少し以前に、といっても,20世紀後半の事だけど、“ジョーン・ジェット”という“姉御”のロッカーが居た。“ブラック・ハート”というグループのリーダーだ。ハーレイ・デヴィッドスンのライダー達や、“ヘルス・エンジェルス”御用立ての、人気のあったロックンローラーだ。アメリカに居たときは、あちこちで良く聞こえてきた。今でも,人気があって、アジアのカフェ辺りからなら、時々、聞こえてくる。
最近、ロッド・スチュワートも唄ってるね。当時は、“ジョーン・ジェット”や、最近では、“ZZトップ”辺りが、キーワードとなっていたくらいだ。シンプルで、乗りのいい,しかも、“クールでナスティー”(Cool’n Nasty、ハーレー乗りの用語で、粋な事、意味合いは違うが、黒人の“ファンク”に相当する)なサウンド、格好いいロックンロールだ。彼女のヒット曲の“タイトル”が、今回のブログの“タイトル”。街でも、カントリーのカフェやレストランでも、又、立ち寄ったバイク屋でも良く聞こえてきた。
アメリカの南西部は、雨が殆ど降らなく,毎日が天気が良いから、こんな歌がヒットする。と、言ってもここはカリフォルニアでもアリゾナでも、ニュー・メキシコでもない。今は、南の国、タイ国はシャム湾を望む所に居る。このところ晴天が続いている。それだけでも,気持ちはハイになって来る。
南の海は一瞬一瞬、その色合いや光の様相を変化させる。その変化の様は素晴らしい。
普段は,天気はよい。だが、勿論、時々、雨も降る。さもなければ,干上がってしまう。
南国の雨は、一寸違う。スコールと言う。
今は、6月、日本の梅雨時だが、雨のスケールが違う。
日本の梅雨の様に、女々しく、しとしとと、しぶとく、慎ましやかに、一日中、じめじめと降る訳ではない。
その代わり、降るとなったら、局地的に、短時間に、豪快に、これでもか!という具合に降る。バケツをひっくり返すどころの騒ぎではない。
ダムの水を開放したかのようだ。
これが雨ってもんだ! This is the rain!
勿論、大雨注意警報なんてものは、島では出ない。
未だ、その時期には入っていないが、時期になれば、日常的な出来事だからだ。
只、内陸に入った場合は,川が氾濫する事もある。
一度、アユタヤの近くで,大雨に出会った事があった。11月頃だっただろうか?
突風を伴って,屋根の瓦も飛んでいた.幸いバスの中だったので、大きな橋の下にバスごと避難して,一時間程、大雨と突風を避けた記憶がある。まるで、竜巻のようだった。
海の近くにいると,海について、よく考える事がある。
もう何年も、何十年も、海の近くに暮らしているにも関わらず、である。
海を見ていると,時には,表層に波が起ち,荒れる事もある。
だが、海の深みに潜って見ると,そこは別世界。全てはゆったりと、寛いでいる様に見える。
又、海の水は増加もするし,減少もする筈だ。
太陽の力で、暑くなれば、水分は上昇して雲となり,雨となって、海と言わず,山野にも、大地にも降ってくる。一方で、何千と言う川や大河が海に注ぎ込む。
海の偉大さは、その低さと、大きさに在る。何千,何万という川を受け入れる。
海は、まるで無心で,寛容な、そして巨大な、窪んだ器の様である。
嘗て、ヒマラヤの上流で騒がしく暴れていた激流も、やがては、知ってか知らずか、海を目指し、海に到達し,海と一つになってしまう。
干潮,満潮、大潮、小潮,変化は在る、にもかかわらず,いつも基本的な平均水位は変わらない。水は海や川や湖になり,地上に降り注ぎ,極地にいけば氷となり,暑ければ水蒸気となり雲や霧となる。その間,人を始めとする生物を育て上げる。
海の水の量は、一定量、同じに見えてくる。海は量的に一定であるかのようだ。
水の全体量は変わらないのであろうか? 不思議だね!
水は天地を巡る,唯一の物質だ。そこに,不思議な英知や生命力を感じてしまう。
水は形を持たず、最も柔らかな物質であるにも関わらず,岩をもうがち,火をも消す。故に,恐れを知らず、しかも賢くも,窪みを求め,低さを目指し,未知へ未知へと流れつつ,やがては海と一つになる。
上善は,水のごとし。
事実,海の側や,渓流の近くでは、人は元気になる。水なしには生命は有り得ない。
龍(ナーガ)も、其所から生まれて来た。
それ故,水の淀んだ,湖や沼には。龍は住まないと言う。ガンジスもインダスもチグリス・ユーフラテスも、ナイルも、メコンも、チャオプラヤも、龍(ナーガ)なのだ。海が、龍の古郷だ。そこで、全ては“ひとつ”になる。
そして、しかも、海は“ひとつ”しか無い。面白いねえ。
地球上の水の量は,川や湖、海、霧や雲、水蒸気,極地や高山の氷,氷河を含めても、大変なものだと思うが,無尽蔵という訳ではないと思う。
思索はこの辺にしておこう。
海辺では,障害物は殆どないし、雨がやって来たり、通りすぎていくのを、目の当たりに見る事が出来るのがいい。雨の最中は勿論の事、雨後のタケノコではないが、雨後の涼しさが格別なのだ。あっという間に,3〜4度は気温が下がる。時には,30度を切ってしまうこともある。30度を切ると,ここでは、寒いくらいだ。南国では、誰しもが待ち望む,天の恵みなのだ。
日中の気温が飽和点に達すれば,必然的に雨雲が発生する。
最初は小さかったものが,次第に,怪物の様に大きくなり,やがて、核爆発のキノコ雲の様にも見えてくる。まるでお化けの様にも見える。
朝日や夕日と重なると,これ又、豪快で美しい。
太陽の光は、色々な風に言える。まるで、無限と言える程のヴァラエティーに富んでいる。天気の良さと,大雨とが一緒になって面白い。天気雨だ。
何事も無い南国では,雨だ,天気だ、暑い,涼しいで一喜一憂する。
平和で良かった。
風がでてきた。そして、雨雲が去った後、今度は、龍が現れた。しかも降りて来る。
ところで、空を見た事があるだろうか?(By the way, Have you ever seen the sky?) これが、空ってもんだ!(This is the sky!) これが,空の蒼さってもんだ! 空は、何故蒼いんだろうか?
清く澄んだ,境界も無い、果てしのない大空。その明晰さは素晴らしい! 心の奥底、心底が澄み渡った時,空の蒼さほど感度的なものはない。この世で最も美しいもの,空。空について、考えなければ、感じる力は倍増する。空について考える程、馬鹿な事はない。試しにやってみると良い。答えが見つかるまで、10年でも20年でも,100年でも… むしろ、空に成ってしまう事だ。内なる空性,人の本性は,本来、空なのだ。これは知識としてではなく,世界中の人が体験してほしい。さすれば,世界は平和であるしかなくなって来る筈だ。
空の蒼さにつられて、つい、大地の事を忘れてしまう。だが、たまにはいい。
砂浜に横たわって,蒼い明晰さの中に入ってしまおう。
尤も砂浜は大地だったよね!
すっかり体の事を忘れた時,注意の対象が何処にもない時、初めて、意識に自由が訪れる。其所は、ブルー・ハイウェイと呼ばれる所だ!
ハイウェイと言っても、心のハイウェイの事だ。車は通れない。その時、意識はあらゆる所に存在する。
自由になったものは、至福に満ち、生を喜び、楽しむ事が出来る。本来は、日常的に楽しむ事が出来る事なのだ。それはあらゆるものを包み込み、全ては自分の中に在る。 龍がそのうち消えてしまうと,今度は、カジキの様な雲が,現れた! 変身したのかな?
とにかく、大物だ。夢ではなく,雲となって、現実に現れた。まるで、6月に,南の島で,雪が舞うかのようだ! 空も、光も、雲も踊っているみたいだ。当然、私の心も躍リ狂っている。