2006年10月12日木曜日

提灯のある暮らし。


 提灯は日本語だが、中国でも、ちょうちん、と発音するらしい。

もともと、中国から渡ってきたものらしいが、タイやラオス、ヴィエトナム辺りでよく見られる提灯は、中国のものに比べて、シンプルで落ちついた感じのものが多い。

竹は南アジアの特産品。

一寸、イサム・ノグチのフィーリング。

けばけばしくないのが良い。伝統的で、しかもいつの時代にも新しい。

出来れば、無地で何も書いてないのが良い。

 細い割り竹の輪、或は、螺旋状に回した竹の骨に、紙や布を貼った照明器具。

誰でも知っている。

目の粗い麻布の提灯も風情があっていい。

かつては、ろうそくを灯したものだったのだろうが、最近は勿論、電球をいれている。

タイ、ラオス、ヴィエトナムでは、未だに使われている。

屋外で使う時には、ビニールを上にかけて、水で濡れないようにしている。

 昼間はともかく、夜のしじまに、提灯の明かりはいいものだ。

光源を、ぼんやりとさせ、光の質を、粋に和らげる。

間接照明の効果がある。

特に、日差しの強烈な南アジアの昼間から比べると、夜は、まるで別世界になる。

一日の半分は夜なのだから、夜は大切に味わいたい。

裸電球や蛍光灯では、気分は盛り上がらない。

 木や紙、竹、布や石、畳、ござ、わらで葺いた屋根、というと、非常に日本的な家具の材料だが、南アジアでは、そのようなシンプルで、気持ちの良い家具は、いまだにつかわれている。

南アジアは、和風文化ということになる。

日本の文化の多くは、南アジアに起因すると言っても良い。

だが,日本だけのものではない。

 ラオスのござ等は、黒をアクセントとしたデザインも素晴らしい。

手で編んだものがいい。

センスがいい。

欧米人にも,タイ人にも人気が高い。

 なんてったって、「御座」というくらいだから、本来は高貴なものなのだ。

寒い国では、絨毯だろうが、暑い国では、御座、がいい。

提灯の明かりの下、御座でも敷き、夜空を眺め、一服したり、寝転びながら、一杯やったり、或は、月餅や、茶菓を摘みながら、お茶を楽しむ。

これは楽しい。

 電化製品を始めとする、いろいろ文明の利器も、それは便利で、大したものだが、シンプルな自然の素材の提灯、家具や家は、何時の時代になっても、きっと良いものに違いない。

 人は本来、自然の生き物だから、どうしても自然なものに愛着がわく。

自然と生、生は自然,自然は生、他に行き場は無い。これだけは明白だ。

このことは、人が地上に、この世に生きている以上、未来永劫に続きそうだ。