2006年11月27日月曜日

イイカー(iikaah)


 イイヨー! と、つい答えてしまいそうな言葉だが、これはアリゾナ周辺に住むナヴァホ族の言葉で、「スピリットが出入りする場所」という意味だ。彼らに依ると、病気は全て、環境、世界との不調和から生じて来る。その原因は、大地、地球を崇めず、自分の身体を崇めない事から病気は起こって来る。多くの,物質的な意味での文明国は,大抵は多少の病にかかっている。
 ナヴァホの人に依れば、根本的な、生き方が間違っているからだ。実に簡単な話だ。

 メディスンマン、メディスンウーマンは、バランスを回復させる事で、病気を取り除く為の,「呪い」(メディスン)を患者に行う。イイカーを使う。イイカーは何百種類もあると言われる。まるで、ヒンドウーのヤントラのようだ。それは、普通、砂絵(サンド・ペインティング)と呼ばれ、患者をそのデザインと一体化させる。その為の話、物語を話しながら、患者の前で砂絵を描き続けるのだ。
 絨毯にして織り込んであるものも在る。そして、ストーンや薬草、煙草で清める。スウェット・ロッジ(サウナ)も使う事があるかもしれない。
 そして,原初の次元へ一度引き戻す。純粋無垢の状態へ戻す。病気の原因は、過去の残存物だからだ。まるで,ゾクチェン(ボン教とチベットのタントラ仏教とが融合したもの)だ。それは、禊ぎだ。これは宗教というよりも、むしろ、純然たる医療行為だ。

 ゴータマ・ブッダが自らの事を、宗教家であるよりも、医師である事を主張した事とも関係がある。彼は、所謂、それまでの宗教(バラモン)に反対してきた人だ。
 それは人の意識のなかにある通路を開き、全体性を回復させる為のものだ。そして、患者を病の次元から解放する。別の次元の扉を開く。メディスンには、違いない。思うに,何れ、嘗ての宗教という形は、変化して行くかもしれないが,その為には,瞑想、医療、生活,文化、環境にもそのエッセンスが組み込まれるような時代が来てからの話である。

 自然体から観れば、元々,病気というものはない。過去の残存物が原因だ。そうとは知らずに,人々は病気を造り続ける。不調和を積み重ねて行く。若いうちは、パワーもあり、キャパシティーもあり、何とか耐えられるが、年を取り、代謝能力が落ちてくれば、当然バランスは崩れて来る。その人のネガティヴな創造物、思い込みや社会性、自分を自然から遮断して、意識の通路を遮断し、目を閉じさせてしまう。それが病。病とは,自由でない事。

 「イイカー」は、タントラのクンダリーニ・ヨーガ、インナー・マンダラと同じ考え方である。チャクラという言葉は知らなくとも、彼らは、七つのセンターを知っている。センタリングも知っている。宇宙の螺旋の力を知っている。ダルマをしっている。ブッダやシヴァという言葉は知らなくとも、その次元がリアルである事を知っている。目には見えない力を知っている。
 見かけ上、一見、対立する二つ以上のものや次元も、見えない所の何処かで繋がっているのだ。それで十分だ。実質が判れば,言葉の意味はどうでも良い。人が知ろうと知るまいと,それは実存しているからだ。

 全ては繋がっている。あなたは、イイカー?