2006年11月9日木曜日

直感力2(オーラ)

 オーラとは、エナジー・フィールド。それは、ボディを取り巻く、繭のような光の体。霧や雲のようにも見える。丁度、肉体を包む鞘(さや)のようなもの。
 ブッダのように、黄金のオーラが現れる事もある。だが普通の人の場合、オーラは陰にすぎない。心の、内なる光り、脊柱の光りがないからだ。その場合、単に暗い影と成ってしまう場合もある。

 物理的な身体、肉体にオーヴァーラップして取り囲む、精妙な「スピリット・ボディー」、身体から50cm、或は1mくらいの範囲で、身体全体を取り囲んでいる繭のような、光の身体。光は脊柱の覚醒、意識からやって来る。脊柱が光を放つようになる。


 禅では、光明という。見える人には,見えて来る。到達した人は、その外見からは伺い知る事は出来ない。外側を変えても、どんなブランドものを着ようが、着まいが、肩書きがあろうが、無かろうが、どんな車を運転しようが、外面的な事は、本質的には、何の変化ももたらさない。菩提樹やバンヤンの樹の下に座ろうが、特別な事は何も無い。表面上、まるで平凡な姿。

 内側の変容がおこれば、何も気にする事は無くなって来る。ポジティブに普通でいる。其れだけでも、結構,嬉しい。生きる「クオリティー」が違って来るからだ。

 「意識の覚醒を悟れば、オーラは光明をえる」、といわれる。そのような人に、「どんな人か?」と訊ねるのは、ナンセンスだ。性格をも超えているからだ。ただの、自然体の人なのだ。

 ギリシャ語では、「avra,そよ風」というらしい。英語だと,「ブリーズ」(breeze)。私の好きな言葉である。それは、「クール・ファイア」、涼しい炎だ。それが、オーラ。そんなクールなオーラを持つ人に、何人かだが、会った事がある。チベットやヒマラヤだけではなく、いろいろなところにも,意外な所にも居る。世の中は、広い。

 私達の感情や情緒の変化に伴って、オーラの色や形も変化する。透明なオーラは、ポジティウな感情、そして健康を示している。スポーツ選手などのオーラは赤い色をしている人が多い。一方、濁った色のオーラは、何らかの不調和、不健康、感情の揺らぎ、を示している。優秀な、知覚力のあるアーユル・ヴェーダの医師ならば、オーラを見て健康状態を判断するといわれる。瞑想者や覚醒した人、そうではないものとを、一目で見分ける事が出来る。
 「ストーン・メディスン」とは、肉体ではなく、このオーラに直接、働きかける治療のことである。大抵の人は、脊柱が眠りこけているが、この医療は、これから、ますます発展するだろう。インド、チベット族、アメリカ(主にネイティヴ・アメリカン)辺りの治療が、リーダーシップをとっていくのは、既に何千年もの伝統となっているからだ。アメリカでは、既にオーラ治療の研究が始まっている。
 この、人のオーラと言う、エナジー・フィールドはエーテル体と呼ばれ、総合的に、霊体、即ちエーテル体の目覚めと機能と、相互に関係している。オーラは非常にセンシティヴ、敏感で、物理的なものにも、非物理的なものにも反応する。個人的なレーダーと言っても良い。感性にも知覚にも反応する。勿論、消す事、気配をたつ事も自由である。この方が,一寸,難しいかもしれない。

 例えば、シヴァ神のような優れた霊能者は、人、動物、天候、植物、天体、様々な力、微細な力を、オーラを通して知覚する。動物達も、その能力を持っている。だから、動物達も彼のそばに近づいて来る。波動で判り合えるからだ。普通の人間が、一番、遅れている。
 植物も、その力をもっている。音楽に依って、成長が変化するのだ。勿論、石にもオーラがある。

 人や動物のオーラを見るのには、難しいことではない。艶のない黒、もしくは黒に近い壁の前にたたせると、よく見える。黒は光を浮き立たせるから、背景には良い。又、自分の手のオーラを見る場合、黒い布を用意して、その上10センチくらいの所に手を持って来る。指や手に焦点を合わせるでもなく、眺めるようにして、目の調節をしているうちに、オーラは見えて来る。それは体から光を放っているようにも見える。
 手を少し動かしてみると、確かに、オーラが発生していた場所と、そうでない場所とに違いが判る。もし、見えなかったにせよ、何かうっすらと感じるものがあるはずだ。心を糸にして感じてみる。何れ、波動として感知できるようになる。試してみると良い。

 体の前に両手を伸ばし、手のひらを互いに向かい合わせにする。柏手を打つ一歩手前の状態だ。手のひら同士を、近づけてみる。10センチか、5センチ位に近づけてみる。2〜3センチ位まで近づけて見る。そうすると、手のひらの中央部分で、両手とも何か、エネルギー(気)を感じる筈だ。或は、暖かさのようなものを感じる筈だ。
 もし感じなかったら、1〜2センチくらいにまで近づけてみる。集中してやっていると、やがて少し敏感になってきて、30センチくらいでも、50センチでも感じるようになって来る。エーテル体の健康状況次第だ。間隔を広げたり、狭めたりしているうちに、目には見えないゴム風船を両手で挟んで、押したり引いたりしているような感じに成ってくる。形は見えなくとも、何かがある事が判る。
 同様にして、ペットや、植物、クリスタルのオーラも見る事が出来る。暇な時、やってみると良い。緊張は消えてしまう。そして、結構、面白いのだ。

 エーテル体は誰にでもある筈、そしてそのエーテル体が力を持って来ると、アストラル体も目覚めはじめ、感覚、知覚のレーダーが研ぎすまされて来る。何れ、チャクラ(法輪)にも気づくようになる。当然,基本の肉体も健康になる。
 アボリジニや、アフリカの原住民が、砂漠の中で容易に、水の在処を見つけ出す能力や、ダウジングで水脈をみつけだすのも、同じ原理の応用と言われる。視力があるのだ。エーテル体の目覚めと、こつが判れば少し判って来るのだそうだ。

 全ては繋がっている。ミタクエオヤシン。