2006年5月2日火曜日

プライヴァシー。

 丁度、種が土の中にあってから、始めて育ち始めるように、人にも闇が必要だ。地中のプライバシーがいる。そして、知は闇の中で、成長を始める。全ての深い親密な関係や、微妙な関係は内側に留まる。それには、プライバシーが必要だ。それは、孤独ということではない。「単独」なのだ。カップルだったら、二人だけでいられる場所が必要だ。

 日本語には、プライヴァシーに相当する、適切な言葉が少ない。しいて言えば、私事。なんとなく、軽く見られてしまう。文化的にも欠落している。だから、プライヴァシーと言う英語を使わなければならない。

 人は、時によっては、自分と言う中味の一部を他人に見せなければならない事もある。だが、勿論、全てを見せる必要はない。又、心ある人なら、言いたくない事まで知りたいとも思わないだろう。幾つかの、言いたくない秘密の事はあっていい。と、言っても、悪事と言うことではない。人の心は、実に微妙なのだ。自由は、誰にでもある。土の中にしまって置く事だ。神秘のままにしておく。

 嘘をついて、その秘密を守ろうとする場合もあるかもしれないが、人は、そのことに気ずいているだろうか? 嘘も方便、と言う、都合の良い言葉もあるが、出来る事なら、嘘をつかずに事を収めたい。嘘は、魂にとって、考える以上に、大きな負担となり、いずれ、大きなストレスとなっていく。

 瞑想を通じて、静寂の言葉を学ぶと、問題は少なくなるはずだ。プライヴァシーが、きちんと守られていないと、人は無理やり、地中から引っこ抜かれた大根のように、干からびて、瑞々しさは失われてしまう。

 山の価値、力とは、高さや存在感にだけにある訳ではない。その裾野の広さ、水を集める、谷あいに価値があるのだ。