2010年1月27日水曜日

桃花源の記

 日本も、暖かくなって、もうそろそろ春だ。今日は、パラダイスを見つけた、と言うお伽話である。
 心の中に、パラダイスがあるのは、何よりも素晴らしい事で、生きていることの素晴らしさを実感する大切な要素の一つと考えている。パラダイスと言うものは、死後の世界でも、天国でも、ましてや地獄でもない。自分の奥底に潜む、”異次元”のを開く扉でもあるのだ。そこから、自分と言う意識が、大きな広がりを持ってくる。古代から、伝わっている、シャーマニズムの世界である。

 今日は、桃源郷の話である。地上の理想郷、心のふるさと、と言ってても良いかもしれない。ある意味で、この現実と言う世界も、夢のようでもあり、夢も、一つの現実なのである。
人は、夢を見なくなると、或いは、現実と言う夢が失敗してしまうと、地獄に落ちたり、病にかかったりすると言われている。又、悪夢ばかり見る、様になると、気もおかしくなってしまう。如何に、文明が発達しても、なんとも生きていくのが難しいのが、人間だ。


 昔、昔、ワンス・アポンナ・タイム、
”晋”の太元年間と言うから、中国でのお話だ。
武陵と言うところに、漁業を生業としている人がいた。
あるとき、何気なく、深い渓谷に沿って、船を進ませていると、どのくらい来たのか、どの辺りにいるのか、迷ってしまった。
暫くすると、突然、あたり一面に、桃の花の咲いている林にやってきた。
河の両岸が、数百歩の幅で、桃の木以外の木はなく、芳しい草の香りが、色鮮やかにう美しく、そして、散る花びらが、入り乱れていた。
猟師は、不思議に思い、更に進んでいくと、桃の林を見極めようとしていた。
桃の林に魅せられたのだ。
桃の林は、河の源の所で終わっており、そこにひとつの山があった。
山には、洞窟があり、その中には、仄かに光がさしていた。

 船を降りて、洞窟の中にはいっていくと、始めの内は狭く、やっとhと一人が通れるほどであったのが、更に進むと、道は開け、土地は平らに広がっていた。
家は整然と並び、見事な田畑、美しい池、そして、桑や竹も生えていた・
道は、縦横に行きかい、鶏や犬の声が聞こえる。
見慣れない服装をした男女が行きかい、或いは、川で洗濯していたり、精を出して、田畑を耕している。黄ばんだ髪の老人、垂れ髪の用事も、嬉しそうにしていた。

 猟師には、嘗て見たこともない、素晴らしい風景だった。
猟師を見ると、人々は。その違った着物や姿にびっくりして、「何処からやってきたのか?」と、尋ねた。猟師は、それに詳しく答えた。
すると、直ちに家に引き入れ、酒や食事を振舞った。
こんな人が来た、と言う話が村中に広まって、集まって、外の世界の事を聞き始めた。

 彼らは、「祖先のものが、昔、戦乱を避けて、家族、村人を連れて、この人里はなれた所にやってきて、そのまま二度とここから出ず、外の世界と隔たってしまったのだ。」と言う。
そして、「今は、何と言う時代か?」と聞いた。
何と、"漢"と言う時代というものが、あった事も知らず、ましてや"魏”や”晋”は言うまでもなかった。
猟師が子と細やかに話してあげると、皆、驚きのため息をついた。
他の、村人達も、それぞれ漁師を招き、酒やご馳走でもてなした。

 数日間か、数週間、数ヶ月河定かではなかったが、漁師は暇を告げようと思った。
村人は、「ここのことは、外界の人に派、お話になるには及びません。」といった。
村の人々は、世間に知られたくはなかったのだ。

 漁師はここを出て、元の船をみつけると、あちこちに目印をつけながら、家に戻った。
都の城下に戻ると、早速、太守の所にいき、起こった事を全て話した。
太守は、部下をつけて、漁師の先導で、彼がつけた印を探しながら、道を辿ろうとした。
しかし、印は見つからず、迷ってしまい、二度と、同じ河を見つけることは出来なかった。
話を小耳に挟んだ人たちが、自分たちで探しに行ったのだが、目的を果たさぬうちに、死んでしまった。その後、行こうとするものはいなくなってしまった。

 この話は、あの有名な"桃源郷”という、パラダイスの伝説の原点もなった話とされている。陶淵明(AD365~AD427)と言う作家の、「桃花源の記」という話である。この話に、色々と枝葉がついて、様々な話に発展して言ったのだと思う。戦乱、混乱の続く時代の、"フィクション”、夢物語とも見られていたが、実際あった話としても伝わっているそうだ。

 今となっては、どちらでも良いが、やはり楽しめる話である。桃源郷は、わが国でも、甘露と長寿を祝う、桃と言う花も実も素晴らしい木、それを中心の軸として、桃の節句、三月のひな祭りとも、合体している様である。又、これも、中国から伝わった話を聞いたのだが、「上己」(じょうし)と言って、禊(みそぎ)の行事の源にもなっているそうだ。そこから、和紙でつくった、形代(かたしろ)を川に流す、と言うことが行われていたようである。流し雛の語源となり、「ひいな遊び」が結びついて、女の子の節句になっていったようである。

 黒澤明監督の、"夢”という映画、少年と桃の精たち、それに狐の嫁入りの伝説を絡ませた、昼下がりの”まどろみ”のような映画であったが、何度もDVDを見てしまった。面白かった。生きているから、夢も見られる。夢があるから、生きていこうとする。人は、いつまでたっても、少年少女なのかもしれない。

 このような、理想世界、シャングリラ、パラダイスなんて、現実にあるわけもない、と、ごく世間的、常識的に、観念的、そして小市民的に、自分に言い聞かせて、否定したがるのも一つの方法であるが、真のリアリストなら、夢も、リアルなものの一部と見るだろう。真実味のある、魂の原風景、具体的な風景描写が、心を酔わせるのだ。何か不思議な力があるのでは、と思ってしまう程、単純だが、魅力のある桃の林、河、山、洞窟。そして豊な村である。伝説や民話、童話には、人の心の奥底にまで届くような何かがある。

 記憶に橋をかけると、心によみがえってくるのは、ソ連がやってくる前のアフガニスタン、平和な時代のパキスタン、大好きだったカシミール、インドの山奥、アッサム地方、そしてネパールの奥地には、素晴らしい思い出がある。風物、風景、人々の思い出がある。まだ昔のままで残っている所も、少しはあるかもしれない。ほんの、20年位前のラオス奥地にも不思議な村があったものだ。今は開発されてしまったかもね。チベット、アフガン、ネパールのムスタン、パキスタンの奥地にはまだそんな夢の残り香画残っているかもしれない。その夢は、未だに私の中に残っていて、今も生きている事の支え、エナジーになっているようだ。又、いつか行ってみよう。

                    ハヴァ・ナイス・ドリーム