2005年12月10日土曜日

點心


中国に「點心」と言う言葉がある。日本なら「点心」と書くところだが、中国では、點心と書く。
その言葉は、「禅」(中国では、チャン、と言う。)から生まれたそうだ。
禅の修業の合間にとる茶菓や、スナック(軽食)の事だ。
その本来の意味は、「心を晴らす事」。

ダルマと言う、サンスクリット語には、「宇宙の法」と言う意味の他に、「解き放つもの」、或いは「解き放つ事」と言う意味もあるそうなので、意味は近い。

瞑想の合間に、一息入れて、茶菓を楽しむ。
このことが、アクセントとなり、きっかけともなって、相互的に瞑想の意味を深める。

野球でも、ゴルフやテニスでも、ボールを「芯」で捕らえると、例え、結果が上手くいかなくとも、気持ちが良い。
その時の音、手を通じて心に届く感触。実に素晴らしい。
結果が上手くいかなくとも、次のチャンスに対する、意欲は衰えない。
その芯を、普通、スイート・スポットと言う。

「芯」と言う言葉は、草冠に心と書く。
草木で言えば、成長する中心で、一番伸びる部分。
何事にも、芯と言うものがあり、芯を外すと、物事は上手くいかない。
人の芯は頭ではない。人の芯を意識と言い、そこから、「心」が生じてくる。思考もそこから生まれ、体の健康にとってもとても重要な事である。
Sound mind in sound body.(弾む心、響く体)。

瞑想にも、スイート・スポットがある。
俗に「キマる。」と言う。
「キマっている時」は、何事もリアルで、素晴らしく見えたり、感じたり、満足する。
人生の醍醐味を感じてしまう。

実際、人が生きると言うことは、実に大変だ。
それは、心を生きることに他ならないからだ。
人の心と’いうものは、取りとめがない。
きくばり、配慮、、思い、欲望、計画、分別、そして、夢や希望。
そして、悩みや苦しみ、悲しみもそこから生じてくる。

時には、點心を打つ。
それがどんな形であれ、「心を晴らす事」は、心を生きるものにとって最も重要な行為である筈だ。
好きなことをするも良し、おいしいものを食べるも良し、それぞれの人が、それぞれのやり方なり工夫なりで、點心を知って欲しい。