『ザ プレイス アイ ラヴ』、これは、かつて,元ビートルズの、故ジョージ・ハリソンが出したレコードのタイトルでもある。
実を言うと、何時か,チャンスがあったら聞いてみたいと思っているのだが、このレコード、未だに聞いた事が無い。
だが、タイトルと会社名、ブランドマークのダークホース(ヒンドウー教の伝説に出て来る、七つの頭のダークホース、「シャンバラ村」に住むという「カルキ」、ヴィシュヌ神の乗り物)が、今でも気に入っている。
アメリカの「ダーク・ホース・レコード」からリリースされた筈である。
「ダークホース」,という言葉には、様々な意味がある。アメリカでは、「最高機密」のことを、「ダークホース」と呼ぶこともあるという。ただ,「黒い馬」という意味も勿論あるし、競馬の場合は、所謂,「ダークホース」、穴馬。
惑星という意味も在る。地球は「ダークホース」だ。何故なら,多くのひとは、太陽や月や星ばっかり崇めるからだ、地球という大地を忘れてしまっている。「ダークホース」の意味はそこに在る。
また、暗黒星、未知の星もそう呼ばれる事がある。
実力者、力のあるもの、或いは陰の実力者の意味も在る。
又、予想外の新人という意味もある。
例えば,十両に上がってきた時の、朝青龍は、ダークホースと呼びたい。スピリットが、まるで他のお相撲さんとは違うのだ。切れ味がいい。上手投げで、相手を宙に浮かせたり、裏返しにしたりする。横綱になっても、そのスピリットは衰えず、未だにダークホースと呼びたい。
又、K−1のジェロム・レ・バンナは、K−1の始まりから出場をかさね、スピリットのある試合で、K−1を盛り上げてきた。左ストレートの切れ味は、最高。
勝っても負けても、試合内容が、人々を熱くしてきた。
勝ち負けにこだわらなく、アグレッシウ゛なスピリットが、試合そのものを面白くする。
負け試合でも面白い。
勝ってよし、負けてよし。そこのところが,素晴らしい。
まさに、禅の「極意」をマスターしたかのようだ。
未だ、無冠の帝王だが、真のダークホースと呼びたい。
K−1ワールド・マックス、ミドル級には、タイのムエタイ・チャンピオン、そしてK-1ワールド・マックスの世界チャンピオン、ブアカーオが居る。
正式には、ブアカーオ・ポー・プラムック。
この人は凄い。
生まれたときから、ムエタイの為に生まれてきたような人。
パンチの早さは、目には見えない程速い。
ムエタイで鍛えた、華麗な足技。まるで、シヴァ神が舞いを舞うかのようだ。
そして、攻めても守ってもバランスが実に良い。まさに芸術的。
切れ味の良い、左のパンチ、ハイキックで相手を眠らせる。
ブアカーオ チャイ ディー!(ブアカーオ 最高!)
三人に共通しているのは、業の切れ、スピードとタイミングが見事なのだ。
つまり、「センス」が良いのだ。
それは、まねではなく、自分を生きているという美学があるからだ。
やたらと無駄な力を使わない。鮮やかなのだ。英語でいえば、「クール」なのだ。
粋なのである。
今でも、クールだが、マカロニ・ウェスタン時代の、クリント・イーストウッドみたい。
ただ単に強いだけでは、ダークホースとは呼べない。
ダークホースには、相反する意味や,様々な意味がある。
場合に依っては、ダークホースは色が黒いとは限らない。
それは色ではなく、質(スピリット)を問う意味がある
世間では,どうしても、外面的なことで評価を下すことが多いのだが、実質、内容、英語で言えば、「Nuts’n Bolts」(ナットとボルト、実質性、サブスタンス),があるか無しかで、力の意味は自ずと異なって来る。
どちらかといえば、悪い意味ではなく、注目に値する対象やある種の力への「敬称」になっている。
子供の頃から,午年だった所為もあって、私の「パワーアニマル」は、「鷲」と「ダークホース」だった。
それぞれ、役割が違うのだ。この二つのパワーアニマルの力を借りて、生きてきたと言ってもいい。
勿論,他のパワーアニマルと親密になれたのもそのお陰なのである。
パワーアニマルとは,動物の形で現れ、本来の個人のスピリットへと結びつける「盟友」と言ったら良いだろうか。形を持った、スピリットと言ってもいいかもしれない。
いずれ、別の形で,パワーアニマルに就いて書いてみよう。
パワーアニマルには、鷲や馬、ウシ、野牛、象、狼、イルカ、龍その他にも沢山いる。
トーテム・ポールはパワーアニマルを祭ったものだ。
他にも、鶴、狐、熊、犬、猫、カワウソ、鼠、又、ヒンドウー,仏教界には十二支がある。
干支が即、自分のパワーアニマルとは限らないが、指針にはなるだろう。
そして、自分のパワーアニマル、「盟友」を見つけた人は、個人の魂やスピリットに密接な関係を持つ。
ダークホースに限らずとも,馬には、高貴な気品がある。
それは、持って生まれたもので、努力して得たものではない。
しかも,人間にとっては、自然、野生の力や神秘を結びつける、神秘的な生き物だ。
神秘であるが故に、ユニコーンや麒麟、ペガサスも現れて来る。
しかもそのゆったりと歩く姿、鬣(たてがみ)を風にたなびかせて走る姿は、実に美しい。
夢見の達人に言わせると、夢の中で馬に出会うときは,その人は、既に人生に振り回されるのではなく、自分の人生を管理する状況に入っている、と言う。
「佳境」と言っても良いだろう。馬の夢は,吉祥の印でもある。
この壁画に現れた「ダークホース」は、35000年もの昔に描かれたそうだ。
ラスコーの洞窟に描かれたものだ。
非常に,シンボリックに、スピリットに溢れ、力強さと豊穣な生活を表している。
高貴さの中に、力に満ちあふれている。
そのパワーアニマル、「盟友」は、陰となり,時には何らかの形であらわれ、人生の旅のガイドと知恵を与えてくれる。そして、素晴らしいところにも、連れて行ってくれる。
鷲と同様に、良く夢の中にも出てきたし、バイクに乗るようになったのも、自然や神秘的な事、古代の文明に興味を持ったのも、「ダークホース」のお陰だ。
人生全般に関わっている。
「ダークホース」と「好きな場所」と、どういう関係があるのかというと、約10年程前にオーストラリアで起こった事だった。
一寸、イーグルスの歌みたいだが、「Just another day in paradise(在る楽園での一日)」、という歌詞があった。曲のタイトルは、「Learn to be still」、ドン・ヘンリーの曲だ。
その楽園とは、オーストラリアの「ノーザンテリトリー(北部特別州)」にある、「カカドウー」という原初の自然、ジャングルが大部分を占める国立公園にいた。
大きな公園で、日本の本州の半分以上位の広さはあるかもしれない。
公園とは呼ばれるが、一寸した国家よりも広い。
そこでは、未だにアボリジニ達が伝統的な文化と、狩りと自然採集の生活をおくって暮らしている豊かな土地なのだ。アボリジニ達が自治している領域だ。
それが彼らの自由であり、幸福な事なのだ。
また、その土地そのものにとっても,それは、嬉しい事だろう。
数日前から始めたカカドウー・ジャングルのトレッキング。
毒蛇と鰐を除けば、危険な動物はあまりいない。
とはいっても、カカドウーに入る数日前に、ダーウインの街中でごく当たり前に散歩している大トカゲにであった。
我々と同じように、街のコンビニのそばを散歩していたのであった。
危険な様子も、興奮した様子も無かった。
ただ、ただ普通であった。
全く違和感なく街にフィットして,まるで犬か猫のように歩いていた。
その普通さにびっくりした位だ。
人々も、驚いた様子も無く、ソーセージ等をやっている。
文明化したコモド・ドラゴン、大トカゲだった。特別な奴なんだ、きっと。
だがジャングルで出会ったら,注意しよう。
先がYの字になった、一間程の長さの棒を持って歩き出す。
あとのもちものは、水と弁当、煙草にライター位。
靴だけは、編み上げのワークブーツがいい。毒蛇に対する用心だ。
毒蛇が出てきたら、棒の先のYの字の部分で、蛇を絡めて,遠くの方へ投げれば良い。
殺す必要は無い。
場所に依っては鰐がいるので、水辺を歩くには注意を要する。
水辺から7〜8メートル位は離れて歩く。
鰐は興奮すると、地上でも時速60km/hものスピードで獲物に襲いかかる。覚えておこう。
2〜3時間、ジャングルやその中間域にある草原を歩いているうちに、野生の馬達の一行にであった。7〜8頭はいる。
彼らは,元はアイルランドからやって来たサラブレッド。
足が細くスタイルが良い。
昔、カカドウーに、アイルランドから来た、妻も子も持たず馬だけを愛していたという、馬が好きな男がいた。馬は犬や猫以上に人の心が判る動物なのだ。馬はかわいい。
彼はアイルランドから、サラブレッドを連れてきて牧場で飼っていたそうだ。
彼も,馬達も、暑いカカドウーの自然や気候にもなれ、楽しんでいたのだそうだ。
そして彼がこの世を去る時、飼っている馬を全てをジャングルに離す様に遺言したという。
その馬達も、もとは何頭くらい居たのかは判らないが、いまでは1000頭以上になって、カカドウーのジャングルや草原を自由に跳ね回っていると言う。
オーストラリア政府もその馬達を保護し法律を馬達の為に作り、捕獲、競馬利用も一切禁止し、馬達の楽園を維持しているという。
一寸,良い話だ。
そのうちの一頭、まっ黒な馬がこちらをじーっと見つめている。
素晴らしい色艶をしている。すらっとしてしかも肉感に溢れている。食事も環境もいいんだね。
鼻筋に一本の白い筋、いわゆる星がある。後は全身真っ黒。
一行のリーダーらしい。
視線が合った。
私の波動を聴いているような様子だ。耳をしきりに動かしている。
彼らは、当然、人の言語は判らないが、その分,勘も感も観も冴えていて、よく見える筈だ。
さもなければ、野生の原野では生きられない。
そのうち、移動を始めたようだった。後を、付いて行ってみる事にした。
馬達が、非常に美しく、優雅に見えた事も手伝って、楽しそうな予感がした。
時々、私を気にしているのか、後ろを振り返りながら、ジャングルの中をイエロー・ウオーターという川のほとりに沿って、ゆっくりと歩いて行く。
誘っているようだった。
恐らく、人を背に乗せた事等なかったのではないかと思う。
彼らにしてみれば、食べるものは辺り一面にふんだんにあり、何処かへ出かける事や、走り回る事位がレクリエーションのはず。
むしろ、暇を持て余しているはず。
楽園に永く住めば、いつかは退屈してくるものだ。
1時間近くも歩いただろうか。とある、川の岸辺にたどり着いた。
ここが、彼らのお気に入りなのであろうか、身体を地に横たえて、身体をこすったり、転がったりしている。馬は滅多に,身体を横たえる事はない。つまり、此処は安心できる場所なのだ。
彼らの、ホームに違いない。
表情を見ても、ここからまた何処かにいく様子も無い。
自分たちの秘密の楽園を教えてくれたのだ。
そのことを通じて、私はスピリット・ボディーに入ることができ、そして、自分の内側に在る、楽園に辿り着くことができたのだ。
恐らくは、「イエロー・ウオーター」という川の何処かなのだろうが、ここは、全くの原初のジャングルを抜けて、開けた川辺の草原。
川の水が浸食して、境目を湿地帯にしている。
丁度、川の流れが緩くなり、川幅も大きくなり、大きな瀞ができている。
そして、そこには、無数の、実は、インドでも,タイでも、インドネシアでも見たことは無かったくらいの大量の、蓮の花が咲き競っていた。
100万とか200万とかの数ではなかった。それは、無数の蓮の花咲く、大きな庭であった。
地球上の蓮の花が、全て集まったかのようだった。
聞こえてくるのは、時々いななく馬の声、様々な野鳥の声、水の流れる音、草むらや花、ジャングルをそよぐ風・・・・・。
ここは、私の好きな場所の一つになった。
今でも時々、その時の空気、さわやかな風、薫り、寛ぎに満ちた馬達のことを思い出す。
馬達のこと、蓮の花が咲き乱れる「ロータス・ガーデン」、さわやかな空気,きれいな水。
まるで夢のようであった。
その事を思い出すたびに、インナー・マンダラ、経絡が「ターン・オン」して機能し始める。
今日は、自分の書きたい事を書かせて頂いた。有り難う。