2006年7月15日土曜日

アクエリアス。


 暑い国にいると、どうしても水が恋しくなる。
水の流れる音や姿は、最高の環境音楽であると思う。
タイには、水瓶、或いはおおきな壷に、噴水の仕掛けを組み込んで、常に水を溢れさせている姿が、よく見られる。

 程よく、水が吹き上がり、水が溢れて、流れる様は、見ても聞いても美しい。
別に、鯨の潮吹きのように噴水の頂点をやたらと高くする必要はない。
湧き水、泉といった感覚がとてもいいのだ。
それは、心や意識の残存物(これが沢山たまりすぎると、病気と言われる。)を洗い流して、あらゆるものが美しく、ポジティヴに見えるようにしてくれる。

 暫く、噴水の音楽に心身を委ねていると、いつしかストーンな意識に入り込んでしまう。
噴水と言う現実は、瞑想導入効果を生み、望んだ結果を呼び込み、楽観性が生じてくる。
それは知性ではなく、直感の経脈を通じて起こってくる。 それは、知性とは関係がない。
知性や知識は、外から入ってくるが、直観は、直感を通じて、内なる核心から、起こってくる。
そして、創造性が起こり、それには際限がない。
その意識が続いていく限り、事態は好転していくようになって来る。
圧倒的な波動と安心感が、イニシァティブをとり始める。

 それは自我と言う平常の意識を別にすれば、あらゆる種類の意式、次元、自律神経とも直に繋がりが生じてくる。
つまり、自分と周囲や対象との関係性、そして時の流れ方も変化し始める。
よくあるように、対象や対立した物事の一方,又は一部だけを注目して、他方をさけたり無視したりするのではなく、また、普段のストレートな、観念にしがみつくこともなく、両者を超越出来れば、大きな現実と言うなかの二つ、或いは複数の位相と見ることも出来る。
それが出来れば、あらゆる問題解決の、少なくとも、糸口となっていくはずである。
というのは、多くの問題は現実そのものに根ざしていると言うよりも、自我が現実に対して持つ、思い込み、概念、思考法に根ざして、真実が歪んでしまうことにあるようだ。
 
 自我の特徴として、「あれか、これか?」と言う、ハムレットのように、疑問符のついた論理が生じてくるが、ストーンな意識(宇宙意識)は、{あれも、これも受け入れる。」 ことが出来る。

 私の気に入っている噴水が、インドのカジュラホにある。
いつか紹介しよう。

 時は今、アクエリアス、そのうち世界中で噴水がはやりだすといい。
もう暫く、水の流れるさまを聴いていよう。