タントラの語源は、織る(トラ)と言う言葉と、広げる(タン)と言う二つのサンスクリット語で出来ているそうだ。それは、地上最古の言語だ。
それは、意識の織物、縦糸と横糸とを織り込み、拡張する、という意味にもなる。
一方、英語のWebには、織られた布地、と言う意味が語源となっているそうだ。
それが、今や、インターネットのワールド・ワイドなWeb となっている。
Web には、そのような意味がある。そこに最古と最新の出会いが在る。
織物には、デザインされた意味や言葉がある。
パターンや模様、色合いにはメロディーがある。
自分たちの部族の象徴でもあった。そこに文化的な誇りがあった。
織物の美しさ、見事さ、技術力の高さは別にして、ここに幾つか紹介しているものの他にも、花、動物、魔物(ガルーダ、竜、鳳凰)、そして何千年にも渡って受け継がれてきた、伝統的に受けつがれてきたアラベスクのような、モチーフがある。
それは、織る人の環境、スピリチュアルな信条や心情をあらわしている。
そこから、メロディー、ハーモニー、リズム、そして歌が生まれてくるのだ。
織物は、文化の源なのだ。
勿論、伝統的な織物は、糸一本から染め、そして様々な色の糸の組み合わせを織り込んでいく。
大変な手間と時間、労力が必要になる。
いわゆるプリントされた布地は、織物とは言わない。
これらの織物は、現代の我々とは違う時間のなかで、ラオス、タイ、ミャンマー、アッサム、チベット、雲南、ブータン辺り、文化的にも、今、世界で最も注目されている地域で、伸び伸びと織られてきた。
日本にもそういったものは沢山ある。
織物は、着物だけではなく、毛布,ショール、織ったマンダラ、ロンジー(ルンギー、巻きスカート)は、全て実用品だったということである。
和服の原点でもある。
実用してこその、晴れ着なのだ。
実に素晴らしい事ではなかっただろうか。
よく見れば見る程、様々なものがみえてくる。
それは、今では失われつつある文化や、生活のあり方を表している。
そういう訳で、昔の本物の織物は、今ではべらぼうに高い。
宝石以上の価値がある。
暫く前に、あるコレクターのインド(アッサム)のナーガ族の織物を見てきた。
大切に、保管されているようだった。
私も、昔(20年以上も前)、ラオスのお婆ちゃんからもらった、小さな素敵な絹の織物を持っている。宝物だ。
テキスタイル、織物というと、主に、女性の趣味が中心となるのが常識なのだが、ことアジアの織物にかんしては、様々な文化、歴史、宗教、部族といった複雑な要素が絡み合っていて、男性の研究家も少なくはない。
探究心をあおると言う事もあるし、デザインが魅力的だからだ。
多くの残された古代の織物は、博物館、タイの企業の応接室、政府高官の居間、
に鎮座し、或は、欧米人が高価な値段で買いあさっている。
それも数すくない。
幸いな事に、まだその卓越した技術は完全に失われてはいないが、昔のクオリティーには及びもつかない。