2006年8月17日木曜日

ストーン・ドリーミング。


 自然とは、波動である。
波動は響き。
サウンダリア「サンスクリット語)、波動。
古代の人々は、あらゆるもの、あらゆる形あるもの、はそれを通してやって来た、と言う。
それは、今でも続いていると言う。
 
 光も音も、波動である。
それは、電磁気様「エレクトロ・マグネチック)に変化する。
その波動は、宇宙のあらゆるところ、あらゆる方向に染み込んでいく。
逆に、光と音に変化することもあるそうだ。

 電磁気エネルギーは、未だに神秘の内にあるのだが、電気、磁気、光、音、熱と言った、物理的な力の下に隠れている、と言う。

 そのエネルギーを、ヒンドゥーの人々は「プラーナ」と呼び、空気とともに呼吸することを通じて、生命が生じると考えている。
それは、スピリチュアル(霊的)な、エーテル・エネルギーである。
ネィティヴ・アメリカンの人々は、「グレイト・スピリッツ」と言う。
チベットの人々は、「ルン」と言う。
日本だったら、「神気」と言うかもしれない。
ラテン語では、呼吸の事を「スピリトゥス」と言う。

 スピリチュアルなセンスでいえば、そのスピリット・エネルギーを、私達は、呼吸を通して、あるいは、他の感覚器官を通して、取り入れている、と言う。
人の体は、電磁気の経絡(サーキット、ナディ)と、波動のエネルギー、プラーナとで成り立っている。
 
 「石は最も古くからある神である。」
スー族のメディスン・マン、クロー・ドッグの言葉である。
ラコタの人々に、なぜ、石が、聖なるものか? と訊けば、
「そこに、スピリットが住むからだ。」と即座に答えるだろう。

 ヒンドゥーの人々、仏教、スーフィー(イスラム密教)の人々も、言葉こそ違え、おなじ意味の事を言う。
いい石を持っていると、プラーナが集まってくるのだ。
 
 それは、ケルトの人達の意思の舞(ストーン・ヘンジ)や、エジプトやインドの人々が、石の塊に、スピリットをみて、その姿を掘り出したのと同じである。

 ラコタの人々は、大きな岩山を信頼のよりどころとした。
モンタナから、アメリカの中西部にかけて、いくつもの、大きな岩山がある。
近くまでやってくると、力と安らぎを感じることが出来る。
ヒマラヤやエアーズ・ロックも同様である。

 そこで、岩山や、石を通じて、スピリットの声をきくことができるのだ。
それは、癒しと、夢見、展望(ヴィジョン)を可能にしてきた。

 石が好きな人、石に神秘を感じる人は、多少なりとも、石の声を聞いている。
パワーとまでは行かなくとも、コンフォートな感じを見つけている。
そのコンフォー感は。その人の、潜在意識と石のスピリットが調和している、証である。
なんとなく、いいというのが最高だ。
高価な宝石が必ずしも、コンフォートに繋がるわけでもない。
夢を見るための石、スピリットを感じるための石、癒しの石、ヴィジョンを引き出すきっかけになる石。

 山の中、砂漠、川のほとり、海の近くでも、自然が豊かなら、いい石が見つかる。
手ごろなサイズがいい。