2006年3月14日火曜日

バランス(均衡)

 真の強さは、剛ではない。
真の強さとは、柔軟さの事だ。

 バランスは目先の上での、頂点でも、見かけ上の窮みでもない。
どん底でもない。そこには、ゆとりがないから、バランスは難しい。

 丁度よい事、復元力のあることが、バランスの条件となる。
復元力と言う、リザーブなくして、バランスは無い。
中心がキマッている、と言うことは、バランスをとり、しかも、回復する能力、復元力があると言う事。
基盤があると言う事は、地に足が着き、重力に従っているということだ。

 「生」を別の言葉で表現すれば、「絶え間ない変化」である。
一瞬一瞬、変化に対応したり、時には先手をとって、クリエイティヴになる必要がある。
また、何らかの揺さぶりに対しても、動じない、腹の座りも重要だ。

 つまり、頭は使うもの,腹は座るもの、そして心は、生きるもの。
そこから、センスやスピリット、心意気が、自ずと生じてくる。
 
 相撲を見ていると、最近のモンゴルのお相撲さんは、バランスが良い。
足腰もよく、柔軟でバネがある。
子供の頃から、馬に乗ったりするのでバランス感覚が、自ずと付いているのかも知れない。
昔の小兵の名力士, 栃錦、若乃花、千代の富士、最近では、舞の海と共通するなにかがある。
勘が良い事、スピリットがあること、そして、スピードとキレが良い事、バランスがよいから、復元力がある。( K-1の選手にも、モンゴルのいい選手がいた。)

 だから、相撲が面白い。見ているだけでも,臍下に気合が入る。
又、あわせ技と言う、高度な技もでてくるというものだ。

 この世は、双極性、対極性で成り立っている。 
人は光と闇との両方を生きる。
もし、闇が無かったら、人に成長はない。
例えば、植物の種が土の中にあって、地中の闇の中にあって、初めて成長し始め、根を、地中の闇の中に広げ、そこで、さまざまな栄養を吸収して、枝葉や、花や実を咲かす事ができる。
「知」は、闇の中で成長し、闇の中で、くつろぐ事ができる。
光へ向かう力をえるのだ。
もし闇がなかったら、ぐっすりと眠る事も、光に向かう事も出来やしない。

 人があるものを否定すればする程、究極的には、皮肉にも、その否定した物事に、近くずいていく。
又、美しくなろうとする努力が、あまりに過ぎると、自ずと醜さが、生じてくる。
頂点は、転換の始まり、又、待つ時間は長く、楽しい時間は、あっと言う間に過ぎ去っていく。

 有効な行動とは、静かな心と、「今、ここにいる。」と言う、クリアな存在意識から、自ずと生じてくる。
そして、その事から、安らぎが、生まれてくる。
一石二鳥だ。 落ち着けばいいのだ。
実に簡単だ。

 すべてに対して、光にも、闇にも、心を開くとき、人は、沢山の事を学ぶ。
それが、瞑想(ディアン}である。 物事の深い意味が判らない内は、心は、いたずらに迷い続ける。
本来、この世は、すばらしくできている。
選り好みが過ぎなければ、本来のすがたが、見えて来る。

 程よい自我(エゴ)は、社会の中で生きるには、役に立つ。
それが可能なら、自我をつかっているものとは、誰だろう?