何時もの、ラーメン屋さんへ朝飯を食べにいった。
注文するのは,「バーミー・ヘン(汁なしラーメン)」。
おいしい上に,値段もいい。
最近では,味にうるさいインド人達も食べに来る。
スープの代わりに、黒い焼豚のたれ、それにナンプラー(魚礁)を少し、そして、酢の利いた唐辛子ソースも一寸。ネギやパクチも効いている。
これで、ペルフェット。
東洋のパスタの妙。
複雑なハーモニーが旨さを引き立てる。
宇宙を食べるようなものだ。
程よい,酸味,辛み、渋み、苦み、甘みが調和して、旨味が引き出されている。
現代風の「粋な味」と言っても良いだろう。
そして、旨ければ、当然だが、何時も繁盛している。
日本語の「商売繁盛」の、暖簾(のれん)もぶら下がっている。
日本からの旅行者に出会った。
「良いですねー、タイは!」
いつもの通り,汁なしのラーメンはうまい。麺も、湯で加減もちょうど良い。
「何が,何処がという事は特別ないんですが・・・・・。」
「何というか、この空気、雰囲気、寛ぎますよねー。今まで何をしていたんだろう、と思ってしまいます。」
「気付いた時が、誕生日ですよ。」
「なにか、不思議な安心感がありますね。」
「それは、きっと、世界中の誰しもが,望んでいる事ではないのかなあ・・・・・、自分という山を越さない限り、道は見えてこない。
でも、自分という山を越す前に、皆、自分を消耗して、くたばってしまう。生に出会う前に・・・・。貴方は,運良く、それに出あったのかもしれない。
それと、もしかして、呼吸がゆっくりとなってきたのと違いますか?」
「確かに,海や島、森林、観光地は、素晴らしいですが、それよりも、何かに注目していない時、そんな時、南国の所為かも知れませんが、生命力が生きていて、其れに気づいたのです。心に、少しゆとりができてきたように思います。身体も心も目が覚めたような気がします。
日本なんかは、割と何処もきれいじゃないですか。だけど、何か、お座なりで、生きていないような気がします。
物質主義、形式主義ですかね。ものばっかり生きていて、人は死んだまま。つまらないんですよ。
ここは、ものではない、何か実質的なものがあるような気がします。本当に、豊かだなと思いますよ。ゆったりとしている。
人々の表情、子供達が遊んでいる様子、子供達の目、南国の気候、蓮の花、緑のジャングル、ヤシの木の森、犬や猫の様子、みんな幸せそうで、初めて美しいものを見た感じです。インスパイアされて、生きる意欲が自然に湧いてきたような気がします。スピリットですかね。」
「人が成長するに際し、法則があるんです。
親や社会、教育、家庭によって、子供の頃から、条件づけられる観念があります。
其れは,何処の国でもそうでしょう。
その段階で、無意識に観念づけられていたら、当然、ひとの自由は阻害される。
「価値観の硬直」が起こってしまうんです。物事の一面しか見えなくなってしまう。
人のマインド、心も、その条件づけに沿ったものになる。不自然ですよね。
環境に依る条件づけ、伝統、習慣、全て自分のものは一つもなく、外部から押しつけられる。
それは、社会的な便宜。本質的なものじゃない。
だが、その社会で生きるには重要な道具となっていますよね。
言ってみれば、鳥かごみたいなものです。
だが、一概に、鳥かごを非難も出来ない、だってそうでしょ、
一方で、その鳥かごに、守られてもいる訳だから。
物質主義でも何でも良いじゃないですか。ものに罪は無いですよ。
主義に問題がある。
生は主義とは関係がない。主義が真実を覆い隠す。
主義の中でだけ、主義は生きる事が出来るかもしれない。
だが,現実には、どんなシステムも、哲学も、主義も即さない。
現実に必要なのは、洞察力。
虚構は必要ない。かえって邪魔になる。
主義とはマインドのゲームにすぎない。思い込み、仮説の投影ですよ。
だから、世界中が虚飾におおわれ、それが現実と思ってしまう。
むしろ、貴方に責任がある。と考える方が、簡単ですよ。
「価値観の硬直」が、一面しか見えなくしている。
生活がマインド・ゲームになってしまった。
又、便利な道具、合理性が、人の主人に成ってしまうことが起きて来る。
気づかれたかもしれませんが、人のマインドというものは、極端な事に魅了される。
中庸にいたら、マインドは居場所が無くなってしまうからです。
マインドからすると、それが怖い。でも、そこが私の好きな所。
無心は賢いですよ。
一方の極端ではなく、両極を見る事が出来る。関係性も見えて来る。
そこに鍵がある。
それが、本当の世界への鍵。何時も、生き生きとしている。
一度は、鳥かごからでてみたらどうですか?
その意味では、旅を通じて、本質的なものの一部を垣間みる事が、たまたま出来たのかもしれない。それは自己発見ですよ。
貴方の中から、余計なものが落ちて、マスト(MUST)が落ちたのかもしれない。
旅においては、自分の過去や思い込みを、忘れられますからね。
そこから、再構築を初めても良い。
粋でなくては、つまらないでしょう。
粋(いき)の源は、ある種の無関心性、無目的、そして遊び心が、表に現れている事、と聞いた事が在ります。ランクの高いお洒落です。
その上で、生,息、意気、行に関与する事だそうです。
一言で言えば、粋(いき)とは、生きるという事です。
何故そう成ったのか、よく思い出せば、その方法も判るじゃないですか。
マインドも旨く使う事が出来るようになる。ものや道具も旨く使えば良い。
その「こつ」を、利用しない手は無いですよ。
プログラミングされた思考体系から、一歩、進めて、未知へと入っていくチャンスですよ。
新たな現実と、洞察力が手に入る。本当の自分に出会うチャンスですよ。
それは、本当にかけがえの無い事。
理解が深まると、言葉は忘れるものです。説明するのが大変なんです。
知識も、深刻さも、マインドもね!
でも、こうやって、街に戻って来ると、言葉を思い出す。(笑い)。
いまでは、その事が、両方が面白い!
貴方は気づいていないかもしませんけど、開放的になっている。
無防備に近く、今、ここにいる。
今、現在という時間の一点は、永遠に触れる事が出来る、唯一のポイント。
唯一、リアルなもの。
そして、「私」という感覚が希薄になっている。頑張っていないからですよ。
これは、宇宙法則、無心で、受け入れれば、あらゆるものが味方に成るってことで、敵は、問題は、否定性から生じて来る。という事なんです。」
「このラーメンうまいですねー! 初めて食べました、さっぱりしていて、こくがある。」
「ナンプラーで旨味が増してくる、こんな便利な調味料はないですよ。ほんの一寸の事、なんだけど・・・・・。食べるときは、楽しみながらたべる。食べている事そのものになって、自分を忘れる程に・・・・・。身体はマインドよりも賢い、より、現実的で、真実ですよ。」
「一見,調子っ外れのものも、包括すれば、ハーモニーが起こるんですね。」
暫く、のんびりしてったら良い。
例え、それが一日や二日であっても・・・・・。
何千、何万のもの生よりも、貴重なものとなる筈ですよ。
開放性を訓練していったら良い。
ゆったりと休み、目を開ければ、そこは春。
ここは、花がいつでも咲いている、普通の国。
そして、何でも無い国。
貴方が笑えば、世界も笑う。