2010年9月14日火曜日

跳ね馬のエピソード

 もう2週間ほど前の事になるが、お寺の境内の東屋で、気持ちよくて、ついうたた寝をしてしまった。綺麗な庭で、芝生が敷き詰めてあり、さまざまな樹が植わっている。そよ風が気持ちよい所であった。久しぶりの芝生が良かったのかもしれない。そこで夢をみた。夢といっても、過去に実際にあった記憶が、夢によみがえったということだ。今日は、その話にしよう。



 もう30年以上も昔のことになるが、イタリアに住んでいたころの話だ。イタリアのボローニャにあるモーターサイクル・メーカーの、ドウカティー社を訪れた時のことだ。ひょんなことからサーキットで、エンジン設計のチーフ、Fタリオーニさんと出会い、馬が合うというか気が合い、遊びにおいで、と言われたのだ。

 ボローニャを訪れ、工場を案内してもらい、バイクを試乗させてもらった。そのとき工場の責任者の人が”フェラーリも乗ってみますか?”と言ってくれた。寝耳に水の出来事だった。すばらしい機会を与えてくれた。フェラーリはその人個人のもので、普段、会社の通勤に使っている、と言う。駐車場に行ってみると、初秋のやわらかい日差しのもとに、何気なくとまっているグリーンの車。特徴的な、小さな、そして黄色地をベースに、跳ね馬が躍動しているマークが目に入る。それが、車体のグリーンとマッチしている。グリーンと言っても、アーメンド・グリーンとでも言ったらいいのだろうか、一寸、くすんだ、丸みのある、粋なグリーンだ。250GT Lussoという。ルッソとは、イタリア語で、ラクジュアリー、デラックスと言う意味だ。

 スーパースポーツやレーシングタイプと言うのではなく、優雅にツーリングを楽しむモデルだ。姿も、カラートーンも、実質的で、尖ったところがない。さすがフェラーリ、何気ない佇まいの内に、シルエットの美しさが際立っている。

「フェラーリ、乗ったことがありますか?」

との問いに

「コンヴァーティブルと、一寸前の、ベルリネッタ(クーペの事)に、一寸乗った事があります」

と答えた。

 ドアはロックされていたが、窓は開けっぱなし。その事を言うと、

「この土地に馴染んでいるからね、誰も特別な車とは思わないんですよ、幸いな事に」

 ふっくらしたバケットシートに腰を下ろし、丁寧なつくりのインテリアを見渡す。シートをあわせ、木製のハンドルを握っていると、落ち着いた中にも、何か刺激的。ハンドルの中央には、黄色地に跳ね馬のマーク。カヴァリーノ・ランパンテ。カヴァリーノ、それは子馬の事だ。若くて、元気がよく、生きている事が、うれしくて堪らない。その生の喜び、その美しいスピリットを表現したものだ。

 エンジンをスタートさせると、V12気筒の感動的なサウンド。ヴェルベットのような柔らかな排気音。その瞬間から世界が変わる。ゆっくりとクラッチをミートさせ、駐車場から、カントリーロードに出る。毎日の通勤に使っているとの事だったが、足回り、サスペンションもうまく馴染んでいて、エンジンもスムースに回る。ある程度回転を上げていくと独特の甘さ、甘美な波動が世界を埋め尽くす。カムに乗ってくると、背中がシートに張り付いてくる加速感。エンジンの音が変わってきて、なんともいえない、至福のゾーンに突入する。田舎道ながら、路面はよく、60km/hから100km/hくらいの、無理のないスピードで飛ばすものの、5速目には、ほとんど入れる事はなかった。車好きをうならせる、つぼどころが、いろいろとあって、奥の深さを感じる。整備も万全と思いきや、定期整備消耗品とオイル交換だけだという。パンクもしたことがないと言う。毎日乗っていて、無理をしない、そして乗り方もうまいんだね。我々から見ると、フェラーリとなると、特別なものであるのだが、実に平凡に、何気なく、車もバイクも、人生も楽しんでいるように感じた。

 さて、面白いのはこれからだ。夢に現れたのは、そのとき田舎道を走っているフェラーリ250GT ルッソなのだが、運転しているときは、当然、自分は運転席にいて、運転している訳なんだけど、夢の中では、走っているフェラーリを、やや斜め上空から見たヴィジョンが現れたのだ。運転していたのは、私なのに、上空から見ていたのは誰なんだろう? まあこの世は不思議でいっぱいだからね。

 最後に、跳ね馬のエピソードをひとつ。
 跳ね馬の起こりは、第二次大戦のイタリアの英雄で、名前は忘れてしまったが、戦闘機のりで、彼の飛行機のボディーに、跳ね馬が描かれていたそうである。そこに、ドゥカティが目をつけて、シンボルとして引き継いだと言われている。初期の、125ccのCPマシンにそれを見る事ができる。姿の美しいマシンであった。その後、タリオーニさんと、エンツォ・フェラーリさんとが、少年時代からの友人であったことから、どんな経緯かはわからないが、フェラーリのシンボルマークとなったそうである。

もう昔の話だが、楽しく充実した日々の事であった。跳ね馬のエピソードを仕上げた事もあるが、お蔭様で、元気が全身にみなぎってくる。意識が前面的になってしまう。何となく、周囲が生き生きとしてくる。良い一日になりそうだ。