2007年1月4日木曜日

パワー・アニマル 5(鹿)


 どんな動物でも、人よりもずっと多くの事を知っている。
その事を知っている人は少ない。

 人とは異なる力や知恵を持つ動物は、自然との調和は無論の事,自活力に於いても人よりも優れ,又、人と違って、めったに過ちを犯さない。
中でも,パワー・アニマルはその力や知恵で、人を守り導いてくれる神秘的な生き物。
インドやアメリカでは,永き世を通じて信じられてきた。

 人には,それぞれに応じたパワー・アニマルがいるのだという。
そのパワー・アニマルがその人の欠けた面を補ったり,支えたり,知恵を授けてくれる。
シャーマンが人を見れば,その人のパワー・アニマルは見えて来るのだという。

 古来から,アメリカでもインドでも中国でも,鹿はスピリチュアルな生き物として知られている。
ブッダが初めて説法を初めたとき、話を聞いてくれたのは、人ではなく、森の鹿達だった。
七福神の一人,寿老人が連れているのは、矢張り森の鹿。
シヴァ神も時々鹿の角を持っている図を見た事がある。

 アジア、アメリカと言わず,世界中のあちこちで、鹿は、瞑想者、シャーマン、メディスンマンの師、或いは盟友として崇められてきた。
彼らは,鹿から神秘的な力をもらっていたのだ。
鹿という生き物の特徴として、植物の知識は当然としても、繊細、優雅、機敏、鋭い直感力と感受性、そして博愛主義は他の追従を許さない。
純粋な人々は鹿に特別な力がある事を発見した。

 ただ、鹿の特性として、一つの関係だけに留まるのは苦手のようだ。
鹿の世界は微妙で多様性があるからかもしれない。
それ故,鹿をパワー・アニマルとする人は、人生に一貫性を持つ事が要求される。
特に美に対する認識力は、抜群のものがある。
新たなる価値観、本物を見わける力は鹿の持つ力。

 インドでは,真理を言い表す言葉に,「サティアム、シヴァム、スンドラム」、「真、善、美」という言葉がある。一つの事を,三つの視点から見たものだ。
真理は一つだが,現れ方、見え方は三つもある。
美は真理の別の見え方の一つ。
詰まり,本物を見分ける力、が備わっているのだ。
鹿的に言えば、美は、外側の見てくれや様相ではなく、内側の問題である事を知っている。
鹿はリアリストなのだ。だから,流行に振り回されたりはしない。
何がどういう事に、どういうものにフィットするかを良く知っている。

 その意味で、鹿をパワー・アニマルにしている人には、私の祖父もそうだったのだが、静寂と平和を好み、特殊な技能、才能を持ったアーティストが多い。
頭の回転もよく、直感力もあり、ウイット(ウイット)に富み、創造的でもある。
常に新鮮さを持って生きている。
それは静けさや、瞑想を好む故の副産物。

 人の身体には、二つの要がある。
一つは心臓。肉体にあって、常に鼓動を続けている。
もう一つは肉体には無い。
もう一つは霊体、スピリット・ボディーにある。アストラル体である。
シャーマン達、瞑想者達は水晶や薬草、鹿のパワーを使って、霊体、クンダリーニやチャクラを開発した。
チベット仏教、タントラ、ゾクチェンでは、すでに既成のリアリティーとなっている。

 アストラル体、それは、肉体にオーヴァーラップしているが、肉体ではない。
瞑想の他に、時として、モーターサイクルやサーフィンの体験を通じても、その一端を知る事ができる。
瞑想はそれを、もっと深め、広げてくれる。

 そこには、七つのチャクラ(スピリット・センター)が存在し、自然と交流して、見えない所で肉体を支え、助けている。七つのチャクラのうちの四番目にあるのが,アナハータ・チャクラ。
 アナハータとは、造られていない、という意味だ。心は開発可能だが、ハートは元々自然なもの。発見は出来ても、開発や訓練は不可能、というより意味が無い。ハートのチャクラ。人の尊厳もそこに在る。そこに様々なマインドや思い入れが加わって、心になっていく。胸の辺りに存在するが,肉体の心臓の位置とは違う。

 霊視すると、煙色をしている。
半透明のチャコールグレイをベースにしている。
位置は、私の場合は胸の中央付近だが、人によっては,身体の右側にあるともいう。
このチャクラが開花すると、所謂,興奮はしないが,静かで,寛いで、シャンティー、ハイになる。
今まで見えなかったものが見えて来る。

 しかも、このハートのチャクラのパワーを使えば、肉体の心臓には一切負担はかからない。
このチャクラの象徴となっているのが、「鹿」である。
鹿は人の五感の内,触を表す。
空、風,火、水、地の内の、風を代表している。
その意味はフィーリングである。
感じる事の中枢である。

 鹿は、兎に角、どんな微細なこと、微妙なことも見逃さない。
人が生きるについて、最も重要な部分である。
だが、感情ではない。
感情はまだ、感性に昇華していない未完成の状態だ。一度、五番目のチャクラ、ヴィシュッダ・チャクラまでいって、浄化してこなくてはならない。

 鹿を呼び出す、チベットのマントラは、「イエー」。「ヤー」、「エー」と言った音も良いのだが、むしろその中間的な音である。そこから,扉が開きだす。英語の、「YEAH」イエー、イヤーは 「Yes」 肯定、ポジティヴを意味する言語で、共通する。
 「イエー」は、チベット語の「イエッシェズ、知恵、多様性、可能性」を意味する言葉から来ているといわれる。旨く、チャクラが機能し始めると、寛ぎが起こり始め、丁度、水車小屋の水車が回り続けるように、生命の水は途切れる事無く,流れ続ける。人は,そこでそのエネルギーを身体全体に巡るようにする瞑想を始め、思考も、健康上も正しくなって行く。
 私の場合,時には,この鹿は夢にも現れる。この鹿はただの鹿ではない,パワーアニマルだ。地上はもとより、空も宇宙も海の中も、次元すら遥かに超えて、自由に駆け巡る。何かの前兆を知らせてくれたり,新たな方向性を教えてくれる。信頼が成り立っている。

 夢は賢い。どんな人よりも賢い。鹿はかわいい。そしてありがたい。何時も感謝している。“イエー!”