2009年10月25日日曜日

知のオデッセイ Part1

 ここは、日本の遥か西南の方角にあたる、タイ王国のタイ湾に浮かぶ、タオ島の最南端、しかもタートー・ベイと呼ばれる湾である。“タ”と言うトーンが、四つも重なって、まるで“タづくし”みたいだが、ディープなタイの中でも、殊更、”ディーパーなゾーン”と言われている所だ。ダイヴィング・スポットだから、ディープなのは当たり前だ。

 タオ島は、タイ語で、コー・タオ、”亀の島”。タオは、亀、という意味だが,中国語のタオ(道)と思ってやってくる欧米の旅行者もいる様だ。別に問題ない。タオイズムは,中国本土では,既に200年前に終わったそうだが,禅やタントラと共に、ニューエイジを生きる知恵として,欧米では,早くは20世紀初頭、特に1970年代頃から、知られた存在になっていて、知的な原理、道理として、今に繋がっている。


 “タ”という“トーン(言霊)”については、日本の言霊学に依ると,“日月星の力”、即ち”宇宙の力”を融合したものとされ、宇宙的な力、そして、暗に、“治める”、という意味があるのだそうな。宇宙的な、凄い力があるんだね。
 ”タ”というトーンは、”力の在る聖音”という事になる。サンスクリット語だが、タターガタは,“風の如く着たり,風の如く去る”、と言う意味だが、これは、ゴータマ・ブッダの事を表現しているそうだ。タタータと言うと,仏教では,”如”と訳されている様だ。あるがまま、と言った意味だ。ターラとは、リズムの事だ。太鼓のタ、タブラのタ、ともにリズムを司る。創造性、スピリット、エナジーを鼓舞するのだ。

 タン、タン、タタン、タン,タタン、タン,タン… ほらっ、ウェイカップ、ゲタップ…、ライド・オン!…

 文字に注目すれば、平仮名の「た」は、「太」の草書体が源だそうな。又、カタカナの「タ」は、「多」という文字から来ているのだという。そうか、草加、越谷、千住の先か…、なるほどね。漢字の田の字は、フィールド、地域、領域を表すのだと言う。○に十文字だと,占星術では,地球のマークだ。九州の島津家の紋所でもあるし,アメリカ・インディアンのメディスン・ホイールでもある。上に旗を重ねてあるが、イタリアのランチアという自動車の、ブランドマークにもなっている。それに、チベットのマンダラにも似ている。タイ語だと、”ターニ”という言葉がそうだ、地域、領域を表す。ウドン・ターニ,スラ・ターニ、デュシ・ターニ…

 言葉というものは、複雑で色々難しいけど、それぞれの文化が反映していて、いや、言葉、文字は、文化そのものだから、面白い。文化も、文明も、文字から起こって来たからだ。”文”と言う言葉は、重さこそ感じないが、深いのだ。言葉の果ての、その先迄、届いてしまう。

太多田たーン!

 ここは、小さな島、無論、モノが有り余っていると言う事はないし、寧ろ、何も無い島だが、自然、長閑という言葉がぴったりの、特別、何事もない島だ。ネオンも無いし,3階以上の建物も無い。台風も来ないし、珊瑚礁に囲まれているので、波も無ければ、津波もないし、地震も無い。自然のリズムに合わせて、スローに、生きていかれる。生気と調和していかれる。多大な無駄も無い。それが何よりの、ナイ・ナイ島だ。あるのは、長閑さ、自由と静けさ、それにそよ風が、何よりも素晴らしい。
 ここには、所謂、寒く、暗い冬というものがない。南国だから、当然だ。ここの季節は、“ホット、ホッター、ホッテスト”の三つで成り立っている。詰まり、常夏の島だ。最も涼しい、ホットシーズンは、10月頃から、2月頃迄。11月、12月には、よく雨が降るようになって来る。海も荒れがちになる。その代わり、一日の最高気温が30度を越すのは、少なくなって来る。涼しい。ホットがクールなんだね。
 今は10月の終わりだけど、いいね。空は真っ青だし、気温も穏やか、昼過ぎに、30度位になるのかな? 晴れた日はいい。独特の薫りがあって、チャイで酔ってしまいそう。それに海辺はいいね。ジャングルの緑が濃いのと、海からのそよ風が凄くいいから、40度を越す事は、まず無い。長く暮らしていると、ここはいい。

 三月、四月になれば、もっと暑くなり、蝉時雨が始まる。日本の、”ひぐらし”という蝉の、何か物悲しさを感じさせる、風情の在る歌声や、やたらとうるさいアブラゼミのジージーと言う合唱とは異質のコーラスだ。姿形も違う、何と言う蝉かは判らないが、シャーシャーシャーという、蝉の合唱が島中にうねり始める。様々な廳、様々なトンボ達も飛び始める。赤とんぼが沢山いる。
 古代の日本では、トンボを、”秋津”と呼び、秋の実りの収穫を象徴する、”聖なる虫”で、ヤマト以前の古(いにしえ)には、日本の国名であったそうな。害虫を食べ、五穀豊穣の守り神であった由。聖なる虫には、他にもエジプトのスカラベ(黄金虫)がいた。虫だってカミに成れるのだ。一寸の虫にも、五分の魂。

 以前、タイ本土のジャングルで、見た事も無い、オニヤンマとも銀ヤンマとも違う、割と大きな、”黄金色のトンボ”を見た事があった。ムカシトンボの生き残りなのかな? ほんの一瞬だった所為か、もっと近くで、じっくり見たかった。15cm以上もあったようだった。今度、又、タイやマレーシア、ボルネオのジャングルにでも行ったら、又、会えるかも知れない。

「長閑さや 肩に寛ぐ 赤とんぼ」

 道に沿って、家々の軒下に吊るされた、色とりどりの蘭。カカラの花。ブーゲンビリアに、蓮の花。バナナの花にハイビスカス、スパイダー・リリー、名も知れない、生命力豊かな、艶やかに咲き競う南国の花達。実際、名前等どうでも良い。花だって自分に名前があるなんて知る由もない。びっくり,下谷の高徳寺…、名前って何!

 枕(イントロ、前書き)は、この辺にして、今回はタオ(道)の話から、知のオデッセイに出かけてみよう。

 タオの面白いのは,”無い事”をテーマにして、人と宇宙の相互作用を説く、宇宙哲学になっている所だ。私が知ったのは、10代半ばの頃だった。”無の思想”として、仏教が空を基盤にしている事とも、オーヴァーラップする。禅は、インドから来た仏教と、中国のタオ(道)とが融合して出来たのをご存知だろうか?

 無が無ければ、有もない。先ずは、”無い事の豊かさ”を楽しんで見よう。さすれば,モノの世界、有る事の世界、所謂、世間も面白くなってくる。ゼロが無ければ、あらゆる数字が意味を失ってしまう。ゼロの存在があって、始めて、他の数字が生きて来るのだ。

 古代中国のタオのマスター、呂祖師曰く

”それ自ら存在するものを、タオ(道)と言う”

 タオ、或はダオ(ともいう)を一言で説明するのは難しい、森羅万象に当てはまるからだ。だが、この説明は当を得ていて、素晴らしい!

”タオは一つ。タオには,本来、名前も無ければ,形も無い”

と付け加えている。宇宙原理の様なものだ。

 心を空っぽにして、今、起こっている事に、深く気づく事だ。要は、ストーン出来ればいいのだ。先入観を持たない事、観念を持たない事、静寂、無為(余計な事をしない事)、そして”気づき”である。新しい世界に参入するには、他に道はない。無論、その事を知らなくても人は成長し、面白みや愉しみは限られてしまうが、無意識のまま生きて行ける。が、貴重な能力に欠けているという事だ。

 タオは、天地を産み、天地は万物を生み出す。だが、意のままに、掘り進んでも、タオに出会う事はない。この生み出された、万物を動かす力を、テー(徳)と言う。テーは、あらゆるものを養い、育て、形を作る。創造性だ。無論、無理矢理ではなく、自然の力だ。タオ(道)とテー(徳)は、所謂、日本語で言う所の、道徳ではない。社会道徳、法律、倫理でもない。
 無論、エナジーは、ものではない。そして、テーとは、深く根源的なものだ。それは、あらゆるものや宇宙に内在する力の事なんだ。無論、人の中にも内在する。タオが身に付けば,テーは、いずれ育ってくる。望混ざれ、されば、与えられん。
 それは大変な力なんだけど、興奮や高ぶりとは無縁である。目立たず、柔らかで、途切れのないエナジーの流れ。そして、威張ったり、支配したりはしない。だから無理がない。そのエナジーを知る事が、智慧だし、愉しみでもあるし、その力を増やす事が、幸せの源なのだろう。