人には、選択の自由がある。人は自然な生き方と不自然な生き方との二つの生き方が出来る。現代人に取っては、不自然なものにも、魅力がある。それは、一見、新しく、冒険心をそそるからだ。
自然とは、理解があれば、何もする必要がない、と言う意味もある。タオ(道)の人が、無為(ウーウェイ)と言う、行為の事だ。物事は、人が心配しなくても、様々な事が起こっている。
人は生きる為に、様々な行為をする。だが、行為は、常に表層に留まっている。そして、内なる中心においては、賢い人の意識は、常に自然である。心が曇っていたら、晴れた空や星を見る。心を澄ませば、自然は、何時も語りかけてくれる。大切な事は、意識的な心(無心)と、無意識な心(潜在意識)とを繋ぐ、通路(パッセージ)を見つけ出す事。
宇宙はそれ自体が円を描き、丸い地球を創り、丸い月、丸い星、丸い太陽を創っている。虹も、地平線も水平線も丸い。丸い物の中に、丸いものがあり、その又なかに、丸いものがある。全ては、繋がっている。
それは、延々と留まる所を知らずに続き、始まりも終わりもない。時はただ流れ、時間はない。時間とは、マインドの作用なのだ。回転すれば、輪廻、精神の作用となる。
人間の身体にも、動物の身体にも。植物の成長にも、角ばっているところはなく、丸く、或いは、らせん状に成長する。自然に沿ったものの見方や考え方によると、世界は丸く、輪のような円である。世の力は、常に円、丸を通じて働く。中心から、周辺までは、等距離であり、何処にも、角がないから、平和である。それは、美しい。
あらゆるものは、究極的には丸い形を取ろうとする。みかんもりんごも、すもももマンゴーも、ココナッツも丸い。この世は、実に良く出来ている。自然とは、全て丸く生きる事に他ならない。
茶椀のお茶を上から見れば、丸い。お茶は緑茶でも、紅茶でも、ジャスミン茶でも、どれでもいい。所で、私は少々変形の茶椀を見たことが在るが、四角い茶椀を見たことがない。緑茶の緑と、茶椀の温かさ、器、全体の重さを通じ、その「丸さ」が、宇宙に波動として伝わっていく。お茶を飲む事で、宇宙と交信している事に気ずいた。
たった10cmそこそこの、茶椀の円形には、大きさを超えた、あらゆる概念を超えるものがあった。人の感覚は、求心的に、限定的な、制限されたものとなり易く、一定の感覚だけが鋭くなりすぎてしまうきらいがよくある。丸を、外側から見ることも、丸の中心から見る事もできるのだ。そうすれば、よりリアルなヴィジョンが訪れるというものだ。
丸はゼロにして、しかも全体。丸は、一本の線で一筆書きで描ける。
2006年5月1日月曜日
丸
時刻: 10:05