライ・ライ!”(ありがとう)
 タイの国境の町、ノンカイまでは,バスに乗ればすぐだし、それで、様々な、不便さも解消できる。

 それはともかくとして、何よりも静かで落ち着いているのがいい。今は、今を楽しもう。良い戦争というものは、嘗て一度もなかったし、又、悪い平和というのも存在した事がない。今は、ゆっくり,寛げるのが何よりだ。
 メコン川で、子供と一緒になって泳ぐのもいい。何であれ、川でも海でも、水の傍というのは良い。空気そのものが良い。オゾンが一杯ある。
 明日は、一寸、郊外に足を伸ばして、象に乗って、ジャングルや水辺をトレッキングしてみたくなった。最近では珍しいことだ。これは夢の名残からのメッセージかもしれない。

 このところ、運動不足が気になっていたからね。体も心も喜ばせないと… 命の洗濯だ。たまには、羽根を伸ばそう。

 ヨーソロー!(宜しく候)

2007年3月2日金曜日

残照のメコン(古代織りを訪ねて…)

 暫く来ないうちに首都は少しずつ形ができつつあるように見えた。元の形は知らないが,それ以上の町になろうとしているのは明白だ。初めて来てから,もう何年になるのだろうか。フレンドシップ橋がメコンを挟んで出来て、タイとラオスとの交流が容易になった頃の事だった。もっとも,その時は、橋はできていても通関の建物が未完成で,船で渡ったことを覚えている。

 国会や政府の建物がきれいに配列しているように見える。町もきれいになった。新たに寺院も建設中であった。今、ヴィエンチャンは前に進みだした。人々の表情も明るい。これは、何よりだ。昔のままの仏塔(ストウーパ)に雑草が生え、妙に郷愁をそそる。以前以上に、気に入ってしまった。

“春来たりて.草、自ずと緑し(あおし)”

 ここは,ラオスの首都、ビエンチャン。今回は、ラオスの「古代織り」を中心に話を進めてみよう。

 私は,以前から,ネパール、インド、チベット、ブータン、タイやラオスの古代織りに興味があった。質感、デザイン、染め、織り方に文化が反映しているからだ。その状況にあると,物事がスムースに動き始め,なかなか良い視点を得られるからだ。この副産物は大きい。

 ラオスと言えば、サムヌア織りと言われるほど、近年、世界的にその知名度は上がってきている。今では、タイや欧米のコレクターが増えてきた。趣味としても,上品だ。本来のアンティックな古いものは、当然、値がはるが、最近はまた昔の織物が復活してきた様子である。近代化に向かうラオスではあっても、古式の織物の民族衣装を着る女性は増えているという面白い現象が今起こっている。新しい時代に向けて、伝統は重要だし,力になると思うのだが,ノスタルジーの行き過ぎは一種の病気と言ってもいいかもしれない。それは逆に力を奪ってしまうのだ。新しいものと伝統の素晴らしいものとを自然に、上手く融合させる事、そして多様性が好ましい。それはどこの国にも当てはまると思う。

 世の中は大きく変動し、変貌しようとしている。今や、それは、どこの国にも当てはまる。アルビン・トフラーによれば、アメリカでは,すでに脱工業化社会が予測されている。環境問題が懸念されての事だろうが,それだけでもないらしい。様々な要素が,姿形を決めて行く。レット・イット・ビー!
 悲観論も生じたが、全体としては,世界は少しずつ良くなっているといわれる。特に電子テクノロジーの進化は素晴らしい。私たちは,嘗てないほど、たくさんの知識、知恵、ものの豊かさや、ものでない豊かさを、知っている。

 老子に依れば

“名無しは天地の始めにして,有名は万物の母”

という。形のない事,ものでない事,無に気づくことは、天地の始め,創造性という意味である。
 有名とは,名があるという事は、形がある事、もの,物質を意味する。これは生活の繁栄を意味している。その両者が出会うとき、世界は新生する,という意味である。シヴァ・シャクティーである。

 物質の世界だけでなく,どこの世界にも、ものでない事,非金銭的な豊かさがあり,宗教や文化の基盤でもあり、それは生命の生きる喜びに至る。欧米でさえ,既に、無、その豊かさに気づいたのだ。そこの所が、今、一番大事だ。金銭的、物質的な事と,非金銭的、非物質的な事、その両者が出会うとき,新たな豊かさが現れる形が出来つつあるのだ。
 ラオスはべトナム同様に、想像以上に変貌した。長い戦火の歴史の後、今の平和がやってきた。そして今や豊かさはアジアに集中して移動しつつあり、その広大な宇宙空間から,新たな豊かさが生じてくるというヴィジョンが現れてきた。面白そうだ。

 ラオスは新しければ何でもいい、といった国ではない。合理性だけにとらわれる国でもない。べトナムのように急いでもいない。ただ、ラオスの人々は、例え国家等なくても,生きて行く事が出来る大地のしたたかさと知恵がある。地球現住民ならではの生命力、そして粘り強い静かなヴァイタリティー、宗教と文化,伝統の力があるからだ。ガッツがある。
といって古いもの、伝統的なものなら何でもいい、という訳でもない。
只、古いものの中には、恒常性、エヴァーグリーンと言われるものも少なくない。古い伝統的なもので、未だに新しさ、新鮮さを失わないものも多いのだ。良いものは残るのだ。

 古代織りの巻きスカートやショールを身にまとった人が,インターネットカフェに出入りしたり、携帯電話を駆使して,小型のバイクで走り回っている。
アジアの人は,柔軟だね。尤も、それは本来どこの国にも当てはまることかもしれない。

 嘗ては,“百万頭の象の国”。そして今ではラオスの総人口は,550万人。ビエンチャンの街を歩いていても、ラオスはモンゴロイド系では一番と言われるほどの美人の国。そして、元来、ラオスの人々は、アフリカ人にも言えるが、アジア人、日本人同様に、着飾ることが好きなお洒落な民族なのだ。このことが,生全体を豊かにしている。
 さすがに、ラオスの美人たちは、シンと呼ばれる民族衣装の長い巻きスカートやショールを見事に着こなしている。ミニスカートや短パンなどより,ジーンズなどより,ずっと色っぽい。黒、紺、藍、緑、紫といった地色をベースに、粋な柄やハイセンスの幾何学模様が、ここでは、独特のヴィエンチャン・スタイルを創りだしている。それがラオスの誇りでもあり,喜びである事が素晴らしい。学童たちも,柄は地味だが,女生徒は、制服の、足首までの長めの巻きスカートをはいている。

 ビエンチャン・エリア独特のものの他にも、65以上(一説によると68の部族)とも言われる少数民族の多いラオスには様々な伝統やデザインがある。まさにインドや中国と並ぶモザイク国家である。このことが、文化的にも極彩色を放っているのだ。有名なところで、まず、ラオ族、アカ族、カムー族、ブータイ族、モン族、ヤオ族、タイダム族,ランテン族… これらの部族が、お互いの文化、宗教、生活を認め合いつつ共存共栄しているのが今のラオスである。宇宙的なヴァラエティーに富んでいて、見ても聞いても感じても飽きることはない。
最近になって,織物のラオスが復活してきたのだ。この事は象徴的で,他の産業にも、良い影響を与えるのだ。

 幾何学的な、菱形を多く使った極彩色の織物には目を見張ってしまう。ものによっては、フレームに入れて曼荼羅として使ってもいい。これは私が既に実験済みである。部屋のアクセントとしても、上品なパワーをそれとなく醸し出す。寛ぎや集中力を生み出すのだ。テーブルクロス、クッションにも、良い柄を使えば、部屋が一段と素敵になる。

 染料にも虫を使ったもの、木の実や草やフルーツ、独特の工夫が凝らされていて、絹、綿、麻の繊維を染め上げている。伝統の古色と呼ばれる、粋な色合いを出そうと苦心しているようである。その辺りは、日本の草木染めと変わらない。
 織物の装飾方法も、色々あって、日本の織物とも比べてみて、アジア共通のものやセンスが見られることであろう。部分的に色糸を使い、縫い取る方法、浮き技法,つずれ織り技法、そして機織り機にも独自のものがある。

 ラオスの各民族は、それぞれ固有の創造神話、宗教観、世界観を持っており、ヴァラエティーに富んだ、どこにも負けない、文化的に高度な自由さを持っている。その事だけを見ても,ラオスは豊かな国なのだ。まずは、百聞は一見にしかず、言葉は必要ないだろう。

“ Seeing is believing.”


*仏塔の写真は、タートダム(黒塔)と呼ばれ、アメリカ大使館のすぐそばに在る。言い伝えによると、昔、タイ(当時のシャム)が攻めて来た時、ヴィエンチャンを守った龍(ナーガ)がすんでいると言われる。力を感じるストウーパだ。

 夕日の写真はメコンの夕日。対岸はタイのノンカイ。たまたま、二つの太陽が現れた。幸運だった。

2007年3月1日木曜日

美味しいもの6(ビエンチャンの食事)

 ここに来るのは、三度目位になるのかな。ここはラオスの首都、ヴィエンチャン。相変わらず、首都であっても、静けさと穏やかさに包まれている。もしかすると,世界で最も静かな首都かもしれない。

 メインストリートは道幅も広く、緑が多いのがいい。あちこちに,南国ならではの花が咲き乱れている。人々もゆったりと動き,歩き,“苦楽一如”のごとく、ごく自然に、それぞれが楽しんでいるように見える。
 人が自然からはなれれば、心は、頑になってしまう。頑(かたくな)とは、不自然なことなのだ。生きている間は、よく生きたいと思う。そう思うと、自然以上に大切なものはないように思う。特に、多くの人が居住し働く、大きな街なればなおさらのこと。

 心が曇ったら、青い空、輝く星、太陽や月を観る。緑や花、水の流れを観る。人も自然の一部、全てはかかわり合っている。心はやがて晴れ渡ってくる。
 町をゆったりと散歩しているうちに,まるで、翼もないのに,宙を飛んでいるかの如く、足なくして,歩くかの如く,そして,無心で考えるが如く……。
さすれば、体も心も軽い。
無心で動いている。ラオスの空は高く、そよ風は千金の値にも感じてしまう。あちこち,歩いたり,店をのぞいたり,顔見知りにあったり、ちょっと市場でスナックをつまんだり… たわいもないことが,実に楽しい。

 一番自然で、身直なものと言えば、呼吸と水、熟睡、そして食事。とにかく、これらの自然がなくては、何者も生きては行けないが、とりわけ、食事は人生の楽しみである。只,健康上は、腹八分目、七分目ぐらいでおさえ、少々、空腹感がよく出てくるようにした方が,健康上も具合がいいようである。それゆえ、逆説的だが、食べることをとても大事にしている。

 ラオスには、美味しいものがある。タイやヴェトナムの料理に近いものもあるのは、隣国である以上、当然かもしれない。
日が沈む頃になると、満月を国のシンボルにしている首都は、活気を帯びてくる。
ビールと食事の時間だからだ。

 それでは、まず、ラーブから始めようか。
 ラーブはひき肉とスパイシーな野菜、レモングラス、パクチといった香草を使ったラオスを代表する料理だ。タイにもパットガパオという,バジル、パクチ、ニンニク、しょうが、唐辛子とひき肉を炒めたうまい料理がある。それを飯にかけて,ぶっかけ飯にして食べる。
それに似ているが,味はもうひと味マイルドで、デリケートだ。タイ風に言えば、“パットガパオ・ライト”ってところだろうか。

 ひき肉の他に,魚や生の肉も使われる。カオニャオ(餅米)と,たっぷりの生野菜、そしてラーブ、ひき肉料理を一緒にして食べる。手でつまんで食べてもいい。
 ライムをしぼるのは当然だ。アジア料理は,気候のせいもあるが、スパイスが利いている。そして,生野菜をたくさん食べるのが特徴だ。それと,餅米を良く食べる。それがここの生活に合うようだ。しかも健康的で,力もある。

 一寸,スパイシーで乙な味がする。そしていつか病みつきになってしまう。カレーとは一寸違う旨味があって、日本でも流行りそう。
メコン川近くの、「ナーン・カンバン」という店が美味かった。

 次は、麺類。
「チャンタ」という日本レストランとゲストハウスをやっている店が美味しかった。
麺もスープも絶妙な味付け。ここは日本人経営なので、さっぱりとした味付けにこくがあって微妙に美味しい。
 麺は米の麺、ビーフンなので、タイのセンミー・ナーム、ヴェトナムのフォーにちかい。
昔の、ロックバンドの名前ではないが、「フー」という。ヴェトナムの影響がある事は,名称からも伺い知る事が出来る。
 鶏ガラの美味い出汁を使ったスープに、野菜と、鶏肉、血合いをゼラチンで固めたものがトッピングされている。もちろん、ライム付きだ。刻みネギやパクチ,もやしもたっぷりついてくる。
血あいに関しては好きずきもあろうが、いやなら、入れないで作ってもらえばいい。只、栄養価はたっぷりだ。
日本人経営の店なので、いろいろ注文に応じてくれる。

 「チャンタ」は以前紹介した,コーヒーのうまい“カフェ・インドシーヌ”の近くの並びに在る(前記事「カフェ・インドシーヌ」参照)。カフェ・インドシーヌには、未だに入り口の古代のナーガ(龍)の木彫は相変わらずであった。そして,新たにヴェトナム料理も始めたようだった。
今回は、カフェ・ラオとバゲットをいただいた。
「チャンタ」は昼時には、よく行った店である。値段も80円ほどで,安いのが嬉しい。

 味がさっぱりしているので、スナック代わりや、朝や昼に食べてもいい。
一般に,インドシナ半島では,人々は一度にたくさん食べない。これも経験に基づいた伝統であろうか、それゆえ,量はそれほど多くはない。タイでは,一日に,5〜6回も食べる人もいる。一度の量が少ないからだ。その辺りが、私も気に入っている。一度にたくさん食べるよりは,体に無理がないのだろう。
 パクチ(香菜)の代わりに、ネギ、三つ葉、みょうがなどを使ったとしても,日本では、鳥のだしがここまでは美味くないような気がする。アジアは鶏肉が美味い。こんな美味いラーメン、日本では食べられないかもしれない。それほど美味い。

 他にも、ソーセージ、ビンカイ(焼き鳥)、辛い魚のスープ、トムヤム、ラオス風のチャーハンや焼きそば、あんかけ麺(ラートナー)やあんかけ丼(ラオ風中華丼)、生春巻き、ヴァラエティーに富んだサラダ、ソムタム、野菜や肉を煮込んだもの、まだ食べた事はないが,ラオ風のみその料理もあると聞く。
フランスパンのバゲットは、どの店も本当に美味い。朝はこれと、カフェ・ラオが美味い。
タイでもおなじみの、かき氷とみつ豆をあわせたもの、餅米やフルーツのお菓子、甘いものにも事欠かない。アジアは美味い。


オーヴァー(無線用語で、どうぞ、という意味)。

2007年1月21日日曜日

美味しいもの5(サワンの食事)


 久しぶりのラオス。気候もよく、日差しは強いものの、暑さはそれほどでもない。当然、不快指数は殆どない。
 そして、此処は,ラオスのサワンナケート。メコンを挟んで、対岸はタイ国。通称、「サワン」。ラオの言葉では、「天国」とか「浄土」とか言う意味があるそうだ。特別何も無い、何事も無い、静かな町。だが,ゆったりと、のんびりするにはとてもいい。旅行者達もそんなつもりでやって来る。寛ぐには、素晴らしい所だ。

 ラオスは他のアジアの国々と違って,あまり屋台の飯屋が多くない。その理由は、自給自足の生活の長いラオの人々は,外食という習慣が余り無いことにもよるのだそうだ。

 今年になって、日本人に対してビザの優遇措置がとられていて、ラオスはのんびりと寛ぐには素晴らしい国だ。まだまだ、タイ等に比べれば、ずっと経済的に安く旅が出来る。そして此処にしかない大いなる寛ぎがある。

 ラオスは昔からタイとは仲が良い。言葉も近いものがあるが、ラオの文化はタイと共通するような料理も多く,川魚、肉、野菜はふんだんに取れる。味も,いい。タイのスパイシーな味と比べると、大分マイルドだ。だが、一般的に言えば、より日本人向きと言えるだろう。

 ラオス、正式名称「Lao P.D.R.」は、一時期フランスの植民地だったこともあって、フランス・パンが美味しい。
バター、ジャム、チーズ、パテ、肉や野菜を挟んだものが,あちこちの家の前でも売られている。
それは、インドシナ三国、ヴェトナム、カンボジアと同様だ。
安い値段で、旨いサンドイッチが食べられる。これは、天下一品だ。
パンのうまさは、フランス人が保証する程うまい。フランスよりも旨いという。
朝食やランチはこいつと、オムレツがあればいう事は無い。
苦みの利いた、カフェ・ラオ(ラオスコーヒー)で決まり。

 そのせいかどうかは判らないが、フランスの、旅慣れた、粋な旅行者達が多い。
イギリス人のインドと並んで、フランス人のラオスに対する想いには、何か深いものがあるようだ。
自分の国以上に愛しているかの様だ。
一寸下町に行けば、当然、フランス料理、ラオ・フレンチ料理の店が何軒かはある。
フレンチっぽいラオス料理、特に川魚の料理はいける。
フレンチフライのポテトは勿論お手の物。ワインもいけるそうだ。

 今晩の晩飯は、タイで言う所のウンセン、詰まり、細めのビーフンの料理にした。 
メコン川沿いに在る、ラオ・フレンチのレストラン。「ラオ・パリ」という店だ。
店の見てくれは良くないが,お客が一杯入っている。そして、雰囲気がいい。
まるで、モロッコのマラケシュのカフェみたいに寛いで、おしゃべりに花を咲かせている。。
夕日を見に川の近く迄やって来た所、首都ヴィエンチャンやタイから来たオーストラリア人、フランス人達や、ヴェトナムのフエから来た若者、バスで一緒になったタイ人の夫婦(奥さんはイギリス人)が旨そうに食べているのにつられてしまった。
タイ人夫婦達は、ラオスに来てまで,トム・ヤムのスープを食べている。「タイとはひと味違う、最高だ!」と言う。人気の在る、混んでいる店は、間違いなく旨いのだ。

 ビーフンと野菜と豆腐(生揚げ)の入った、ウンセン・パッタイ(焼きそば)。ラオ風の醤油味で、この料理に関しては、日本の醤油よりも旨い。おまけに、豆腐も野菜もビーフンの倍以上も、沢山入っていて、彩りも鮮やかに美味しい仕上がりであった。お腹いっぱいになる。
焼きそばにも,ライムを絞るのだが、ライムのジュースが料理に合う。
インドでもタイでも,料理にライムを絞って旨味を引き立てる。ライムはうまいね。
仕上げは、カフェ・ラオ。

 元気が蘇った所で、明日はたまには魚を食べてみようかな。
ヨーカーオ(川魚の春巻き)とカイペーン(川海苔のフライ)でも食べてみよう。
今は,食事が何よりの楽しみになっている。何処の国も旨い。

 最近、タイにいても、空芯菜炒めのぶっかけ飯とか、バジルや野菜のスープや炒め物、豆腐のカレー、豆のカレー(ダール)がやたらと美味しい。たまに,魚や鳥も食べるようにしているが、このところ、ヴェジタリアン中心だった。今、身体が要求するからなのだ。
きっと,精神疲労が少したまっているのかも知れない。
素直に、その通りにしている所為か、身体も軽く、意識もクリアになり、波動も整って、すこぶる調子が良い。
無論,イスラム料理、和食や中華も含めての話だが、アジアの飯は本当に旨い。
旅の疲労も直ぐ取れてしまう。
当たり前の話だが、ラオの食事は、此処の風土にあっている。
土地の味にはその土地ならではの知恵がある。日本だったら、和食がうまいのと同じことだ。
そして、この生活のペースとリズムがいいのだろう。

今,とてもアット・ホームだ。

身体は頭よりも賢い。

2006年1月23日月曜日

カフェ・インドシーヌ


此処はラオスのヴィエンチャン。
満月を国旗にしている国の首都である。
メコン河に程近い、柳緑花紅の美しい町並みを歩いていた。
何気ない、人々の動きの中にも、のどかさと寛ぎが滲み出している。

春風駘蕩に浸っているうちに、一寸、レトロなカフェーを見つけた。
日本の大正か昭和の始めの頃の喫茶店みたいだ。
入り口に小さなテラスがあって、なにやら古そうな木の彫刻が壁に飾ってある。
近寄って良く見ると、どうもナーガ(ラオスではナカと呼ぶそうだ)のようだ。
しかも翼があり、両翼を広げている。
少し寸詰まりで、全長はそれほどでもない。
足もまだない。

ラーメンの丼に描かれている、中国式の龍ともフィーリングもニュアンスが違う。
ご面相は、いかにも魔物らしくって魅力がある。
又、ラオス、タイ、カンボジア、はたまたインドのナーガとも一寸、ニュアンスが違う。
その木彫は、古そうで、人の目を捉える、十分な力を持っている。

店の名は、カフェ・インドシーヌと、フランス語で書かれている。
何故フランス語だときずいたかは、インドシーヌの最後の文字がaではなく、eで終わっていること。そしてこの国がかつてフランスの植民地だったこともあるからだ。
インドシーヌと言うトーンは何かエキゾチックで瑞々しい。

山岳民族が作っている、ヒルトライブコーヒーと呼ぶ、アラビカ種の豆は旨い。
隣の国タイでも、少数民族のコーヒーは人気があって、イタリア式のエスプレッソ・マシーンで入れるのが、流行している。
ラオスの場合は、カフェ・ラオと言って、いわゆるターキッシュ・コーヒー。

深入りして挽いた豆を,水から沸かすのだそうだ。
コーヒーの粉が,カップの底に沈殿するのを待って、その上澄みを飲む。
BGMは、スタン・ゲッツとチャーリー・バード。
味もいいが、後味がすっきりしているのが印象的。

ナーガについて,一寸、マインド・ジョグしてみると、仏教、ヒンドゥー世界にまたがって、存在し、頭が七つやら九つやらのものもあって、ヴィシュヌ神や仏教とも深い関わりがある、神秘の魔物である。

一説によると、ゴータマ・ブッダの出身である、シャキャ族(主にネパールに偏在している。)もナーガをトーテムとする、ナーガ族(インドのアッサム地方やナーガランドに偏在している。)の一部族であったらしい。
余談になるが、納豆は、彼等の文化らしい。

余談の延長になるが、ミャンマーやタイにいるシャン族の納豆は旨いそうだ

ナーガは元来、水の神だが、空も飛ぶ。
中南米にもいるし(ケツァコアルトル)、日本から東南アジア、インドそしてギリシャにかけては、
水のスピリット、人々に豊饒を与える神でもあったし、農民、船乗りと言わず。あらゆる人々にとっては、守護神であった。 様々な伝説に、蛇は出てくる。取り分け、創造神話には良く出てくる。
インドやムーでは、七つの頭(チャクラに対応する)を持ったナーガが有名だ。

中国に入ると、龍と呼ばれ、足も翼もついてくる。
この木彫のナカは、足はないが翼がある事から、南アジアから、中国へ伝わっていく、過渡期
の形の一つではないかと想像してしまう。

中国の龍伝説は2500年前にすでに存在していたらしいが、
それ以前の。オーストロネシア(オーストラリアには虹の蛇の伝説がある。)そして南アジア、アフリカにかけては、今とは違った交流があったのではないかと想像をたくましくする。
それとなく、文化の要の一つとして、調べてみるのも、面白い。