2006年2月28日火曜日

Joy(その2)

 人々は、不幸なときだけ、宗教的になる。 幸福な人には、宗教はいらない。瞑想は、自ずとついて来る。

 幸福が基本的な条件となり、全宇宙が、すべての存在が寺院となる。 人の性格でさえ、本来の自分ではない。 自分が、育て上げ、作り上げたものだ。 意識と言う次元に入ってしまえば,性格などと言うものは、超越されてしまう。でも、そうなったら、自分の性格を、もっとうまく使うことが出来るのだ。

 生きている事は、理屈や理論ではない。幸福を生きる人は、その事を知っている筈だ。だが、幸福な人は、幸福の事等、知らないし、自分が幸福だ等と思ってもみない。
 性格ですら、本来の自分ではない。自分が、育て上げ、作り上げたものだ。そして、意識と言う次元の扉が開けば、性格など超越されてしまう。
そうなったら、そうなったで、性格をもっと、有効に使う事だって出来る。

 瞑想は、いわゆる、信仰の宗教ではない。むしろ探求者のための道と考えるほうが、自然である。瞑想は「理解」のための宗教だ。勿論、人が信仰の宗教に在ったとしても、問題は何もない。だが、よい宗教は、よい文化をもたらし、多くの人を少しは幸せにすることも出来る。

 幸福な人には、宗教はいらない。瞑想は、自ずとついて来る。