2006年12月4日月曜日

紅葉(こうよう)

 紅葉は美しい。秋になり、落葉前の状況だ。実りの秋の象徴にもなっている。海の幸に山の幸。それが秋だ。それは、自然の、宇宙からのメッセージ。日本だったら,春の桜と秋の紅葉は特別な季節の象徴なのだ。一寸,時期は過ぎてしまったが、今日のテーマは紅葉。


 南アジアの「燃える緑の力」、熱帯雨林のお陰で、地球の生態系はかろうじてバランスを保っているのだそうだが、ここ南の国の樹木は常緑樹。勿論、常緑樹とはいっても、黄色くなった葉を落とす。だが、紅葉のように見事な変身ではない。だから、南アジアから見ると紅葉は美しい。
 落葉樹は、チェンラーイから北に、ミャンマー、ラオスや中国の雲南に入るか、少なくとも、北上しないとお目にかかれない。緯度的には,インドのヒマチャルプラデシュ州、ネパールやブータン、雲南、チェンラーイ辺りが南限かもしれない。
 南アジアの人の夢は、この紅葉と雪とオーロラを見ることだそうだ。個人差は当然あるだろうが、夢の三大願望だそうだ。山の殆どないオーストラリアの人が山を見たいと思う事や、海を見た事がないモンゴルから来たお相撲さんが海を見たいと思うのは当然だが、南アジアの人に取っては、紅葉もその一つ。赤い花なら,南国にもいくらでもあるのにと思うのだが,紅葉は又格別なのだ。誰しもが,無い物ねだり。其れが,普通で当たり前。豊かな国程、欲も深い。多くの人が,夢を叶えてほしい。

 科学的、生物学的に言ってしまうと一寸味気ないが、紅葉(もみじ)、楓(かえで)属に特に著しい現象だそうだ。何でも、移動が出来なくなった糖分が赤色のアントシアン(色素)に変わることから起こるそうだ。自然の化学は不思議な事をする。甘味(糖分)が原因だ。もしかすると,赤い色が好きな人は,糖分を過剰に取っていたのかな? 糖分の分解がうまくいかなくなると,蓄積して肥満や病気の原因となる。それとも,赤い物が好きな人が,糖分(エネルギー源)を多く取ろうとするのかな。意外と道理かもしれない。
 何れにしても,人にとっては甘味も赤い色にも魅力があるのは、間違いない。甘味無しでは人は生きては行けない。一番のエネルギー源だからである。甘味とは,単に甘いお菓子や砂糖という訳でもない。穀物、肉、魚、酒、様々なものにも甘味は含まれる。

 実りの秋は,食欲の秋。スポーツの秋でもある。季節の旨いものが沢山ある。海の幸、山の幸。代謝能力、分解能力を高める工夫があれば、人はより長く健康でいられるのではないだろうか。甘味を少し減らし、酸味、辛み、苦み、渋みを取るようにすると、よりトータルに近くなり、バランスもよくなる。甘味しか取らない人は,必ずと言っていい程、何らかの病気に見舞われる。自律神経が先ずやられる。それと身体を使い、汗をかく事。代謝能力。これが何よりだ。無理のない程度に,身体を使おう。頭も使おう、そして心を生きれば良い。健康以上の極楽はない。それはタントラや仏教の意見だ。
 紅葉は,植物の頂点、折り返し点。頂点を極め、一年間働いた葉を落とし、全てを新たにする節目となる。生命の循環にとって、重要なアクセントとなる。

 葉が枝を離れて,つかの間の自由を得て重力に従いつつも、風をとらえては右に左に宙を舞う。やがて、乾いた音を残しながら地上に舞い降りてくる。葉は、役目を終える。そこで、新たな芽が育ち始める事が出来る。

 「踏みしめる,
枯れ葉の音に秋を聴く」

 「訪れ」という言葉の語源は,「音連れ」という事らしい。「音が何かを伴ってやって来る」、という事らしい。「音を通して、何かがやって来る」、という意味に取れる。新たな季節、新たな食感、新しい季節、実り、収穫、秋の祭り・・・・・。それらは、何かしらの音を引き連れてやって来る。枯れ葉の音、雨、風、210日、秋ならではの音がある。この事は、波動原理を「粋」に表現している。何で在れ,「美」とは人にとっては,気持ちを新たにする地点なのかもしれない。そのことが起こる状況を「美」というのかも知れない。

 腐敗や消滅は、別にネガティヴな意味ばかりでもない。其れは,リサイクル(輪廻)でもある。ものは枯れて、腐って当たり前。形あるものは,いつかは壊れて行く。身体の中では,始終、毎日、古い細胞が死に新しい細胞が生じて来る。逆に全く腐敗、消滅という事も無いと、再生、創造性が上手く働かなくなってしまう。汗をかき、垢をだすのは健康な証拠。汗も垢も出なくなると、一寸、ヤバい。

 今日は、何となく秋の気分を味わいたくて、葡萄を買ってきた。中ぐらいの粒で皮が柔らかく、インドやヨーロッパの葡萄と同じく皮ごとまるまる食べられる。種が無いのもいい。ミャンマー産らしい。冷やして食べたらものすごく甘い! 葡萄って,こんなに旨いものだったの?

 燃えるような紅葉が過ぎれば、次のステージは、春の息吹、緑の若葉が新たな始まりとなり、新たな楽しみとなる。それを待つ間が冬と言われる。そうなれば、間合い、インターバルも楽しい。

 自然は上手く出来ている。まるで螺旋の舞いのようだ。輪廻は永遠に続いて行く。

 蕪村の句を一つ。

「馬の尾に 仏性ありや 秋の風」


(前記事「宇宙はどんな味?」参照)