2011年1月1日土曜日

禅問答

《その一》
 弟子が師匠に尋ねる。

”暑さ、寒さを避けるには、どうしたらよいでしょう?”

 師が答える。

”暑くもなく、寒くもないところに行ったらどうだ?”

 ”そこに行くには、どうやって行ったらいいのでしょうか?”

 ”熱くなれ、寒くなれ”

 暑さ、寒さというものを真に体験すれば、暑くもなく、寒くもないところが何処にあるか、が判るのだ。

《その二》
 中国の皇帝が、禅師に訪ねる。

 ”人が死ぬと、何処に行くのでしょうか?”

 師が答える。

 ”何故そんなことを尋ねなさる?”

 ”貴方は、禅のマスターではありませんか?”

 ”そのとおり、如何にもそうだが、まだ死んではおらぬ”

《その三》
 弟子が師匠に尋ねる。

”仏性というものは、どういうものなんでしょうか?”

 師が答える。

”朝飯が、冷めてしまうぞ”

《その四》
 弟子が師匠に尋ねる。

”自由とは、何でしょう?”

 師が答える。

”足を上げてみろ”

 弟子が、片足をあげて見せた。

”それが自由だ。もう一方のほうも上げてみろ”

 弟子が答える。

”それは、無理というものです。ひっくり返ってしまいます”
 
”それが、責任、というものだ。自由があれば、責任もついてくるのだ。どっちかだけでは、何も成り立たないのだ”

《その五》
 弟子が師に問う。

”瞑想中に、タバコを吸っても良いでしょうか?”

 師が答える。

 ”何を馬鹿なことを言っておる、とんでもない”
 
 ”それでは、タバコを吸っているときに、瞑想してもよろしいのでしょうか?”

 ”それは、結構、大いによろしい、どんどんやりなさい”

 禅という、世にも稀なる宗教は、人の願望や望みをかなえる宗教ではない。人が、すでに持っているもの、”宝”に気づかせる宗教なのだ。