2006年11月10日金曜日

ストーン・サークル2(力のある場所)


 人間だけの習性として、祭壇(ケルン)を造るという事がある。

人間以外の動物は、そんな事はしない。

強いて言えば,蟻位だが、蟻塚は彼らの家であって、祭壇というものとは違う。

 ヒマラヤにいけば、寺院のような大げさなものではなく、単に石を積み上げた「ケルン」が幾つも目に入って来る。

多くは、経文やマントラが石に彫り込まれている。チベット文字が多い。

「この場所はいいよ」、とそこを通る人に知らせている。

「一服して行きなさい、此処は、スピリットが一杯だよ、神様の力があるよ」と言っているのだ。

私にはそう感じられた。

日本には,地蔵,道粗神、祠がある。

インドなら、紀元前からのシヴァ・リンガやケルン(石積みの祭壇)が,道の傍らによく見られる。

 人は、部屋の中にも、祭壇、仏壇、神棚のようなものを造る。

それは、他の人に見せる為に造られた訳ではないと言われる。

純粋に個人的なものだ。安心する為だ。

中には意味も判らず、先祖からの習慣を維持しているだけの人も居るかもしれない。

 イギリスのブリテン島、アイルランドやフランスのブルターニュ地方,或いは北ヨーロッパにいけば、幾つもの古代遺跡としてのストーン・サークルがある。

主に、ケルトの人々が造ったものだと言われている。元々のケルト人の源は、中央アジアにあると言われる。遥か古代に、西へ向けて、移動し始めたのだ。

中でも、緑の草原にひっそりと佇む「ストーン・ヘンジ」はその力と美しさで世界的にも有名だ。

私は,今でも、ストーン・ヘンジのコーヒーカップを使っている。勿論、磁器、石が入った焼き物だ。

又、ストーン・ヘンジは、「踊る石達」という名前でも知られている。

古代には,石達は踊ったのかもしれない。

又、ストーン・サークルではないが、近くの、アフィントンやマールボローには、白亜の石でできた、「ホワイト・ホース」がある。

日本にもストーン・サークルは幾つもある。

アメリカには、ストーン・サークルがあるにはあるが、多くは、メディスン・ホイールといって一寸違う。ストーン・サークルが進化したものとも考えられる。

より、仏教のマンダラに近くなる。

だが、力のある場所を示している事は間違いない。

メディスン・ホイールについては、別の機会に展開してみたい。

今日は、一般的な、ストーン・サークルの話をしてみよう。

 未だに、ストーン・サークルの、全ての意味や役割は完全には判っていない。

文字も文書も何も残っていないからだ。

地域、共有の祭壇でもあっただろうし、カレンダー、四季を識別する為の目安でもあっただろう。

夏と冬では、太陽が昇ってくる位置、沈む位置が違う事から暦の役割、時計の役割もあっただろう。

「石」はマザーアース(大地)の骨でもあったから、当時の人にも、神々にも「共通の物質」であったと推測される。

大地に中心、「臍」を定めたのだ。

伝説によれば、当時から既に、人々は石に特別な力がある事を知っていたようだ、と言われている。少なくとも、石に安らぎを覚えていた事は間違いない。

今でも,イギリスでは重さの単位にストーンを使っている。1ストーンは約6.35kg

人の体重を量るときだけに使われる,という。

あなたは、何ストーン?

 ストーン・サークルは「力のある場所」故の、「癒しの場」でもあったのだ。

それは、人体のチャクラにも共鳴する。

ストーン・ヘンジはマ二プーラチャクラ、三番目、腹のチャクラに共鳴するようだ。

太陽の力と共鳴し、エネルギーを生み、視力を強化する。とても元気になる。

 場所の設定に付いても、彼らに取って、「最も聖なる場所、力のある場所」が決められたに違いない。

ストーン・ヘンジはドルイドの、ドイツのケルンは、その名の通り石積みのケルンが造られていたに違いない。ヒマラヤでも、カシミール山中には沢山のストーン・サークルがあった。

今でも、旅人が近くでキャンプを張る。

ギリシャにはオリンポス、スー族のブラック・ヒルズ(サウス・ダコタ)、オーストラリアのエアーズ・ロック(ウルル)、エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュなどは、その聖なる場所だったのだ。

インドには、数限りない程の聖なる場所がある。

 当然、シャーマン、メディスンマン、司祭、医師のような人、或いは、スピリチュアルな総合力を持った瞑想者がリーダーとなっていた筈なのである。

ストーン・サークルの中に入ってみると判るのだが、直感力、インスピレーションが自ずと湧いて来る。不思議な力が感じられる。自分の可能性を大きくする事ができるのだ。

つまり、「力」があるのだ。

 その理由は、日本の神社のように地下水脈(レイ・ライン)や岩盤が目安だったかもしれない。

「力のある場所」に石を積み、或いは石を巡らし、力をより強固なものにしていたのだ。

古代人は、現代人以上に、純粋であったゆえ敏感でもあったはずである。

ヨーロッパには、インドのような瞑想の伝統はなかったが、そうとは知らずに、シャーマン達は、瞑想状態に入れたのかもしれない。

そこで、シャーマン達は、未来をヴィジュライズしたり、治療を行ったりした。

 そして、ストーン・サークルは地上のマンダラでもある訳だから、聖なる場所として、又、地域の中心となって、人々の宗教的儀式の中心にもなっていた。

マンダラ、即ち、円は、自然の中にも見られる。

樹の年輪、クモの巣、天体の動き、虹の形、蛇のとぐろ、渦、太陽や満月の形、円はあらゆる所に見る事ができる。

円とは角も終わりもない一本の線、だから、人間にとっての神秘的な形を表している。

円は、全ての創造性のサイクルをも表し、「聖なる力の輪」であった。

それは、今でも変わらない。

円を「聖なるもの」とする宗教は、ケルト人のドルイド、仏教、ヒンドウー、ネイティヴ・アメリカン、イスラム教にも見られる。

日本では、通貨でさえ円にしてしまう。

社会を循環する事が,通貨の目的だからだ。

 マンダラ、即ち、円は、豊かな想像力と直感力の宝庫ゆえ、古代人なりに、文化、宗教、情報、あらゆる豊穣の源であった事は間違いない。

 今でも、瞑想しにやってくる人は少なくない。

元々が、「力の輪のある場所」だからだ。

アジアでも、古い寺院は特に、寺院そのものよりも、「寺院がある事で、その場所に力がある事を示している」と言う言い伝えがある。

寺院はランドマークだったのだ。

主役は,寺院ではなく,そこの「土地の力」だったのだ。

 ストーン・サークルにもそんな意味があったのだと推測する。
ストーン・カルチャー(石の文化)は、世界中のありとあらゆる所や事を結びつける。あらゆるネットワークの源だったのだ。日本の富士山にも、そんな力がある。空から見れば、富士山は、天然のマンダラにも見えるではないか。

 あながち、現代のコンピューター時代と無縁とは言えない。
むしろ、現代は、ニュー・ストーン・エイジと言ってもいいのかもしれない。