2007年3月2日金曜日

残照のメコン(古代織りを訪ねて…)

 暫く来ないうちに首都は少しずつ形ができつつあるように見えた。元の形は知らないが,それ以上の町になろうとしているのは明白だ。初めて来てから,もう何年になるのだろうか。フレンドシップ橋がメコンを挟んで出来て、タイとラオスとの交流が容易になった頃の事だった。もっとも,その時は、橋はできていても通関の建物が未完成で,船で渡ったことを覚えている。

 国会や政府の建物がきれいに配列しているように見える。町もきれいになった。新たに寺院も建設中であった。今、ヴィエンチャンは前に進みだした。人々の表情も明るい。これは、何よりだ。昔のままの仏塔(ストウーパ)に雑草が生え、妙に郷愁をそそる。以前以上に、気に入ってしまった。

“春来たりて.草、自ずと緑し(あおし)”

 ここは,ラオスの首都、ビエンチャン。今回は、ラオスの「古代織り」を中心に話を進めてみよう。

 私は,以前から,ネパール、インド、チベット、ブータン、タイやラオスの古代織りに興味があった。質感、デザイン、染め、織り方に文化が反映しているからだ。その状況にあると,物事がスムースに動き始め,なかなか良い視点を得られるからだ。この副産物は大きい。

 ラオスと言えば、サムヌア織りと言われるほど、近年、世界的にその知名度は上がってきている。今では、タイや欧米のコレクターが増えてきた。趣味としても,上品だ。本来のアンティックな古いものは、当然、値がはるが、最近はまた昔の織物が復活してきた様子である。近代化に向かうラオスではあっても、古式の織物の民族衣装を着る女性は増えているという面白い現象が今起こっている。新しい時代に向けて、伝統は重要だし,力になると思うのだが,ノスタルジーの行き過ぎは一種の病気と言ってもいいかもしれない。それは逆に力を奪ってしまうのだ。新しいものと伝統の素晴らしいものとを自然に、上手く融合させる事、そして多様性が好ましい。それはどこの国にも当てはまると思う。

 世の中は大きく変動し、変貌しようとしている。今や、それは、どこの国にも当てはまる。アルビン・トフラーによれば、アメリカでは,すでに脱工業化社会が予測されている。環境問題が懸念されての事だろうが,それだけでもないらしい。様々な要素が,姿形を決めて行く。レット・イット・ビー!
 悲観論も生じたが、全体としては,世界は少しずつ良くなっているといわれる。特に電子テクノロジーの進化は素晴らしい。私たちは,嘗てないほど、たくさんの知識、知恵、ものの豊かさや、ものでない豊かさを、知っている。

 老子に依れば

“名無しは天地の始めにして,有名は万物の母”

という。形のない事,ものでない事,無に気づくことは、天地の始め,創造性という意味である。
 有名とは,名があるという事は、形がある事、もの,物質を意味する。これは生活の繁栄を意味している。その両者が出会うとき、世界は新生する,という意味である。シヴァ・シャクティーである。

 物質の世界だけでなく,どこの世界にも、ものでない事,非金銭的な豊かさがあり,宗教や文化の基盤でもあり、それは生命の生きる喜びに至る。欧米でさえ,既に、無、その豊かさに気づいたのだ。そこの所が、今、一番大事だ。金銭的、物質的な事と,非金銭的、非物質的な事、その両者が出会うとき,新たな豊かさが現れる形が出来つつあるのだ。
 ラオスはべトナム同様に、想像以上に変貌した。長い戦火の歴史の後、今の平和がやってきた。そして今や豊かさはアジアに集中して移動しつつあり、その広大な宇宙空間から,新たな豊かさが生じてくるというヴィジョンが現れてきた。面白そうだ。

 ラオスは新しければ何でもいい、といった国ではない。合理性だけにとらわれる国でもない。べトナムのように急いでもいない。ただ、ラオスの人々は、例え国家等なくても,生きて行く事が出来る大地のしたたかさと知恵がある。地球現住民ならではの生命力、そして粘り強い静かなヴァイタリティー、宗教と文化,伝統の力があるからだ。ガッツがある。
といって古いもの、伝統的なものなら何でもいい、という訳でもない。
只、古いものの中には、恒常性、エヴァーグリーンと言われるものも少なくない。古い伝統的なもので、未だに新しさ、新鮮さを失わないものも多いのだ。良いものは残るのだ。

 古代織りの巻きスカートやショールを身にまとった人が,インターネットカフェに出入りしたり、携帯電話を駆使して,小型のバイクで走り回っている。
アジアの人は,柔軟だね。尤も、それは本来どこの国にも当てはまることかもしれない。

 嘗ては,“百万頭の象の国”。そして今ではラオスの総人口は,550万人。ビエンチャンの街を歩いていても、ラオスはモンゴロイド系では一番と言われるほどの美人の国。そして、元来、ラオスの人々は、アフリカ人にも言えるが、アジア人、日本人同様に、着飾ることが好きなお洒落な民族なのだ。このことが,生全体を豊かにしている。
 さすがに、ラオスの美人たちは、シンと呼ばれる民族衣装の長い巻きスカートやショールを見事に着こなしている。ミニスカートや短パンなどより,ジーンズなどより,ずっと色っぽい。黒、紺、藍、緑、紫といった地色をベースに、粋な柄やハイセンスの幾何学模様が、ここでは、独特のヴィエンチャン・スタイルを創りだしている。それがラオスの誇りでもあり,喜びである事が素晴らしい。学童たちも,柄は地味だが,女生徒は、制服の、足首までの長めの巻きスカートをはいている。

 ビエンチャン・エリア独特のものの他にも、65以上(一説によると68の部族)とも言われる少数民族の多いラオスには様々な伝統やデザインがある。まさにインドや中国と並ぶモザイク国家である。このことが、文化的にも極彩色を放っているのだ。有名なところで、まず、ラオ族、アカ族、カムー族、ブータイ族、モン族、ヤオ族、タイダム族,ランテン族… これらの部族が、お互いの文化、宗教、生活を認め合いつつ共存共栄しているのが今のラオスである。宇宙的なヴァラエティーに富んでいて、見ても聞いても感じても飽きることはない。
最近になって,織物のラオスが復活してきたのだ。この事は象徴的で,他の産業にも、良い影響を与えるのだ。

 幾何学的な、菱形を多く使った極彩色の織物には目を見張ってしまう。ものによっては、フレームに入れて曼荼羅として使ってもいい。これは私が既に実験済みである。部屋のアクセントとしても、上品なパワーをそれとなく醸し出す。寛ぎや集中力を生み出すのだ。テーブルクロス、クッションにも、良い柄を使えば、部屋が一段と素敵になる。

 染料にも虫を使ったもの、木の実や草やフルーツ、独特の工夫が凝らされていて、絹、綿、麻の繊維を染め上げている。伝統の古色と呼ばれる、粋な色合いを出そうと苦心しているようである。その辺りは、日本の草木染めと変わらない。
 織物の装飾方法も、色々あって、日本の織物とも比べてみて、アジア共通のものやセンスが見られることであろう。部分的に色糸を使い、縫い取る方法、浮き技法,つずれ織り技法、そして機織り機にも独自のものがある。

 ラオスの各民族は、それぞれ固有の創造神話、宗教観、世界観を持っており、ヴァラエティーに富んだ、どこにも負けない、文化的に高度な自由さを持っている。その事だけを見ても,ラオスは豊かな国なのだ。まずは、百聞は一見にしかず、言葉は必要ないだろう。

“ Seeing is believing.”


*仏塔の写真は、タートダム(黒塔)と呼ばれ、アメリカ大使館のすぐそばに在る。言い伝えによると、昔、タイ(当時のシャム)が攻めて来た時、ヴィエンチャンを守った龍(ナーガ)がすんでいると言われる。力を感じるストウーパだ。

 夕日の写真はメコンの夕日。対岸はタイのノンカイ。たまたま、二つの太陽が現れた。幸運だった。