2006年11月24日金曜日

Xと遊ぼう

 何て読む? ばつ、ばってん、エックス、カイ、キー、テン(10、十,拾)、クロス、いろいろな読み方がある。意味は違っても、世界中のほとんどの国で使われている。良くない意味もあるし、いい意味もある。今日は,Xと遊んでみよう。


 日本の言葉では「ばつ」と言う。〇Xの試験では、×は否定を意味する。肯定は○だ。試験の結果、正解なら○、誤りならXがつけられる。
 一度、離婚経験があるとバツイチと言う。嫌な言い方だね。
 Xは罰、罰点から来ている文字だ。発音は,「バツ」と言う。誤り、不可、賞罰の罰の意味もある。刑罰や罰金もそこに入る。様々な,禁止のマークにもなっている。2人のサムライが刀を交えているようにも見える。駐停車禁止のサインは確かXがデザインされている。

 一般に、日本語では、余りいい意味にはなっていない。観念的な人には、にっちもさっちもいかなくなってしまう。物事、断定したら、その時点で終わってしまう。世界が狭くなってしまう。それでは、まるで能がない。遊べないではないか。第一、精神が死んでしまう。だが、ノー・ワリーズ、日本語だけが言語ではない。

 Xは英語になると「エックス」なので,全く意味が違う。アルファベットの24番目の文字。ただ単に24番目という場合もXを使う。12進法の物差しが在る国では、12の倍数24は特別な数字なのだ。
 数学では,Xは未知数を表す。Xは未知の物事を表す。X線は、レントゲン写真に使われる。方程式でも、XとかYとか使う。
 言語に於いては,「未知の人」もXとなる。世間一般では,この「未知」を意味する事が多いようだ。 「未知」とは,魅力のある言葉だ。しかも、気付けば,人は常に未知にいる。生とは、常に未知だ。既知とは、固定化しているなにか、知識になってしまっている。物質化してしまっている。それ故、人は,未知へ,未知へと、道を切り開いて行こうとする。この世は、知に関して言えば、既知と未知とで成り立っているからだ。そして全ての既知は未知から生じ、やがて少しずつ発見されていく。
 未知が、創造性の源だ。未知から、道が開けて来る。仏教やタオ、タントラの基本姿勢も此処に在る。そして、未知がなければ、この世はとうに発狂している。時には,未知に触れてみよう。
 X-menという映画もあったし,昔、プロレスラーにもミスターXという覆面レスラーがいた。覆面レスラーの元祖であった。地図等で、特定の場所を示す時にも、Xは使われる。Xは、国旗のデザインにも使われている。幾つあるかな?

 ローマ数字では、10、拾の意味がある。イタリア語だと「ディエチ」だが,ラテン語だとどう読むのだろうか? 私の腕時計の文字盤は,ローマ数字で書かれているので,10時の所にXが書かれているのを、始終見ている。
 ギリシャ語では、Xは、カイ、又はキーと読む。ギリシャ語のアルファベットでは第22番目の文字。10という数字は,数秘学によれば、完全性を表すとされている。「10点、満点」などは、いい例だ。少なくとも、「バツ」ではない。10進法は、多くの地上の物差し,数、量を表す基準になっている。また、宇宙の「全体性」を表す事もあるそうだ。
 アメリカでは、10ドル札の事をXと書く事が在るそうだ。同じ言葉が、様々な、違った意味に使われる。
 形状から見れば,家や、或いは,複葉機、船や、モーターサイクル等の、「構造体」を補強して強化するもの、安定化する事にも見える。

 タイの伝統的な家や、伊勢神宮等には、屋根の傾きが合わさった所を延長して、Xの形をなしている。「合掌(くみて)」と言うらしい。  家を建てるのも,本式には、色々難しいことが会って、例えば、樹の根の部分が上に来るように、柱を立てるとか,決まりが在るらしい。そうすると人が住むには,居心地が良いのだそうだ。
 屋根、という言葉は、根の屋、根が上に来るようにている。根本を敬うという事でもあるようだ(前記事「根の力」参照)。
 元々は,ヒンドウー原理の、「人の構造は、逆さまの樹」という事から来ているのだと思う。また、神道などでは、神は根に宿ると言われる。「合掌(くみて)」は、一見,単なる飾りのようでも、無駄ではない。それは,スピリットを呼び込む「形」なのだ。タイに於いては,伝統的で、しかも時代を超えて、クールで、格好いい屋根の形なのだ。

 Xには,そんな隠れた創造的な意味があるのだ。それは、暗に、延長、広がり、展開力、発展性、可能性、Evolution(エヴォルーション)進化を意味している。インターネットのe-mailも、「エヴォルーション」と言う言葉のイニシアル、「E」から生まれ、其れが源となって、言葉の意味の通りに発展してきていると聞いている。

 アジアには、今、コンプレックス(Complex)という、デパートのような大型の総合ショップがやたらと増えてきたが、最後のXというものが、特徴だ。バンコク、クアラルンプール、ニューデリーと、やたらと数を増やしている。最近では,屋台のコンプレックスも出来始めているそうだ。「未知の可能性への期待感」と言っていいだろう。
 また、クロスしたビーム。それは、イメージ的には,補強というシンボルにも見えて来る。この辺りまでは,多くの人が何となく知っている。「常識」の範囲内だ。

 前に,ルーンと言う古代の北欧文字の事について書いた事がある。魔法の文字の事だ(前記事「ルーン」参照)。それに依ると、XはGebo(ゲーボ)と読み、全く意味の違う言葉になる。ルーンの特徴は、普通の文字が、「表音」、詰まり、音を表すのに対して、漢字のように音以外にも、意味やヴィジョンを持っている事だ。「表意文字」でもあるのだ。X(ゲーボ)、それは神からの贈り物、或いは,自由の贈り物、関係性という意味になる。其れは、新たな道、可能性という意味にもなる。二本の直線をクロスさせた簡単なサインだけど、意味は深い。

 悪い意味どころか,Xは吉祥(シュリ)の印になる。天のそよ風のようだ。未知への期待となる。ラクシュミ(吉祥天)が舞い降りて来る。生きる事に長けた、仏教やヒンドウー、イスラムや、シャーマニズム、古神道の人は,形にも敏感なのだ。果たして、現代人はどうだろうか?
 Xとは、よく描かれているヴィシュヌ神やラクシュミの絵にも見られるが、上下の斜め方向に四本の手が伸びた(たのした)方向なのだ。真上でも,真横でもない。そこの所が味噌だ。「ルーン」の中にも、アマテラスオオミカミと「たのし」について書いているが、その事だけでも「楽しい」。意識も,想像力も無限に広がって行く。形が持つ,豊かさなのだ。
 X(ゲーボ)、このルーンの意味は,何らかの形で,或いは,何らかのパートナーシップが近づいている、とい言う意味なのだそうだ。ギフト(贈り物)、自由、愛、恋、関係性、パートナーシップを意味するのだと言う。仕事上の場合も,プライベートな場合もあるだろう。未来を開く鍵なのかもしれない。一寸、気になる文字ではある。丁度、湧き水のようだ。希望や期待を生むからだ。
 「ばつ」の意味は御免だが、「X」なしでは、人生はつらい。第一、つまらない。Xという形には,微妙だが,大きな力があるのだ。私に取っては,Xとは○なのだ。真実は矛盾しているように見える。

 老子曰く、「真っすぐなものは,曲がって見える」

 さて、時代は既に「Xの時代」に入っている。面白くなってきた。Have a lot of fun!