2006年12月3日日曜日

卍(まんじ、万字)


 卍というと、アントニオ猪木の卍固めを思い出される方もいらっしゃるかもしれないが、源は古い。とんでもなく古い。

 「まんじ」という言葉そのものは、中国の仏教書に依れば「万」と言う字の代わりの文字、印として「万字」と書かれていたそうだ。それで、「マンジ」と発音される。中国では、卍は漢字ではなく、唯一の「漢字以外の印」とされていた。


 万は、沢山、豊富、完璧という意味にも取れる。
 卍は、仏教でも使われて入るが、紀元前は当然だが、仏教よりも古いと言われている特別な文字だ。一種のヤントラやマンダラにも見えて来る。東洋のルーン文字と言ってもいい。しかも縁起の良い文字だ。単なる「+」という印に、「枝葉」、或いは「根」が付いて力や動きが加わっているように見える。視点のモードを変えると「螺旋」にも見える。

 それは、本来、仏教のものではなかった。元々は、在る土地の地形に基づいた「吉祥」を意味するデザインである。何処に在る土地か? それは「シャンバラ」の土地にある。卍の文字の中心の二つの線が重なった部分が、チベットに在る聖山「カイラス山」の在る地点となる。そこが、古来から「天地を繋ぐ中心」とされてきた。それは今でも変わらない。これからも変わらない。カイラス山の形、四つの河の源流、そして、その相互の波動が不思議な力を感じさせるからだ。
 カイラス山を中心にして、四方に四つの河が、外向きに流れている。カイラス山の辺りが源流となっているのだ。四つの河とは、それぞれ、ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダスである。全てはアジアを代表する大河である。卍は地図がそのまま文字になった好例、しかも、象形文字としてもかなり古い。
 チベットには伝説として次のような「卍の詩」が残されている。

サトレジ河の水は冷たい。ガンジス河の水は暖かい。ブラマプトラ河の水は氷のようだ。インダス河の水は熱い。

サトレジ河の砂には金がある。ガンジス河の砂には銀がある。ブラマプトラ河の砂には猫目石(キャッツ・アイ)がある。インダス河の砂にはダイアモンドがある。

サトレジ河の水を飲むと象のように力強くなる。ガンジス河の水を飲むと孔雀のように美しくなる。ブラマプトラ河の水を飲むと馬のように逞しくなる。インダス河の水を飲むとライオンのような英雄になる。

 それでは、カイラスという言葉から始めようか。

 これは、サンスクリット語のキラ(楔)と、ヨーガなどで使う言葉にアサナ(姿勢)という言葉があるが,アサには「座」という意味があり、二つを合わせるとキラサ、「楔の座」という意味になる。キラサから後にカイラスとなったらしい。「言霊」を大事にする言葉だから、読み方が変化する事もあるのだろう。

 ヒマラヤ連山から一寸離れて、辺りを凌駕して聳え立つ、巨大なストーン・マウンテン。標高6656メートル、世界最大の、一枚岩の「シヴァ・リンガ」なのだ。ヒマラヤ最高峰ではないが、「力」に関しては,他の追従を許さない。その事は何千年も前から、誰もがしっている。

写真は、北側、黄金渓(セルシュン)から見たカイラス山の北壁(ノース・フェイス)。

 昔から、円錐形のカイラス山はヒンドウー世界のシヴァ神の玉座とされ、シヴァは深い瞑想を通し、宇宙を維持する無限の精神力を身につけたと言われている。ヒンドウーのみならず、仏教タントラにとっても大切な聖地。仏教の力の源でもある。チベット語になると、「カン・リンポチェ」(雪の聖者、ブッダ))と呼ばれる。雪は降雨量の少ないチベットでは貴重なものであったらしい。カイラス山の雪の形や姿を見て、翌年の作物の収穫予想が立てられるという。
 カイラス山は仏教では、「香酔山」とよばれ、常に妙なる音楽が聞こえて来る不思議な山とされている。チベットの人々は、今でもブッダが住んでいると考えている。その辺り一面、言語を絶する程の強力で不思議な波動が覆っている。先ず、空の色が違う。これが空か! と初めて見るような思いにとらわれる。
 空を見た事がある?  「香酔山」は、「妙なる世界」のメタファー(隠喩)である。

 又、「須弥山(シュミセン)」という呼び方も、日本には残っている。語源は「シュメール」から来ているそうだ。シュメールの山は神の山。シュメラミコトの聖山とされている。
 また、ボン教に於いては、開祖「シェンラブ・ミウォー」が、天孫降臨して降り立った所である。日本で言う所の「高天原」にあたる。ボン教では、カイラス山とマナサロワール湖【仏教に於いては「無熱脳池」と呼ばれる。サンスクリット語でマナサ、ヒンドウー語でマナス、日本やハワイではマナ(愛、真奈)というが、マナサロワールは「心の湖」を意味する】を含む一帯を「シャンシュン地方」と呼び、カイラス山を「カン・ティセ」と呼んでいるそうだ。そのボン語の本当の意味は「魂の住む山」、「ボンの山」という意味だそうである。仏教、ヒンドウー教では、そして世界一般では、この辺り一帯を、「シャンバラ」と呼ぶ。聖地の中の聖地。

 「シェンラブ・ミウォー」、ボン教のスピリチュアル・マスタ−は、紀元前1856年に生まれたとされている。今から、4000年もの昔の話、ブッダの時代よりも1300年以上も古い。チベットの木版画をみると、既に、ドージェ(ヴァジュラ、独鈷)に似た、卍の印が入ったセプター(笏、豊穣、王権の象徴)を持っている。卍は少なくとも、ブッダや仏教よりは圧倒的に古い。

 卍は仏教に取り入れられているが、ヒンドウー世界でも当然、卍は卍の形のまま使われている。卍はサンスクリット語で「スワスティカ」と呼ばれ、シヴァの息子とされている「象頭の福徳神、ガネーシュ」のシンボルにもなっている。意味は平安、吉祥、豊穣ということだ。悪い意味は一つもない。シヴァやガネーシュとなると、どれくらい古いか見当もつかない。ヒンドウー以前のバラモンの時代よりも古いのかもしれない。それに関する文献はないし、インド人にも判らない。特にインドの人は、歴史音痴と言っていい位、年代や歴史にこだわらない。日本人とは好対照だ。だから、未だに未知である。その事に問題はない。

 このように、卍は仏教、ヒンドウー、ボン教と三つのグループで使われている、共通のシンボルだ。吉祥、豊穣という意味だ。知らないものには,なんでもないが、卍の秘密を知るものに取っては、少なくともアジアの半分の人々にとっては、有り難い吉祥なる印。共通の聖地であっても問題が起きない。それも、吉祥の力なのだろうか?

 逆に考えると、卍とは魅力的な、魔法のような文字なのだ。力と平和、安定と豊穣という、一見、相反する要素が「不二」に統合されている。元々、「一つだったものが、言語や二元性の概念によって、二つ以上のものに見えて来る。」という「錯覚」が消える。過去の古い幻覚が消えて行く。実にスワスタ!(スワスタは形容詞) 背景にシャンバラという聖地があるからかもしれない。不思議な力があるからだ。シャンバラ・スワスタ!

 此処で一寸視点を変えると、卍は螺旋にもみえてくる。頭の旋毛はまるで卍。シャンバラは、「螺旋の力」の総本山みたいな所。そのエネルギーは強力無比。生命の源みたいだ。クンダリーニ・ヨーガ等、殆ど修行しなくても、脊髄さえ真っすぐで、此処まで巡礼してくれば一気に目覚めてしまうかもしれない。意識の上昇,下降も自由自在。解脱も自由。シヴァが自在天と呼ばれる理由でもある。意識の様々な展開の可能性を知る事が出来る。余計なものが落ち、自然体に成れるところだ。

 宇宙の創世神話を調べてみると、太古からあらゆる存在の根源的な状況に必ず現れてくるのが、螺旋である。変化が起こる所に、動きある所に、生きている所に螺旋はある。目に見えるものもあり、見えないものも多い。人の身体にも螺旋を見る事が出来る。人であれ、馬であれ、猫であれ、何気なく歩いているようでも、微妙に右回り、左回りを交互に繰り返す、手、足、腰、胴体の螺旋運動ではないか。呼吸そのものが、トータルで見れば、八の字状の螺旋ではないか?
 鷲が上昇気流、下降気流を読んで、上手く身体をその螺旋に預けてしまい、まるでスカイ・サーフィンの如く、楽に上昇したり、下降したり、滑空したりするのも螺旋の秘密を知っているからだ。ガルーダ(鷲を神格化したヒンドウーの神)が蛇や龍を食物にしているというのは、螺旋の知識を意味しているというメタファー(隠喩)。鷲は目に見えない気流の螺旋を感知出来るのだ。螺旋程面白いものはない。そして、シヴァは螺旋のマスタ−でもあり、創造者でもあったのだ。
 ボルトやナットの螺旋のお陰で、嘗て不可能だった強力な固定作用も、又、緩める事もできる。螺旋には様々な利用法があるのだ。糸や縄も螺旋状に撚って行く事で,糸や縄となり、布になり、ロープとなって行く。プロペラもスクリューも螺旋の動きだ。床屋さんの看板代わりにも螺旋状にぐるぐる回る仕掛けがある。ゆがみ、ずれ、ねじれ、傾き、そして動きがあらわれるその背景には、必ず螺旋の力が見いだされる。螺旋は、マクロ、ミクロを問わず、螺旋はあらゆる動きの源。生とは螺旋の事なのだ。螺旋がなければ、生はない。
 季節の移り変わり、水の循環、渦、風の循環、オゾンのメカニズム、巻貝(シャンカ)は地球誕生の証、進化の証、人の身体の中にある
DNA、ヒンドウーやムーの神話に出て来るナーガ(蛇を神格化したもの)の螺旋、ヒンドウー神話、乳海の撹拌(前記事「ダースベーダーとヴァースデーヴァ」を参照)、タオの法則、ジェイコブ(ヤコブ)のはしご、ゴッホの螺旋的絵画、ガウディーの建築、ダ・ヴィンチ・コード、ファジー、フラクタクル、宇宙の渦、銀河、星雲。数え上げるときりがない。

 螺旋の運動を二次元的に表現すると、波、螺旋との共通点は方向性がある事。波動の時代は螺旋の時代。多くの人々が、その事を実感し始めているのが現代だ。本当の秩序は螺旋からはじまる。人の身体を例にとると、実に良く出来ている。まさに健康であれば、秩序そのものである。寒くなれば、鳥肌が立ち体温を逃がさないようにするし、暑くなれば、汗を流して体温を調節する、運動すれば、心臓は速く動き、体中に不足なく血液、酸素、プラーナを送り込む。いずれ、空中から螺旋の力を取り入れる科学技術も、将来考えられるだろう。

 卍は、かつては、ナチス・ドイツも使ったシンボルだ。彼らは余りに無知で、結局、権力志向に陥って使いこなせなかったけれど… 
 そして、ネイティヴ・アメリカン、ホピ族にもスワスティカは伝わっている。
 イスラムに伝わる伝説に、天の楽園とは四つの河が出会う所とある。ヒンドウーの伝説が昔、伝わったのであろうか?

 二種類の卍がある。片方ずつ隠してから、一方だけを暫く見てみる。左側の卍には、強力な力が現れ、確りとつなぎ止める力がある。今度は、逆に左側を隠して、右側の卍を暫く見つめていると、開放感、緩和の力が生じて来る。
 陰陽二種類の力がある。 一人が卍の片方ずつを見乍ら、誰かと腕相撲をしてみる。相手になった人が、その力を体感して計る事が出来る。卍の中心からみて、時計回りは肉体的な力を強くし、左回りは精神の力、解放の力、平和の力が増すように思う。南半球では、逆の力が働き始める。両方とも、力には違いないが、質が違う。右脳と左脳の違い見たいだ。

 今では殆どが右側の、精神の力、平和、のタイプを使っているようだ。パワーのある水晶にも波動を通じて不思議な力の出方があるのだが、たかが文字、印でも変化が起きるとは、目を通して力の変化が起こるのだ。水晶を使うと,力は増加する。
 これほど似たデザインから、求心力と遠心力という陰陽、正反対の力が生じて来る。ドージェ(ヴァジラ、独鈷、金剛)と言う仏具はその力の妙を表している。摩訶不思議な「形の持つ力」である。

オーム・マニ・ペム・フム!
ボンム・シャンカール!

(前記事「形が持つ力」参照)