どう言う訳か,島が好きであちこちの島を旅してきた。
何故好きなのかは,自分でもはっきりとは言えない。何か漠然とした、しかし人の想像や空想力をかき立てるなにかがある。
それは異次元感覚だ。だから常に新しい発見がある。
取り分け、初めていく島には,そんな未知の魅力があるからだと思う。
其れを確かめるのも,楽しみの一つとなっている。
小学校に入って,最初に描いた絵が,南の島であった。
実際、南の島など見た事もなかったし、何故,自分の中からそんな情景が湧いて出てきたのかは解らない。
前世の記憶だったのだろうと,勝手に解釈している。
だが,1 どう言う訳か,島が好きであちこちの島を旅してきた。
何故好きなのかは,自分でもはっきりとは言えない。何か漠然とした、しかし人の想像や空想力をかき立てるなにかがある。
それは異次元感覚だ。だから常に新しい発見がある。
取り分け、初めていく島には,そんな未知の魅力があるからだと思う。
其れを確かめるのも,楽しみの一つとなっている。
小学校に入って,最初に描いた絵が,南の島であった。
実際、南の島など見た事もなかったし、何故,自分の中からそんな情景が湧いて出てきたのかは解らない。
前世の記憶だったのだろうと,勝手に解釈している。
だが,15少年漂流記、宝島、ロビンソンクルーソー、海底二万マイル、などと言う小説を、後になって読んでみると,少年にとっては、自分の宇宙を埋め尽くすほどの魅力と冒険に満ちあふれていた。そんな記憶はないだろうか?
未だに,その心がどこかに残っていて、まだまだ少年の心を失ってはいない,と自分を元気づけている。
何時までも捉えて離さないその心は,一体何処からやってきたのだろうか?
実際に,島でなくとも、本土,大陸には幾つもの少数民族が暮らしていて、それが南北アメリカ大陸や,ヒマラヤやアンデスのような高い山脈のある所でも、ジャングルでも、海辺でも、それぞれのスピリットある少数民族が,伝統的な文化を維持しつつ、他民族と共存している事に興味を覚えた。そこには,幾つもの“陸地の島”があったのだ。
誰でもご存知のように、日本でも嘗て伊賀や甲賀、根来といった忍者のグループが“結界”を作り、密かに自分達の独自性を維持しつつ,厳しい、封建時代を生き延びてきた事は誰でも良く知っている。
幸い、今日では、既にそんな時代はとうの昔に終わっているが、独自の文化的な結界のようなものは、未だに何処にも在る。
そのことが、何かとても嬉しい。
さもないと,無味乾燥な、死んだような世界に,乗っ取られてしまいそうな気がするからである。
日本列島そのものが島であるのだが,その島の中にも,幾つもの島があり、その又延長線上にも島が出来ている。これは古代から続いている伝統的な,“社会性”、或は,“宗教観”によるものか、スピリットや、“共同体意識”のなせる技なのかは、それぞれの特徴があって,一概には何とも言えないが、嬉しい事に、現実に、現代にもその精神は脈々と残っている。
ある種のスピリットと言ってもいいかもしれない。島には,人にロマンをかき立てるエッセンスがある。生命力と言ってもいいかもしれない。この世はまだまだ生きている。
島と言っても,無人島、或は、岩礁はさておき、人が住んでいる島、其れが陸の島であっても,最近は,テレビ、電話、インターネットの普及で,全く閉ざされた孤島のような島は少なくなってきた。
それでも情報過密というほどでもなく、島には島なりの何か特徴があって,押し付けがましくない程度に、訪れる人に何かを語りかけてくる。この辺りの自然にそった、自動調節的な何かが,程よさを産んでいるのかもしれない。
中庸(ゴールデン・ミーン)なのである。
沖縄周辺の島々が、伝統文化と南国の自然を融合したものになっているのは,そして,其れが未だに続いているという事は、南国ならではの豊かさと、その“島性”という特徴に依るものかもしれない。
オーストラリアが島か大陸かという問いには,何とも答えようもないが,少なくとも、日本は島国である。
日本は,地形上、海に囲まれた島であるからして,多くの人々は,その海にスピリットやロマンを求めたのは,ごく自然の事だと思う。東南アジアに日本人の村や遺跡が多いのはその為だ。嘗ての貿易商人や探検家、或は、海賊だった人たちの痕跡が残っている。
聞いた話では、日本には、6,800ほどの島があると言う。そのうち、421もの島に、人が住んでいるそうだ。
島の暮らしは、魅力のある反面、現代の文明生活に慣れ親しんだものにとっては,色々と不便な事も多い。それでも、今もって決して多くはないが、島に住みたがる人は後を絶たない。島にしかない何かがあるからだ。
島から海の沖の方へ出てみると,海は深くなる。
この深さは、場所に依っては、とても深い。
日本海溝等は、底なしのように深くなる。
最も高いヒマラヤの山々でさえ,深い海溝に楽に収まってしまう。どんな高い山も海の深さには敵わない。
逆に,島は,辺り一帯の海の中に出来上がった山にも見えてくる。島はその頂(いただき)にあたることになる。
それが、たった海抜3mの島であってもである。 日中,珊瑚礁の海に潜れば、日の光が帯のようにさし込んで、水は澄み、30〜40メートル位は見えてしまう。又、珊瑚礁の森の凹凸が波を吸収して,海そのものを静まり返してしまう。内海であれば、潮の干満はあっても、まるで湖のようになってしまう。
だから津波の心配も少ない。
珊瑚礁の森の間を魚達が泳いでいる。そばに寄っても,それほど怖がる様子もない。珊瑚と海藻、そして,チョウチョウ魚、ベラの仲間、イカ、タコ、大きなエビ、ブダイ、イサキ、奇麗な色をしたカワハギ、曙ハゼ、ネオンの色をした小魚が無数に群れている。色とりどりの魚達の泳ぐ姿は、地上の現実を忘れさせてくれる。しかも,光の具合で,その色がぱっと変わったりもする。小型のサメ、亀,エイなどがその合間を悠然と泳いでいる。幸い,大きなサメのようなものは,珊瑚礁には余り入ってこない。珊瑚の森から出れば,話は別であるが……。
何度か,亀の背中にも乗った事がある。大きなエビやイカを素手で捕まえた事もある。
夜になれば,夜光虫が光りだし,その数は,夜空の星の数を遥かにしのぐほどだ。その色の多さと形の美しさは言葉にならない。
イソギンチャク、ウミシダ、珊瑚、不思議な形をした石、貝、極彩色とはまさにこの事だ。
あらゆるものが,友達となって行く。
餌づけをすれば,いくらでも集まってくる。
生命の源、海、私達も嘗てはそこからやってきた。海に帰れば,再びその生命力が戻ってくる。たいていの病気は治ってしまう。島の魅力の代表は,その生命力(エネルギー)にあるのかもしれない。
海からあがれば,マンゴー・シェイクやココナッツ・シェイクが美味い!
うまいカレーがあれば言う事がない。
一気に疲労が取れてしまう。
現代は,エネルギーの無秩序が原因となって,癌や糖尿病、現代病といった病気が蔓延している。西洋医学的な見方には,その根本的な原因は解っていない。
チベット、インドの医学、タントラや瞑想においては、全ての病気の原因は,過去の残存物の影響とエネルギーの不調和である、という結論に至っている。
孤独感、抑圧、散漫、混乱,体調の不調、病気、それらは皆、過去の残存物の影響、エネルギーの不調和から起こっている。
チベット医学に於いては、微細なエネルギーが普段流れている所以外の所に循環する事から、狂気や病気も起こってくると言われている。
又、心というものは、体とエネルギーの状態に依存しているが,影響も与えていて,相互依存の関係に在る。そのことに留意しなければならない。当たり前の話だが、エネルギーの停滞、混乱状態を解消しないと、心はちゃんと機能しなくなってくる。病気にもなってしまう。何よりも,生きる気力が萎えてしまう。
チベットやインドでは、マントラ(真言)、呼吸法,ある種の音(波動)を通し,エネルギーに影響を与え、バランスを回復する,という根源的な方法をとっている。
未だに雑音も多いのだが、21世紀が“波動の時代”と呼ばれるのもその為だ。それが、今、欧米の医学が最も興味を持つ,最新の医療になっている。
老子的に言えば,“タオに帰す”,自然に帰る、ということなのだ。
たまには,数日でも、数週間でもいいから,海に出てみよう。きっといい事がある。
月面から見れば、地球の表層の2/3は海、そして、ここは海の星なんだから。
海の星で良かった!
*前記事、“南の島に龍を見た”、“亀の島”、“温故知新の宇宙観“を参照のこと。
2007年3月30日金曜日
島の魅力
時刻: 1:33