まだ読んだ事はないが、「郵便配達は二度ベルを鳴らす。」という、印象的なタイトルの小説があった。
この小説の場合、ベルは呼び鈴であるが、ベル(BELL, 鐘)は、仏壇にもあるし、お寺にも、教会にもある。
口が広がっているもの、例えば、百合の花やチューリップ、スズランの花冠もベルという。
釣り鐘草という、形がそのまんまベルの名の草花もある。
良い環境、良い空気の事を、ベル・エアという。
裾が広がったズボンもベル・ボトムという。
レース用のエンジンについているキャブレター(今なら、インジェクションだね)にも、ベルマウスという、空気吸入口がある。
そこから、エナジー(空気)を取り入れる。
その他には、膨れるという意味もある。
そこからは、BELLY(ベリー)となって、腹、という意味に成る。
ベリー・ダンスというのを御存知?
元々の言葉の意味は、吠える、という事らしい。
だが、言語上では、良いという意味にも変化している。
フランス語ではベルは、Belleとe が余分につくが、美人の事をいうそうだ。
又、ベル・エポックと言うと、古き良き時代、という事になる。
日本語には、末広という、縁起のいい言葉もある。
末広はベルだ。
富士山の姿が美しくみえるのも、富士の形がベルで末広だからだ。
イタリア語で、ベッロ、ベッラは美しい、或は良いという意味になる。
鐘、ベル、キリスト教でも鐘を使うが、どうもその形に意味があるらしい。
あの形から、あの、いい音色が生じて来る。
本当に良い音、心地よい音、さわやかな音、クリアで透明な音は、身にしみる。
心や魂にまで届くような音もある。
最近、水晶をくりぬいた鐘もあるという。
最近よく聴く音楽CDに「Harida 」という、音楽グループ、プレイヤーがい、
その中に、「スピリット」という曲があり、内容は、何種類ものベル、鐘を静かに鳴らしている。
10分以上の長い曲だが、ベル、鐘の音と音との間の無音の間合いが絶妙で、スピリットを感じてしまう。
管楽器の口先も、皆、ベル型だ。
音響効果に影響を与える形なのだ。
ベルは波動原理の重要な役割を担っている。
鐘はないが、イスラムのモスクの屋根も、イスラム流だが、いわばベル型。
内部も、説法がよく響くように、音響工学的に計算されている。
鐘の音の代わりとなるのが、アザーン、礼拝への呼びかけ。
それが、一日の中での節目になり、生活にリズムが生じて来る。
ヒンドウーでも仏教でも寺院に行けば、誰でも成らす事が出来る鐘がある。
自分で,意図的に鳴らすと効果は少ないのだけど、予期していない時、突然鳴ると、音質にもよるが、瞬間、異次元に入ってしまう。
いい音はいい。
知覚に有効な刺激となる。
鳴る以前に何を考えていたか,という事は奇麗さっぱり覚えていない。
後に残るのは,虚空、空性。
どんな印象が起きるのかな?
そこに、スピリットが入って来る余地が出来る。
タントラには、名言がある。
『音が存在する。音が存在するためには、無音がなければならない。』と。
スピリットが入ってくるには、空性が必要だ。
暫くの間は,その空性は空虚に感じるが、やがて暫く経つと、空性は充満して来る。
ディナジー(DINERGY, ギリシア語のDIAとENERGYとの合成語、超越のエナジー、未だ最近の辞書には載っていない。波動原理から生じた言葉だが、使われつつある。知る人ぞ知るという最新の言語。いつか,詳しく説明しよう)を感じてしまう。
そんな経験はないだろうか?
風鈴の中にも,ベル状のものがあり、タイ等ののお寺によっては、屋根の裾の辺りに幾つか風鈴を下げている所もある。
夕涼みの頃、そよ風が吹くと、えも言われぬさわやかな音色を奏でるのだ。
ベルは、波動力学(ウエイヴ・メカニックス)の真髄を象徴する形なのかもしれない。
私も、朝起きてから、よく古代のチベタン・ベルを、チーンと鳴らす。
朝の目覚めが、とても良いからだ。
そして、何よりも,環境の波動が整うのだ。
一見、UFOの形をした二つのベルをあてて鳴らすのだが、古代の正式のものは、五種類の金属(金、銀、銅、錫、後一つは判らない)の合金で出来ているそうだ。
見た目は一寸薄汚くも見えるが、純金、純銀のものよりも、澄んだ、きめの細かい、透明感のある波動をもっている。
しかも、良くうねる。
複雑な神経組織のような合金の相互作用が、神秘な音を生むのだろう。
波動とは良く言ったもので、音が生じると同時に、生じた所を中心にして、波が起こり、動き始め、四方八方に、上下に、波紋が広がっていく。
音の質次第で、波が動き、遠くへも届くのだ。
通信の元祖でもあった筈だ。音楽や、浄めの方法でもあったろう。
石(ストーン)や人の体、意識のスピリット・エナジーを高めるシナジー効果もある。
ある種の波動の響きは、スピリット・エナジーを自由に活性化させる。
呼吸の質も変わる。
その意味では、人の体は、電磁波の潮流(スピリット・エナジー)、そして音と光の波動を基本にして成り立っている。
形は違うが、ベルに似た効果を持つものに、鈴がある。
多くは、金属、陶磁器、素焼きのものや木製で出来た中空の玉で、細長い切れ目が下方にあけられ、中に小さい玉が入っている。
日本では、神事にも縁起物としてもまだ使われている。
古代アジアのシャーマニズムに用いられ、呪力があるとして、また、縁起の良いものとして、今でも装身具にも用いられる。(アンクレット、ブレスレット等)
起源は、自然に出来た「鈴石」といわれる。
4〜5000年以上もの昔から、現代まで使われていて、コロコロとした音色を出す。
それは、天然に出来た、ストーン・イン・ストーン、石の中の中空に石が入っているもので、いまだに、ボン教、ヒンドウー世界では使われているそうだ。
他にも、ヴァリエーションとして、鐸(たく)がある。
釣り鐘状の形を持ち、中に、舌(ぜつ)と言う音を出す仕掛けを入れてある。
金属製、木製がある。
日本には銅鐸があった。
一寸、話を脱線させると、銅鐸に描かれた絵は文字であったそうな。
漢字や仮名以前にも、絵文字があったという事らしい。
すでに解読されているそうだ。
話は、又、脱線するが、マインド・ジョグしてみると、銅の文化の起源は、メコン川流域の、タイのイサーン(東北)にあるといわれる。
ラオスとの国境沿いにある、メコン川流域である。
ここから、銅の文化が、世界中に発信されたと言われている。
インドにシアに伝わるガムラン音楽は、その伝統を踏まえ、全て、銅で出来た楽器を使っているそうだ。
今や、ガムラン音楽は、その不思議な音楽構成とサウンドで世界中に浸透している。
木製の鐸は、近くの喫茶店にもあって、たたくと、のどかな朴訥な音色がする。
かなり、古そうだ。
お茶や飯の時間の合図にはぴったりだ。
その音色と、エスプレッソ・コーヒーとが妙にマッチする。
今でも鐸は、あちこちで、見かけられる。
古代から、脈々として続いてきた伝統が、最新の現代物理学では、波動力学として、新たな世界を開き始めている。古き良き時代(ベル・エポック)が、新しく蘇っている。
気ずけば、あらゆる日常的な些細な事にも、古代の新鮮な英知が隠れているやもしれぬ。