カジュラホを御存知だろうか? インドのほぼ中央部、デカン高原の北のはずれ、マディア・プラデシュという州にある。デザートのオアシスのような所だ。以前、一年程,暮らした事がある。夏は40度を超して,糞暑いが、10月から4月頃までなら、気候は最高にいい! チャンスがあったら一度行って見るといいと思う。
美しい庭に、沢山の石造りのヒンドゥー寺院がある。ジャイナ教の寺院も在る。昔は仏教のもあったそうな。月の神、チャンドラの子孫と言われる、チャンデラ王朝、チャンドラ・バルマンという王様が造った素晴らしい寺院と庭園の都。タージマハールと並んで、人が造った、世界で最も美しい庭園だと思う。1,000年程の昔、ムガールのイスラム教徒に破壊されてしまった。だが、多くか修復され、エッセンスは伝えられている。
その寺院の内側ではなく外側に、神々や男女の様々な体位の性的抱擁(ミトウナ)が彫刻されている。人が思いつくありとあらゆる体位やポーズが見事に彫られている。正に圧巻である。不思議な事に、楽しく、面白くはあっても、全く、陰湿さや猥褻な感じがしない。南国の強烈な太陽のもと、この、堂々とした性行為は神聖にみえる。中でも、シヴァ神を祀った「カンダリア・マハデーヴァ・テンプル」には、言葉を失ってしまう。
人が造ったもので、これほど,率直で、あからさま、そして美しい建造物は無いと思う。そして、寺院の内部は、がらんどう。性的な彫刻や、装飾は全て表の外壁に出されている。 内部の中央に、宇宙原理を象徴するシヴァ・リンガ。無音の波動を放っている。それがカジュラホの村全体を覆っているオーラになっている事に気付くには、それほど時間はかからなかった。タントラのエッセンスに溢れている。
愛には愛なりの瞑想がある。瞑想には無限性も付いて来る。
だが中には、愛を知らない、信頼も判らない、瞑想も知らない、知っているのは酒とセックスだけという人も、いるかもしれない。
はっきり言えば、まだ人とは言えない。
野生動物でさえ、愛も信頼も知り、知恵も知識も持っている。
人によっては、セックスは単にエネルギーの浪費になってしまう。それは悲惨だ。
タントラによれば、セックスは生物学的な、明け渡しと言っても良い。無宗教と言われる現代人にとっては、唯一の宗教的な事かもしれない。普通、性的なエネルギーは、非常に荒々しい。人が性欲に取り憑かれると、どんな動物にも負けないくらいの状況になる。
性愛を感じるたびに、呼吸を見まもるようにする。タントラに於いては、呼吸をゆっくりと、穏やかでリズミカルに維持する事が要求される。そうして初めて、性愛行為が許されるという。
先ずゆっくりと,息を吐ききる。息を、究極まで吐ききってみる。吸う方は,気にせんでも,自然に入ってくるに任せる。呼吸の質が、全てを変える。タントラには,千にも届く程の呼吸法がある。これも,その一つだ。
10分程で,意識が変わり、世界の質が変わる。性愛行為も、聖なるものになって来る。瞑想になって来る。
もし、より寛いで、急がずに、興奮せずに、射精を避け、その深みを知ったら、より大きな明け渡しの可能性が出て来る。生を受け入れた事になり、新たな次元が現れて来る。それは、瞑想にはなっても闘争や欲望ではない。
呼吸の質を変えれば、性エネルギーを変容させる事が出来る。例えば,怒っているとき,どんな呼吸をしているだろうか? 気付いた事があるだろうか? 愛を感じる時は、如何だろうか? 色々試してみるといい。
クンダリーニ・ヨーガを続けていると、性の中枢に集まる習慣になっていたエネルギーが、もはやそこに留まってはいない。上位の、或いは、中位のチャクラに移動する事ができる。勿論、元の、下位のチャクラにも戻ってこられる。
これは,一人でする瞑想だが,相方がいても構わない。
相方はただ波長を合わせるだけで、静かにしているだけで、宇宙を巡る事が出来る。
生エネルギーは生命の根源だ。否定してはならない。だが,諸刃の剣のごとく、如何にして使うかが重要だ。マスターするには、10年、20年はかかってしまう。
賢い人は,性エネルギーを変容するこつを知っており、有効に利用するのだ。
エネルギーが蓄えられ、脊髄にそって上昇を始めると、やがて「サワスラーラ(千の花弁を持つ蓮の花)」という、七番目のチャクラ(法輪、霊的センター、最上位のチャクラ)に到達する。
上手くすると、そのエネルギーを身体中に循環させ、光を巡らせ、気を高める事もできる。
それは、微細で,きめの細かい波動を放ち、「黄金の花」とも呼ばれ,そこから創造性が現れて来る。
其れは、宇宙的セックス、神秘の交合だが,全く性的でも、興奮でもないし、幻想でもない。
だが、それには、エネルギーが必要だ。
生体エネルギーには二つの神経モードが関わっている。
随意系と不随意系と呼ばれる。自立神経と副交感神経ともいう。
例えば、血液循環。
本人の意思とは関係なく働き続ける。眠っている時でも働いている。
不随意系が働いているからだ。凄いねー。
呼吸や食べる事には、随意系のエネルギーも使っている。
身体が受け入れたら、あとは不随意系が上手くやってくれる。
老子の言う「有為をもって、無為をなす。」という事だ。宇宙のあり方だ。
性の場合もしかり、始めは、随意的に始め、ある限界を超えると、不随意系が働きだす。そこの所にチューニングする。
性は神秘的な現象だ。
エネルギー、それは、何らかの表現に喜びを見いだそうとする。
創造性とは、波動であっても、情報ではない。
気付きがなければ、気がつかないかもしれない。
性のエネルギーは粗雑で荒々しいのだが、エネルギーが上昇すると、聖なるもの,優美さ、美意識が現れるようになる。これが「変容」と言われる。扉が開くのだ。何でもかんでも性的な視点で見ないようになってくる。性を避けるのではなく、通り抜けるのだ。性を知って、理解して、初めて超えられる。 そこに新鮮さがある。爽やかさがある。初めて,世界に触れたような気がして来る。
毎朝、日の出と共に起き、朝の黄金の光を呼吸する。これは男性的エネルギー。頭のてっぺんから、足の先まで、黄金の光に満たされる。それが、芯まで潤すとイメージする。これは、視覚化(ヴィジュライズ)という技法なのだ。毎日,10分くらい行うと善い。
息を吐く時は、黄金の気の代わりに、真っ暗闇が足のつま先からはいり、頭に抜けて行く、と想像する。これは女性的エネルギーだ。
両者を許容して、内側で融合させる。融合は、不随意的におこってくる。無為に任せる。
すると、シヴァ・シャクティーという次元に入って来る。
内と外という概念が入れ替わる事も在る。内から外、外から内へと転換する。
内と外とが交互に呼吸しはじめる。
一寸、広い所に出ると、「空間が私を呼吸している」、といった感覚が訪れる。その気付きに依って、空間はますます生き生きとしてくるのだ。
やがて、「空間の方が自分に微笑みかけてくる事すらある。」
樹や、花や、鳥達が華やいで見えて来る。
ベッドに横になって行っても構わない。目が覚めた時でいい.ストレッチをやりながらでもいい。
数ヶ月続けていると、少しずつ、変容が起こりだす。
時間は無限にある。慌てる事は無い。
抑圧が必要がなくなる事で、意識も潜在意識にも解放が訪れてくる。
意識が日の目を見る、という事だ。
「気付き」と言ってもいいし,「目覚め」、といってもいい。
やがて、何時しか,エネルギーを自在にコントロール出来るようになる。
そこから、初めて本来の瞑想が始まって来るのだ。
それは、とても贅沢な時間となって行く。 ただ、「今を楽しんで生きる」。自然に生きる。自発的に生きる。それが自然である事だ。
他に善し悪しの判断は存在しない。瞬間から現れるものがなんであれ、適切に生きた対応ができる。
自分一人だけが幸せであったとしても、其れは幸せではない。又、人間だけが幸せであったとしても、それは本当の幸せとは言わないだろう?
幸せとは、分かち合って減るようなものではない。もし減るようだったら,其れは幸せではない。
寛いでいる人、個人ならではの判断は、その人にとって適切なのだ。こんな事が、未来への道を開いて行くのだろう…
2007年1月14日日曜日
Inside out.(インサイド アウト) 後編
時刻: 3:03