2005年12月25日日曜日

マナ。



 マナと言う言葉は、インドにも、メラネシアにも、ポリネシアにもある。
霊力、呪力、宗教の原初的機能、そして、心の事をも言うそうだ。
日本にも、マナと言う言葉があるが、中国の言葉ではなさそうだ。
元々は、ムー大陸の言葉であったそうな・・・・。

 マナは「愛」とも「真」とも書ける。意味は「可愛い子」、「いとしい女」と言う意味が一般的だが、人を表す名詞について、「大切に育てる」とか、「可愛がる」と言う「意」を表したり、又、褒め称える気持ちを添える接頭語となっている。

 旧約聖書出エジプト記にも、イスラエル民族が、荒野で神から与えられた食べ物を「マンナ」と言う。日本でも子供の言葉に、食べ物の事を「マンマ」と言う。

 又、「マナイズム」と言うと、超自然的な力、「マナ」を信奉する原始宗教、例えば、日本、ネィティヴ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニ、タイのピー信仰や鳳凰(インドではハムサ、タイではスワンナホーン、即ち、ブラフマ,創造神の乗り物)、ヒンドゥー教、チベットのボン教、マレーシア、インドネシアの精霊信仰にも見られる。

 日本の香道に於いて用いられる香木の一種にも「真奈賀」(マナカ)と言うものがあり、マレーシアのマラッカに由来すると言われている。一度味わってみたい。

 まだマナカと言う言葉がある。日本語である。
「真中」(マナカ)と書くが、芯、真ん中の事。
物事の中心となる、最も大切な部分のことを言う。
今では、「真ん中」と言う言葉に変化して、日常用語になっている。

 「末那識」(マナ識)は、仏教用語で、サンスクリット語の「マナス」から生じた。
それは諸感覚や意識を統括して、自己(真我、アートマン)と言う意識を生み出す心(マインド)の働きの事を言う。
ヒンドゥー教でも最も大切な部分の一つ。
仏教に於いては、唯識思想の一つとされ注目されている。

 又、北欧の古代語ルーンに於いては、「マンナス」は、自己の事を言うそうである。
そしてもう一つ大切な「マナ」がある。

 古代の日本からつたわる「真奈霊」(マナビ)と言う、スピリット、霊がある。
「真奈霊」(マナビ)と言うスピリット、霊に問う事、伺いをたてる事、から「学び」そして「学問」と言う言葉と事になったと言われる。
本来は宗教的な事だったと、思いを深める次第。

 又、英語のマン(Man、つまり人間)と言う言葉の語源にもなっているそうだ。勿論、駄洒落でなく、根拠のあることだそうである。マナーもそこから生じたに違いない。

 源を辿ると、多くの枝葉が延びる大きな樹に出会えたような気がしてくる。
そこから、花も実も生じてくるかもしれない。
運は自分でクリエィティヴになって、初めて、開き始めると言う。
又、新たな枝葉が生じてくるかもしれない。