2007年3月19日月曜日

お茶の来た道

 お茶には様々な種類がある。基本的には、茶は一種類。地域によって、風味は変わる。
又、後処理、醗酵させるかさせないかの味や風味の違いがある。
 インドの紅茶は、醗酵させたものだ。そして、インドのお茶は美味しい。今日は、インドの紅茶(ブラック・ティー)を楽しんでみよう。


 これには、イギリスの努力がある。アジアを通じて、イギリスの人々はお茶の美味さを知った。そして、インドも私たちも、世界中の人々も、美味い紅茶を楽しむ豊かさを知る事となった。始めの内は、茶は、主に中国から輸入されていて、イギリスからヨーロッパに知られるようになったと言われる。そして、茶という嗜好品はイギリスやヨーロッパ次第に知られるようになった。其れとともに、中国からの茶は、輸入超過と言う現実をもたらした。

 茶の原産地は、中国の雲南、ミャンマー、インドの奥地、タイ、ラオスの奥地辺りとされている。そこでは、今でも茶を飲むだけではなく、食べると言う文化もいくらか残っていると聞く。調理して、漬け物のようにして、ご飯のおかずになっている。

 一方で、イギリスはアッサムの山奥で、たまたま、茶の原木を発見した。紅茶のルーツとなった茶である。この時点では、殆どのインドの人は、未だ茶を知らなかったのだ。中国や日本、東南アジアに比べて、インドの茶の歴史は新しいのだ。そして、アッサム、ダージリン、ニルギリ、スリランカの紅茶のプランテーションが進み、中国茶を凌駕するようになっていった。
 中国では、茶は禅仏教に愛され、“ダルマの目蓋”とも呼ばれた。これについては、こんな話が伝えられている。
 昔、ダルマ大師は、ターと言う山に住んでいた。そこで、ダルマ大師は、24時間目覚めていたいと考え、自分の目蓋を切り取り、寺の前に投げ捨てた。やがて、雨が降り、目蓋は成長して行った。其れが、茶、チャ、チャー、チャイの始まりだとされている。

 茶には覚醒作用がある。そして、心に効くからお茶は広まって行ったのだ。中国では、飲茶は点心と相まって、心をはらし、心に広がりを与え、健康を与え、食文化を始めとして、様々な文化が花咲いて行った。中国の茶は、インドや料理には不向きな面があるが、中国やヴェトナムの料理には、又、ものに依ってはタイやラオスの料理には、良く合う。
 日本においても、禅と茶を通じての文化は、深みと多様性を帯び、日本文化の発展には無くてはならないものとなって行った。禅に依れば,“寛いだ生”こそが,生の頂点としたからである。其れには、茶は欠かせないものとなっていった。そして、茶は、やがて道(どう、タオ)となり、遊びとなり、生活に深く浸透していっていったのである。

 イギリスにおいても、茶とともに、イギリス風、ヨーロッパ風のビスケットや菓子もうまれ、文化の、生活の重要な楽しみとなって行った。そして、イギリスの文化は、茶の効用に依るものであった。インド中に広まったお茶は、アラビア、北アフリカと広がり、アジアとヨーロッパに渡る、広大な文化圏を造って行った。インドはインドで、インドの自然、インドの料理に合うような、スパイスや工夫が開発されて行った。そうやってみると、茶の持つ力とは、温和な中にも“創造の太鼓”のような、人の心を開く大きな力を持っていた事になる。
 私、個人的には、只、単に茶を飲む時、日本の緑茶とインドのチャイが好きである。こくのあるアッサムの茶に、カルダモン(スパイス)と濃いミルクを加えたものである。香りのダージリンやマイルドなスリランカのウバもまた美味い。只、緑茶の場合は、旨味の源、甘いもの、羊羹や菓子があった方が、茶の旨味は増すようである。紅茶は砂糖なり蜂蜜なりを入れるので、単独でも美味い。
 あなた達は、如何なものであろうか? いずれにせよ、茶は偉大である。

 インドの茶の生産量は、現在、世界一。だが、近年の、インドの驚異的な経済発展に伴い、取り分け、高級茶葉の需要は増すばかりだという。
 インドにとっては、茶は輸出産業としても、重要な意味を持つ。ところが、今、ダージリンでもアッサムでも、多くの茶の木が植え替えの時期に来ていると聞いた事がある。そして、ネパールやシッキムの茶は、未だに生産量が少ないという。もしそうならば、当然、生産量は減る。予想されるのは、茶の価格の高騰である。さて、これからどうゆう事になる事やら…