2007年1月23日火曜日

玄治店


 玄治店と書いて、「ゲンヤダナ」と読む。「ゲンジテン」等とは読まない。
物の本を調べてみると、江戸時代、御用医師の岡本玄治という人が、幕府から拝領した町家屋敷だったそうだ。
その場所はというとお江戸日本橋。新和泉と住吉町との間にできた新道で、路地が縦横に走り、役者、芝居小屋もあったと書かれている。もともと、辺り一帯は元吉原と呼ばれ、明暦三年の江戸の大火を機に、浅草日本堤に移転させられるまでは、所謂,柳暗花明(色町)の不夜城だったと言う。

 生粋の町人の街。侍だからといって,大きな顔も出来なかったという。
逆に、伝法でも、粋な人なら、侍であっても一目置かれたらしい。四角四面の宮仕えの侍は、アホと同義語になってしまう。粋、即ち、生きていないのだ。
矢張り,侍が天下を取った表向きの封建的な権力の支配する世界は,町人にとっては,面白い筈が無い。
それゆえ、町人中心の江戸の文化が花開いたのだ。日本のエッセンスも此処から発生した。

 当然、野暮はくだけて、女は色っぽく、男は、職人、商人、遊び人、粋でいなせな人、禅の人、茶人、通人が闊歩していたそうな。下手な所に迷いこめば、当然、胡散臭いのも当然徘徊していた事だろう。
だが、自分が胡散臭くなければ,問題は無い。それでいいではないか。
皆、間合いというものを知っていたのだ。
人は人なのだ。それが文化というものだ。

 飯屋や茶屋も値段もやすく,味も当然上質だったという。路地裏となれば、そこはそれ、ディープに、乙に静かになり、三味線の音が心地よく響く。
「野暮は箱根の向こう側」、とばかりに面白い所であったらしい。既に死につつあった、侍の世界とは違い、元気で,活気もあったらしい。生き甲斐もあっただろう。
世界が、今、注目しているのは、車やハイテク産業ではない。普通の人には、興味が無い。
日本の文化,粋、侘び寂び、和の心、庶民の娯楽、風情、季節感、そのようなものなのだ。
今でも、一寸、覗いてみたくなる。

 あくまで昔の話だから、タイムマシンがある訳でもなく、その時代そのままの所に戻れる訳でもなく,枝葉も増えていようが、ある種、町人達の理想郷であったらしい。
又、町人達のエネルギーが溢れる場所でもあったらしい。
相互依存的(シナジー効果)に繁栄して行った事だろう。

 商売人の常識として、いい商売したいなら、金を惜しんではならない、という不文律があったそうだ。しかも四角四面では,商売は成り立たない。そこで様々な芸能、文化、商売が発展したのだ。
戦争が無ければ,侍とは無能なものだったのだ。
全く同じという事はないが、アジアにも,庶民の住みやすい街の一角がどこにでもあるものだ。
バンコク(クルーン・テープ、天使の都)にも、そんな所が幾つも在る。
街に慣れ、視力が備わってくれば,やがて見えて来る。細い路地を徘徊し,路地から路地へと歩き回ると,物珍しいものの店、お洒落な店、旨そうな飯屋、寛げそうな茶屋がある。
一寸した広場には,市が立つ。

 いかがわしいものや事が好きな人には,そのような場所もある。酒がのみたければ,そういう所もある。都や街には様々な人が住み,生き、その為の色町、遊ぶ所が大抵はある。
ここは、世界中から,旅人が集まって来る。魅力があるからだ。
乙に静かにしていたい人には,そのような場所もみつかる。
車でひとっ走りすれば,海も近い。

 寺の境内等は緑が多く波動も整っており,静かに本を読むにはうってつけだ。川の流れ,森に響く鳥の声、楽しめるものは、少なくない。様々なコントラストが生まれ、魅力が生まれてくる。
其れ故に、大きな街にはエネルギーが充満しているのかもしれない。
だから,車の多さで、多少、空気は悪くとも、それなりに新鮮だ。

 玄治店、そのままというわけにはいかないが、江戸の下町に通ずる何かがこの都にはあるようだ。静かで,しかも活気があり,陽気で、生き生きとしている。相反する要素を兼ね備えている。
片側だけに偏っていないのだ。それが都が都である所以とも言える。
それ故,居心地が良いのだ。

玄治店程々に,おきばりやす!