そろそろ、日本も桜の季節。花の雲海が始まる。一年かけて溜めたエネルギーを一度に開花させる。庭園、公園、川辺、街道沿いに、そして時間差とともに、日本列島を覆い尽くす。花見の季節である。
沖縄から、北海道まで、ほぼ二ヶ月懸けて北上を続け、ほんの僅か、桜は2週間ほどの短い命を全開にする。桜前線と呼ばれるのは、周知の事。その簡潔さと思い切りの良さが、人々に慕われる理由でもあるのだろうか?
花は、誰かの為に花を咲かせる訳ではない。状況と、環境が整えば、花は咲く。何とも神秘的な事だ。
嘗ては、貴族達、上流社会の人だけの楽しみであった花見が、その後、17世紀頃から、庶民の楽しみへと受け継がれてきた。“雅び”と言う言葉には、品格のある美しさ、と言う意味がある。
元々は、情愛、恋情、情緒、もののあわれ、精神性を伴った容姿、心根の良い様等を表す言葉だが、
そして、何時しか、桜の花見は雅びな、日本の伝統行事、春の祭りとなっていった。
老若男女、新しいものも、古いものも、分け隔てなく祝う国民的セレブレーションだ。
多くの人々が、桜の開花に会わせて、心を開く。
正月と同様に、人々が待ち望む季節、春の祭典だ。
“桜”と言う言葉は、元々、ロシア語の“サクラメント”(英語でも同じ。聖なるもの、神秘的なもの、聖餐)と言う言葉から来ていると聞いた事がある。
古代の日本の原住民は、ロシア語を多用していたからとも聞く。
桜は、ヒマラヤにも咲く。秋口に、日本の桜より赤みが濃い。其れが、ヒマラヤの裾野に、花の雲海を咲かせて行く。
桜は日本を代表する、聖なる花となった。
日本文化の美意識の代表となった。拘りとなって行った。
人々は、その見事な開花とまろやかな美しさ、空を覆い尽くす、花の雲海に心を奪われてきた。
ほんの一時の、桜の美しさを引き立てる、様々な、セッティング、配慮、工夫、楽しみ方が考案されてきた。文化の中心になったのだ。
桜が散るとき、その、つかの間の美しさは、自然の美、もののあわれの美学、風流、風雅を象徴しているかのようでもある。
“人の雅びは、情け枝、雅び、無ければ、身も枯れる”。
雅びの根源は、“慈しみ”にあるようである。
風に舞う、艶やかな“桜吹雪”の風情に、日本の心を見るような気がする。
今風の言葉でいえば、クールネス、クール、と言った所だろうか?
2007年3月20日火曜日
花の雲海(桜と雅)
“春の宵 雅の海が 舞い踊る”
時刻: 1:52