2006年11月4日土曜日

砂漠のフルムーン


 ラジャスターン、王族の地。

此処はラジプット族の土地。スターンはウルドウー語(古代ヒンドウー語)で、国、土地を表す。

だからラジャスターン。

長い歴史の中で、圧倒的な武力を誇るムガール・イスラム(ムガール帝国)と戦ってきた「ヒンドウー戦士達」の誇り高い土地。

ここに、ヒンドウー教の「創造神ブラフマー」を祭った聖地がある。

仏教で言う所の、梵天である。インド文明の源に当たる。

伝説によると、「ブラフマー」が手にしていた「蓮の花」が地上に落ち、そこから水が湧き出して湖となったという。弘法大師みたいだ。

「花の手」という意味から、此処は「プシュカル」。

モスクやバザールが美しいイスラムの街、アジメールから一山超えた所にある小さな湖のあるオアシスの街。

 「ガヤトリーとサヴィトリー」と言う「ブラフマーの奥方達」の名を付けた、円錐形の山が見える。

遠くから見ると,まるでピラミッド。底面は円形になっていて、頂上には寺院が祭られている。

立体的な、3次元のストーン・サークルにも見えて来る。

中心は天に繋がっているという発想だ。

 有名なガヤトリー・マントラというマントラがある。ヒンドウーの人なら誰でも知っている。

「オーム・ブル・ブアー・スワー、(全ての光りの源なるものよ)」、という呼びかけのマントラだ。

このマントラの後に、様々なマントラを付け足すのだ。

朝日の祈祷には、いいマントラだ。太陽神、スーリアの祈祷によく使われる。

 プシュカルを訪れる人が必ずやってくるのが,プシュカル・レイク。

白亜の建物やガートに囲まれた、静まり返った、聖なる湖に沐浴してから、「ブラフマー」の寺院、真っ黒なご神体に参拝する。

ブラフマーの寺院は,面白い事に、如何にインド広しといえども、此処にしかない。

正に、紅一点の聖地。

寺院ではないが、タイのバンコックの中心、チットロム、丁度、伊勢丹の筋向かいの、エンポリアムの前の広場にも、「ブラフマー」は祭られている。

時々行くと、何時も、香が焚かれ、舞が舞われ、タイ人達が沢山参拝に来ている。

 一寸,閑話休題。

大分前に、あるインド人に聞いた話がある。古代研究家で、ヒンドウーの王族(クシャトリア)の人だ。王族の人は暇なのか、探求者、研究家が多い。
Burahuma(ブラフマー)というサンスクリット語のスペルに注目してみると一寸面白い事が判った。

語尾のaを言葉の一番最初にもって来ると、どういう事になる?

Abrahum、アブラハムになるだろう。ユダヤ教の最初の予言者の名前だ。イエスよりも何千年も昔の話だ。言霊的に面白い発見である。

先日、知り合いのイスラエル人にこの事を話したら、びっくりしていた。

彼は、インドへ何度も行っているから、ブラフマーの事は知っている。

その事と、アブラハムとに何らかの因果関係があるかもしれないという事に驚いていた。

恐らく、イスラエルで気付いている人は、皆無かもしれない。

だが、ヒンドウー好き、インド好きのイスラエル人(つまりユダヤ教嫌いのイスラエル人)には、もう、この話は伝わっているだろう。

イスラエル人達は、当然の事ながら、イスラム世界には入れてもらえない。

どこでも入国を拒否される。

当然、寛容な、仏教、ヒンドウー国が興味や探求の対象になる。

 インドの歴史や神話の時代は、最も古い。特に、サンスクリット語は最も古い言語の一つ。

多くの言語が淘汰されて行く中で、生き残ってきた。

言語としては使われていないが、ヒンドウー教、タントラ、ウパニシャッド、神話、あらゆる文献の多くが、サンスクリット語を使っているからだ。

因に、ブッダはパーリー語を使っていたそうだ。タイでは、全て,オリジナルのパーリー語の経文を使っている。

タイではブッダが生きていた時代を、そのまま、現代に持ち込んでいる。

 故に、「ブラフマー」、創造神が何らかの力で、ユダヤと接触があったのではないかという疑問が当然出て来る。

勿論,今ではユダヤ教は、ヒンドウー教とは、一神教と汎神教、全く異質の別物なのだが、「古代に於いて、源に於いては、インド(バーラト、インドの正式国名)が何か関係していたのでは?」という研究を行っている人だ。「マハバーラタ」(偉大なるインド)という「クリシュナ」の叙事詩が5000年前と言われるから,もしかすると,もっと古い話かもしれない。

一寸、面白い話だろう?

さて、話を元に戻そう。

 修行を積んだヒンドウー教徒が結婚する時には、ブラフマーの許可をもらうのだそうだ。

だから新婚さんもよく見られる。

特にカーストの最も高い、最も敷居の高いバラモンクラスになると、悟りを得ぬうちは結婚等とんでもない事。

先ず、光明を得る為に、インド中を巡礼したり、修行したりしなければならないと言う。

全ては、それからの話。

 水は奇麗で、冷たくて,気持ちがよい。水の味はヒマラヤのガンガーの水と比べても遜色がない。

此処で沐浴して、バラモン(シャーマン)に清めてもらうと、浄化され、いいことが起こるのだそうだ。少なくとも、体中の細胞が入れ替わってしまう。

100ルピー取られたけど、何かいい事あったのかな〜?

まー、無事が何よりだから、100ルピーで無事が得られればいう事はない。

 毎年、11月のフルムーン(満月)の時期には、駱駝の市が催される。

タイでは、丁度、ロイ・クラトーン(灯籠流しの祭り)の時期になる。

50万頭とも、100万頭とも、それ以上とも言われる駱駝が集まってきて,売買される。

一方、人の方はというと、例年、少なくとも10万以上、時には20万以上もの人々が祭りに集まって来る。

何れにしても、数等、勘定できない程の無数のらくだが集まってきて、年に一度の祭りが開かれる。

 特に、極彩色のインド女性のサリーが、褐色の砂漠に映えて実に美しい。

エキゾティックな、美しさという面では、ナンバーワン!

在る意味で、ラジャスターンは最もインドらしい所かもしれない。

一寸,駱駝に乗って街を散歩してみよう。

観覧車や、大きなブランコが、サトウキビのジュースが子供達のお気に入り。

日本で言えば、お正月だ。

女達は、織物やサリー、宝石を物色する。

男達は、当然チロムを回す。駱駝に乗っていても回って来る。

無論、何人かの女達も子供を何処かに預けて、チロムのお相伴。

町中にいい香りが染み渡って行く。

 あちこちで女達が踊りだす。

それは見事なものだ。基本はあるのだろうが、全てアドリブだ、近寄ってきては媚を売る。

その艶やかさ、美しさはインド独特のもので、まるで女神達が天から舞い降りてきたかのようだ。

肌を見せずに、男達に色気を振りまく。裸の踊り以上に色っぽい。

強烈な、熱砂の舞い。

足や手につけた、ブレスレットやアンクレット、ネックレスが、裸足の足を大地に踏み鳴らす程に、シャン、シャン、シャンと踊りに合わせて歌いだす。これには,魅了される。

砂漠に設置されたテント張りの、小粋なチャイ屋やレストランからも飛び出して来る。

次から次へと、躍り出て来る。まるでアラビアンナイトやヒンドウー神話の夢を見ているようだ。

タブラのビートがスピリットを煽りたてる。

 チャイを、一杯頂こうか。

駱駝を下りると、チャイが回って来る、

チロムが回る。ボム・シャンカール!

ジェイ・ラム、といって、又、次の人に回す。

決まりきったように、何処から来た? とか、プシュカルはどうだ?

どこに行ってきた? ヒマラヤはどうだ? チャラスは旨いか? ビスケット食べるか?

ほら、ナーンが焼けてきたぞ! ダール(豆のスープ)、サーグ・パニール(ほうれん草とチーズのカリー)はどうだ! 

みんな子供のようにはしゃぎ回る。

腹一杯食べた上に、チャイを三杯も,おかわりしてしまった。

ヒンドウーの聖地では、食事はヴェジタリアン。

卵、ミルク、チーズを除き、肉料理はまずない、

だが,こんなうまい食事もない。特に,インドの中でもラジャスターンの食事は旨い。

健康にもいいのだ。心身ともに喜びが溢れて来る。

年に一度の、天国巡礼。

善哉、善哉。

 ヒンドウーの祭りだから、アルコールを飲む人は居ないし、最近はどうか判らないが、観光客向けの一流ホテルは別として、ビールすら売っていない。

20年以上も前に解禁され、アルコールは、今や違法ではないが、ヒンドウー教やイスラム教とは相性が良くないようだ。あらゆる問題の元凶になるからだ。

 以前、ロンドンのインド・レストランで、客がビールを出せとごねていた事があった。

真っ当なインド・レストランでは,ビールもアルコールも出さない店があるのだ。

その分,マンゴージュースやライムのソーダ、チャイは旨い。

特に、インド文化は何千年以上もアルコールなしで成り立ってきた文化である事が全く判っていない。和食や洋食には合うかもしれないが、インド・カリーにはアルコールはフィットしそうもない。

 特に「ヒンドウーの聖地での祭り」では,ガンジャやチャラス(ハシシ)が,真っ当な嗜好品となる。何も、問題がないからだ。古代からの伝統なのだ。これは、永遠に続きそうだ。

 3時間程、駱駝を借りたので、駱駝に乗って砂漠を一寸散歩してみよう。

砂丘の美しさには,脱帽する。まるで,全裸の女性の寝姿のようだ。

一歩、一歩,その美の中に,駱駝を進めて行く。

駱駝はおとなしく、いう事も聞いてくれ、いい子だった。

もっとも、進めと止まれ、たまに方向を変える事、だけだったけどね。

砂漠では、駱駝が唯一のパワー・アニマル。スタミナも十分。

人や荷物を載せて、一日中歩いていられる。

車等、全く役に立たないし、第一、砂漠には、ガソリンスタンド等、皆無なのだ。

プシュカルの街は確かにオアシスなのだが、一歩街の外に出れば、延々たるタール砂漠。

ジャイサルメールからパキスタンまで続いている。

 それは,とても気長な旅になる。パキスタンまで一ヶ月以上かかろうか? 

どのくらいかかるか見当もつかない。
小一時間歩いても,大した距離を進んでいない。
下手な所に入り込むと、ずぶずぶと駱駝の足が砂に潜って行く。

駱駝も心得たもので,すぐに抜け道を見つけ出す。
人が歩いたらどのくらいの時間が必要だろう?
それにしても,砂漠の風紋,砂丘の形、100%自然なのが信じられないくらい、美しい。これは神々の美学の現れ。

なんだかんだ言っているうちに,サンセットの時間。世界が一段と赤みをましてきた。そのうち世界が真っ赤になってきた。東の空から月が顔を出し始める。