2007年2月13日火曜日

無重量の技法

 瞑想中や、時には何気なく、一服したり、茶を喫したりしている時、又,朝、さわやかに、目覚めた時、暫くの間には、無重量を感じる事がある。意識せずとも,身体が軽い。意識もクリアになる。身体の動きが鋭敏になって来る。不思議な感じがする。

 時には、空に向かって落ちていく、という感じがする事も在る。それは、ヒマラヤのような、エネルギーの高い、波動のきめ細かい強い力の作用が起こるとき起こる。勿論、無重力状態や,ダイヴィングでも人は無重量になれる。そして、深い瞑想の中では,身体を意識しなくなるから無重量になれるのだ。見たことは無いが、瞑想中に、身体が地上から浮き上がる人も中にはいるという。
 
 無重量は普通の人にとっては難題である。だが、身体は身体のもので,私達は、そこに、身体に住んではいても、身体は自分そのものではない。その意識そのものが本物だと、気付くからだといわれる。当然意識には,重量はない。だが、思い込みは,重さとなって来る。勿論、身体というものがあって、はじめてそれが容器となって、意識やスピリット,魂が住んで、私達は生きている。そして,身体を生かしている。相互依存の関係に在る。無限なるものが,有限なる身体と言うシステムに住んでいる。此れが今の私達の現状だ。此の解釈は,タントラ、仏教,ヒンドウー教,ボン教に共通の解釈、サイエンスなのだ。瞑想者なら容易に理解できる。

 納得がいけば、判る事だが、そこには“無限の力”が在る。だが,普通、人は“有限な身体”に“同化”してしまっている。ポジティヴに無限を感じられないのは,その為だ。一度,本来の自己を悟ったら,無重量を感じる事になる。同化こそが、障害になっているのだ。
 グルジェフという、近代のタントラ・マスタ−に依れば、この世の問題の原因は,同化する事、に在るという。身体に同化している人にとっては,無重量は難題中の難題だ。次元を超えるのは,簡単であって,簡単でない。

 だが、人は幸福感が大きいとき,無重量を感じる。嬉しい時には,身体を忘れてしまう。身体が軽くなる。辛いとき,悲しいとき,苦しい時,不幸なときには、身体は重い。それこそ、ドーンと重くなる。ものや物質にとって、重さは基本的な条件だ。それはこの地球には重力が在るからだ。つまり,身体に同化している人は,物質化しているという事になる。

 聞いた話だが,太陽光線にさえ,重量があるという。ほんの微々たるものだが、最近の物理学者達は量っているそうだ。凄い事をやっている人がいるものだ。どうやって量るんだろう? 地上の水の総量も判るんだから,今という時代は凄いね。

 禅宗、曹洞宗の開祖、道元師に依れば、「目横鼻直」,両目は水平に,鼻は垂直軸、此の当たり前の中にこそ,自由が在るという。禅は、信仰の宗教ではない。純粋な探求の宗教。意識の探求の宗教だ。“心身脱落、脱落心身。”心身を脱落する事、それは重力に委ねきった状態では無いだろうか? そのプロセスで,重力に沿って重力を転換してしまう。此の作用が起こって来る。此れが,本来の,リラックス、寛ぎではないだろうか。鼻直、縦軸を媒体として、自在を得る。

 古典的な技法は,現代人には難しいので,簡単な技法を教えよう。
 まずは、呼吸に於いても、重力と結びついている。即ち、宇宙は私達を包み、私達、人が宇宙を包む。此れも呼吸法に生かして行く事が出来る。そのつもりでゆっくりと呼吸をする。脊髄を,力まずに、真っすぐにする.意識は脊髄の中を貫いているからだ。重力の作用が最小になるところを見つける。最初は,仏陀のポーズ、禅やタントラの瞑想のポーズがいいと思う。縦軸が真っすぐ、しっかりすれば,重力のかかり方も最小になる。

 次に,「自分は身体ではない」,と,想像する。自分の身体を,皮膚に囲まれた,空虚な部屋と見る。本来は,此の身体の事については事実であって,想像ではないのだが、自分が身体だと思っている人には、詰まり、一種の催眠状態にある人には、自分に,体重がなくなったと想像する。此れが技法となる。さすれば、いずれ本来の自然体に戻る。

 何日も,試しているうちに,在る時,突然、無重量を自覚する事が在る。副作用として,幸福感が訪れる。重力作用の転換が起こるのである。当然、そのときはマインドを超えている。意識の身体、霊体、スピリット・ボデイ(リンガ・シャリーラ)に入っている。一度でも、無重量を体験できれば、そして、コツが判ればいつでも無重量でいられるし,逆に,重力を自在につかう事が出来る。重力を再認識できる。より,重力に委ねる事が出来る。

 タントラ、ボン教,或いは様々なシャーマニズムに於いては、極限的、瞑想的な修行をする。やがて,縦軸を中心に、上に下に,自在に意識を伸ばす事が出来る。重力世界を離脱する事が出来る。また、意識が再びもとの身体に戻って来た時、身体そのものも,新しく組成され直される。身体が生き生きとして来る。それは,自分からの離脱でもある。此のプロエスにエクスタシーが在るのだ。

 何かの折、体重を感じなくなったら、あなたは身体には住んでいても、もう身体ではない。同化してはいない。物質には重量があるが、あなたには重さはない。重さは身体のもので,あなたには、意識にも,魂にも、本来、重さは無い。

 生とは,まさに神秘的。あなたは,別世界にいる。生の真っただ中にいる。