2005年12月29日木曜日

「南の島に龍を見た」


 「南の島」と言う呪文に抗し切れるものは少ない。私もその一人だ。
少なくとも年に一~二回は何処かの「南の島」を訪れる。
もう、何十年も続けている。
何の為?
勿論、楽しむ為だが、自分の体、意識、頭をリラックスさせ、最高の状態をリクリエイトする為である。

 南の島に限らず、美しい自然環境や楽しい体験に溶け込む事は、頭も身体も老化させない知恵である。そこで、自由に呼吸することは、人生を豊かにする。

 島にいる間は、することは何もない。
何もしない為にやってくるのだ。無為(ウー・ウエイ)とは、何もしないことを通じてものごとの邪魔をせず、自然に、起こりやすくする知恵。「気」を生きると言う事なのだ。 

 様々な香りがいりまじりったモザイクのような空気の香り。
静かな波の音。
空と海の色が脈動し、人の意識を'刺激する。

 海は大きく、偉大である。海は一つ。
全ての川よりも低く、あらゆる川を受け入れる。そして、常に、水平を保とうとする性質がある。
どんなに騒がしく、忙しく流れる川も、いずれは海に変わっていく。
そこに心の偉大さを見ることができる。それは、柔軟さ、受容性、謙虚,寛容なのである。

 暑くなれば、蒸発して雲となり、いずれは雨となって、地上に戻ってくる。
極まれば、間欠泉のように、天に向かって吹き上げる。
自然のなかで、天地を巡る物質は、水だけである。

 何キロも続く、白い砂浜。僅かに、数人の人影。
椰子の葉陰を通る、強烈な日の光を浴びて、燃えるように、色彩がきらめく。
暑い! だが、気持ちが良い。
あらゆる方向から聞こえてくる、野生の鳥ややもりの鳴き声は、ここが楽園である事を主張する。
ブーゲンビリア、ジャスミン、オーキット、名も知れない美しい花、野生の植物。
鮮やかな色彩と動く花のような鳥が辺りを自由に飛び回る。
何度、体験しても嘘みたい。
甘美な南国のフルーツ、野生のスパイシーな食事、ココナッツ・シェイクに冷えたミント・ティー。

 南の島を実際に見るまでは、窮屈な世界にいて、もしかしたら、本来のこの世と'いうものは、こんなものではないのではないか?
本当はまったく別にあるのではないかと内心思っていた事が見事にあたってしまった。

 暑くなったら、木陰のハンモック。そよ風と心地よい音楽があれば、十分。
ジョージ・ベンソン辺りがいい。
一服しながら、くつろいでいるうちに眠ってしまった。
ある人は人は眠る為に眠るのではなく、活動する為に眠るのだと言う。
確かにそうかも知れない。良い眠りは、力を取り戻す。

 目を覚ますと、沈む夕日が世界を赤く変えていた。
何処からともなく、程よいボリュームで聴こえてくるのはストーンズ。
曲はブラウン・シュガー。
粘っこい、ダークなビートが安心感を増す。なかなか粋な計らいだ。

 すでに日はえんぽうくの島影に隠れようとしていた。
そのうち、空も海も、素晴らしい色合いになってきた。深い赤から、タンジェリン(濃いオレンジ色)、そしてパープル(紫)のコントラストが美しい。

 自然が何よりも凄いのは、物事の法則(ダルマ、タオ)に従って動くからだ。
自然は、ただそこにあるだけなのだ。
あらゆる創造性は、一つの全体から生まれる。
全てのものが一つの全体である以上,敵も味方もない。

 と、上空に変化が訪れた。
光の具合か、空気の密度のせいかはわからないが、上空に龍(ナーガ、ナカ、ナークと色々な呼び方がある。)が天に向かって上昇していくような情景が現れた。
まるで、ブータンの国旗のようだ。
風の具合なのか、龍はうねうねと、上昇しているようだ。

 我を忘れて、龍を眺めているうちに、自分の内なる龍(クンダリーニ)も、シンクロして、上昇を始め、第三の目(シャンブー、アジナーチャクラ)にまで届き、甘露は溢れんばかりになる。
体中が妙薬(エリクサー)でウルウルになってしまう。

 龍にちなんだ中国の古い詩がある。
「太陽と月の栄光えお得たものの運気は、風と雲とが織り成す高みへと延び続ける。
幸運の煙は、宝物殿に漂い、輝ける月は、黄金のベットを照らす。」とある。

 もうじき,フル・ムーンだ。