2006年11月5日日曜日

形が持つ力


 自然は形あるものと、形なきものとで成り立っている。

形のないものの「力」の代表は、生命である。

全ての源は、ここにある。

そして、無形であるが故に、これほど神秘的なものはない。

 生きる為には、「力」がいる。

「力」なしでは生きられない。

それは、動物でも、植物でも、人間でも変わりはない。

 力にも様々な種類がある。

男性的な力、女性的な力、生命力、螺旋の力、復元力、想像力、権力、愛の力、物理的な力、筋力、持久力、調整力、身体で感じる力、感性の力、色の力、光りの力,闇の力、直感力、心で感じる力、思考力、頭で判断する力、無心の力と名前を挙げればきりがない。

 共通しているのは、「力」そのものは目には見えない。

人は、何らかの形や行為を通して力を知る。

螺旋は力の代表的な形である。

一言で言えば,動きである。或いは,動きの軌跡を追うと,螺旋が見えて来る。生命の特徴は,動く事だ。

例え、眠っていても,身体の中では,様々な動きがある。

舞いの語源は「回る」から始まり、螺旋へと展開する。

世界が暗黒となった時、アメノウズメノミコトが舞いを舞って、世界が再び明るくなったきっかけを創り、アマテラスの出現を促した事は周知の話。

 大気の循環、海洋の循環、自然界の食物連鎖。

私達は身体という,形を持っている。

そこにはいろいろな螺旋がある。

時間の経過にある一切の物事は、螺旋状の動きに影響を受ける。

生あるものは、何れは死んで行く。

時間の要素、一年たてば、人も動物も一つ年を取る。

一年前の自分という内容も意味も変われば、外観も少しは変わる。

歴史という時間の螺旋を辿って行けば、何故歴史は繰り返すのかが判って来る。

 DNAという二重の螺旋。血管や腸の形も神経も螺旋状に展開する。

自律神経、副交感神経、といったシヴァ神に関わる事も、螺旋から生じて来る。

ヴィシュヌ神が持っている、シャンカ(巻貝)も螺旋そのものだ。

髪の毛にも旋毛という螺旋があり、指紋や耳の中のカタツムリも螺旋である。

宗教も在る意味で、螺旋を学ぶ事であると思う。

波動は螺旋状に展開する。

輪廻転生、因果応報、スピリットや魂も螺旋を通じて認識される。

螺旋を通じて、人は認識なり、光明なり、悟りを得る。

創造性は、螺旋状に展開する。

生きるという事は、螺旋を生きる事に他ならない。

 人は、無意識の内に、無形のものを使っているのだ。
空即是色、そこに,形の基本がある。だから、形が現実的であるように、無ほど現実的なものはない。

昔,人の目に見えるものは、形しか見えない状況で、無形の力、そしてゼロを発見した人、力を発見した人は本当に偉い。

全てのものは,そこから生じて来る。無は生の要である。

 総ての生き物は、状況に応じて,常に何らかの力を得ようと模索する。

それが生きるという意味でもある。

 物事が現実化すると名前を持つ。

かつて形なきものが、「形」となって現れて来る。

名前,名称も、形の中の一つの形である。

その形は、言語とよばれる。

形は無数、この世にはありとあらゆる形がある。

その背後には,無限の膨大な無が存在する。

私達は、様々な「形」に囲まれて暮らしている。

人に依っては、形あるものしか目に入らない。

だから、無形は、寛ぎやオアシスとも言われるのだ。

そこで、人はエネルギーを回復する、チャージするのだ。

これは宗教の基本でもあり,科学の基本でもある。

 真実も、虚偽も、芸術も、音楽も、絵画も,文学も、彫刻も、そして、実用性も、文明も、文化も、喜びも,悲しみも、楽しみも、無形から始まり、形を通して現れて来る。

形を上手く使えるようになると、「形は力」へと変化する。

最近の若者達の言葉の中に、「形から入る」という言葉がある。

それは、未知へと向かう時、力をまだ把握できない時、形の力を借りるという事のようだ。

それは、在る意味で、無限の力を制御する事にも繋がる。

熟練してくれば、そして無形の力を認識した時、こつが判った時、あらゆる形を自分の力に変える事ができるのだ。こつは,無を知る事のようだ。

変容、錬金術、タントラ。

これらの言葉は、同義語だ。

 形の基本として、○、△、□という形がある。

意味は深淵であるが、簡単に言うと、○はリアリティー、真如、ダルマ、空間、意識、充足感を表す。

お茶やコーヒー,ご飯でも,どういう訳か,皿を除けば,上から見れば、器は丸い。人は,そこに恍惚感,充足感を得るからなのだ。だから、茶碗を丸く造る。

四角い茶碗やコーヒーカップじゃ旨くないだろう。

○は、人を目覚めさせる。それは、無意識からの解脱をも意味している。全ての源と言っていい。

△は、エネルギーを表す。

そこから,螺旋、黄金比率(φ、ファイ)、波形(〜)、+、−、|、×、様々な動きを表す形や合成した形が生じて来る。

例えば、+と×とが合わさると、「米」という文字や、英国の国旗みたいだが、重力を表す。

日本で「米」が何故重要かという意味もそこに在る。

重力のお陰で、我々は、安心して地上に暮らす事が出来る。それは,大切な力だ。

の頂点が、上向きと下向きでは意味が少し違うが,陰なり陽なりのエネルギーを表しているのは同じである。無へ向かう力,形へ向かう力。天、或いは地に、向かう力を表している。

状況に依って,使い分ける。

又、多角形はエネルギーを通じて様々なものの融合から生じて来る。角数がふえればより円に近づいて来る。

□は、枠組み、物質性の形を表すとされる。マニフェストである。

その三つが調和しているものは、形が現れ、見た目にもバランスよく、美しいと認識される。

その事は,マンダラにも描かれている。

 たとえば、仏像で言えば、○はリアリティー、ブッダのオーラ、ダルマ、意識を表し、△はブッダの姿から感じられるエネルギー、そして、右手を地に着けた、触地印は□、大地、物質界を表している。□は形の意味をはっきりさせる力がある。全て、生は力の組み合わせで成り立っている。

大地という形に繋がり、エネルギーを流している、という姿である。

例えば、鎌倉の大仏は禅定を組んだ瞑想中の姿をしている。

瞑想的に言うと、身体の中のエネルギーを「循環」させている、という形である。

仏像は、その形に依って異なるが、それぞれ、人が生きる基本の形を象徴している「鏡」のようなものだ。

 合気道は、この原理に沿って、融合、調和させた動的な瞑想法だ。アートと言ってもいい。
相撲では、心、技、体が要と言う。お相撲さんが、勝って勝ち名乗りを受け、懸賞をもらう時、三つの神に感謝する。一番嬉しい時だ。シヴァ神が持つトリシュール(三叉の矛)にもその意味、トリニティー(三位一体性)がある。三つの異質な力が上手く調和して、熟達した内容や意味や洞察が生まれて来る。

三という数は、スピリットを内包している。

因に,零はスペース、一は神的な本質、二は英知(二つを繋げるという意味で)、四は資料を意味し、五は自然体を表すのだという。ヒンドウー的な考えだが,仏教にも、イスラムにもそれと同じ事が伝わっている。

ヒンドウーが最も古いからだ。これからは,ヒンドウー的なもの、タントラ的なものが、世界中にもっと浸透して行く事だろう。

 人々は、何千年という長い歴史の中で、シンボルを造って、使ってきた。

それは幸運を意図したもの、お守り、インスピレーション、全てのシンボルは、スピリットを鼓舞するエネルギーある波動を持っている。波動の時代としては,興味は尽きない。

様々な形から、その力は生じて来る。

数から数秘術が生じ、形から波動が生じ、無形からエネルギーが生じて来る。

色即是空、空即是色。

○と△と□はありとあらゆるものの中に見る事が出来る。

要は、焦点(フォーカス)次第だが、この世は,実に面白い。