2006年11月6日月曜日

ルーン


 今日は、北欧の神話をテーマにして遊ぼう。

魔法の話だ。

「オーディン」という名を聞いた事があるだろうか?

古代の北欧神話に出て来る、主神の名前だ。
現代で言うところの,所謂,シャーマン(呪術師、メディスン・マン)だ。面白い詩が残っている。

 曰く、

主神オーディンの肩にとまる、二羽のからす

見渡せるすべてを、耳に囁く

その名は 「思考」と「記憶」

夜明けとともに飛びたたせるは

世界でおこる全ての事を知らんがため

「思考」という名の鴉がもどってこぬのでは、と

オーディンいつも恐れるが

心配なのは むしろ「記憶」のほう

 伝説に依れば、オーディンは、片目を引き換えに知恵の井戸の水を飲み、そして、世界樹イグドラシルに自分を九日間も吊るした後に、「ルーン」の知恵を人類にもたらしたそうな。

「ルーン」とは、「秘密」或は「囁き」を意味するゴート語だという。それは、確かに文字ではあるが、魔法の文字だ。その文字は、全てを知る自己、潜在意識を映し出す魔法の鏡。

聞いた話だが、それは、キリスト教が1639年にそれらを破壊するまで、北欧、アイルランド、ブリテン島に、2000年以上も続いて使われていたという。

 このシャーマニック(呪術的)な魔術は、ブリテン島にヴァイキングやサクソンの侵略者によって、もたらされた。それは、産業革命が起こる頃まで続いていたという。1960年代にアメリカに伝わり、そこから世界中に広まっていった。それは、新しいタイプのディヴィネーション(占い)となった。

トールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」と言う小説や映画が、きっかけになったとも言われている。

 「ルーン」という古代のシンボルは、内なる自己、神とコミュニケートするための道具であった。その歴史は古く、新約聖書よりも古いと言われている。人々にとっては、全てを映し出す魔法の鏡、つまり潜在意識に潜む知恵との間に、橋渡しするものであった。
と言うのは、外側に現れて見える事だけが大切な事ではなく、外側は、あくまで内に深く潜んでいるものの「反映」だと言う事実があるからだ。

だが、世間一般では、反映の方だけに重きを置き、本質的な面を無視しようとする。
それはそれでいいが、反映が真理そのものでない事を知っておかないと、世間に振り回されてしまいかねない。

この事に関しては、仏教もタオもタントラもシャーマニズムも同意する。それは、個人の道だからだ。

 潜在意識は誰にでもあり、また私達が作り上げてきた、まるで幻想のような混沌とした世界から、自分たち自身を、救い出す手助けともなるのだ。一寸,ユニークだ。

 シャーマニズムの面白さは、ある特別な、世間的な次元を超えた所へと踏み込む事になる。その次元は、世間を超えているが、世間の中にも,こっち側にも、向こう側にも在る。だから、世間を否定しない事。仏教や、ヒンドウー教と同じ体質だ。それは、オーバーラップしているのだ。

 仏教を含め、タントラ、ボン教、ネイティヴな先住民の知恵、ドルイド、ゾロアスター、タイのピー信仰、古神道、それらは,所謂、シャーマニズムと呼ばれる。それは「生」を全体として見る。部分、部分は勿論誰の生にも言える事だが、生を全体として、宇宙として生きる事を通して、初めて、自分の生を見つめる事、生の意味を知る事ができる。

そこで初めて、部分部分を修正する事ができるようになって来る。そこには,年齢、性別、決まりきった教義や政治というものを超えた世界がある。即ち,洞察力、視力が生じて来る。

 生きる事は誰にとっても実に大変だが、苦や悲しみをいくらかでも減らし、喜びや楽しみが倍加する事が出来る。その事で,人はエネルギーをチャージする事ができるのだ。そうとは気付かずに、無意識の内に、シャーマニズムを体験している人は多いと思う。

 生きているものは、創造性の中にいる。個々の人間として、大きな世界に繋がっているという事は、意識しようと,無視しようと、私達の,根本的に受け継いでいる遺産(ヘリテイジ)なのだ。勿論,現代生活のプレッシャーのなかで、一時的に、その繋がる力は弱められたり、失われたりはする。だが、瞑想、夢、スピリチャルな旅を通じて、修復や復元力の回復は可能である。

 シャーマン、メディスンマン、瞑想者は、内なる視力や知恵を高める。その事が力になるからだ。それは、教えを乞うというよりは、相談するといったニュアンスの方が当たっていると思う。

 「ルーン」の文字は、古代の北欧のアルファベットであり、現代では、オラクル(神託)、魔術の文字として木片やストーン(石)、或は陶磁器や骨に彫り込まれている。「ルーン」の文字は、シンプルなライン構造なので、自然の中に偶然出来た岩や石の模様、木の枝の形、道の曲がり角、と言ったものにも、「ルーン」を見る事が出来る。森や、山、海辺で、町で、その予言の印を見つけられるかもしれない。自然に出来たオラクル(神託)には、印象の力も加わり、力があるのだ。ヒマラヤとかジャングルや砂漠での、トレッキングの途中でなど、よくオラクルに出会う事もある。

 25(24+1つのブランク・ルーン)の「ルーン」があり、もともとは、動物、感情、家庭、神について名付けられたと言われる。後になって、北欧に留まらず、ドルイド、ケルトの文化、宗教の影響も加わり、オラクル(神託)を使う時、ある種のエネルギーも「ルーン」の意味やアドヴァイスと共に現れて来る。それは、単に未来を予言するのとは一寸違う。自分の潜在意識に潜んでいる知恵への橋渡しとなる。

又、未来を決定づける要因ともなる心のあり方や、選択に注意を向けさせてくれる。オラクルの結果だけでなく、そのプロセスにも注意しよう。

 使う程に、不思議な感じがしてきて面白い。又、「易」同様に、余りに酷い「卦」や「オラクル」が入っていないのだ。そこで、不安なく、より豊かなインスピレーションが湧いてくるのだ。

 「ルーン」と過ごす時間は、何時も3〜40分から1時間くらいだが、瞑想としても楽しめる。と言うのは、当然その間中、世間的な条件づけや習慣や観念が落ちてしまう事にも「気づく」からだ。そして、その遊びの流れの中で、自由な「時空間」を手に入れている事にも「気づく」のだ。「気付き」は、瞑想のエッセンス、其れだけでも、大きな収穫なのだ。

 今日は、とっておきの乳香(アラビアの香)を焚き、ペルーの「マチュ・ピチュ」をテーマにした環境音楽のCD、「マチュ・ピチュ・インプレッションズ」をBGMにして楽しんだ。私は、三つの「ルーン」を使うのだが、幸い、オラクルは「豊穣」でとても良かったし、そのプロセスも十分に楽しんだ。

 寝る前に行うと,「オラクル」が夢に現れてくる事もある。あまり深刻にならずに、素直に遊べるともっと楽しめる。新しい世界が、もう一つ手に入る事になる。其れだけでも豊かのなって来る。精神的な。霊的なスポーツと言っていいだろう。旨くいくと、現実も、「ルーン」の影響を受けて来るから面白い。

 さて、ここで、「楽しみ」に付いて一言。
 聞いた話だが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、天磐屋戸(あまのいわと)から出てきた時、諸々の神々が「手伸して」(たのして)、喜び祝ったという事から来ているそうだ。楽と言う漢字は当て字なのだ。楽は元々、音楽に関わる事が語源と聞く。

 つまり,「手を伸ばす」という事は,空間的、時間的な意味があり、「たのしい」という事は、「未来への展望が開ける」という事なのだ。
 日本の神道も、もとを辿ればシャーマニズム(呪術、まじない、魔法)。楽しいという事は、精神が喜ぶ事なのだ。その事が、「たのしい」。それは、今も続いている!

 オーディンの別の詩の一節には、こうある。曰く。

「私は健やかになり、賢くなった
成長し、成長を楽しんだ

言葉から、言葉へと
さらに言葉へと導かれ
業(わざ)から業へと、導かれた。」 と、ある。

 素直な心の人には「ルーン」は楽しめる。副産物も中々のものだからだ。そして、良い事からは、さらに良い事が生まれて来る。