2005年11月21日月曜日

「賢いカラスは、黒く化粧をする。」

 ユーモアとは、単なる笑いを呼び起こすもの、と言うよりは、物事から、一歩引いた余裕から生じてくるものの見方である。
状況によっては、世界は何と冷たく、悪意に満ちているのだろうか? と、見えることも少なくない。

 「賢いカラスは、黒く化粧をする。」と言う「面白い」話がある。
これは、島崎藤村の「藤村かるた」にあるそうな。
無理矢理、黒を白くさせて、表向きを,なんらかの都合に合わせて生きようとするのではなく、黒をより黒くする。 
本来は、何も問題が無い。
 
 世間的、一般的には、まだ旧来の観念、白を善、とし、黒をそうでない物とする、何の根拠も無い、「風潮が容認する常識」に合わせると却って、おかしな事になってしまう。
自分が自分である事を忘れた時、その人は、最もその人らしくなる。
そこから、自由が生じてくる。
部分の延長よりも、ここでは、トータルな理解がたいせつだ。

 もしも、この世に闇が無かったら、どんな世界が想像できるだろうか?
闇があって始めて、光と言うコントラストが生じてくる。闇と言う次元が無かったら、光と言う言葉も認識もあろう筈がない。
気ずいた事があるだろういか? 
昼間、空を見上げても、星は見えない。だが、実際には、昼間であっても、空に星はある。 
あたかも、昼間の空の星は、「昼あんどん」のようだが、太陽の光が強いので、昼間は目には見えなくなってしまう。
夜になって、太陽の強力な光が、裏側に周って、背景に闇が現れ始めて、初めて星の煌きが見えてくる。昼あんどんが、輝きだす。
闇あって光あり。

 闇がなく、光だけがあるとしたら、光を光として感じる事もなく、文明も、文化も、宗教もなく、芸術も、知性も、愛もなく、工夫も夢も無い世界。
はたして、そんな世界に、生命が、存在出来るのかどうか、も疑問である。

 タントラ(インドの、インナー・サイエンス)に依れば、知性も英知も知恵も、闇の中で成長する、と言われる。一方で、この世に、光が無かったらどうだろうか? これまた大変な事である。

 植物も昼間、太陽の光を得て、光合成して、オーストラリアのアボリジニの長老の話によると、夜になって、成長を始めるのだそうだ。

 幸いにも、この世は、光と闇の両方が、実にバランスよく存在している。 
何とうまく出来ていることか? 光と闇とが戦うことは無い。
昔の日本の言葉に「カゲ」と言う言葉がある。これは、光と蔭の両方を一つの言葉で言い表した、正に宇宙的リアリズムに溢れた、素晴らしい言葉だ。
 直心蔭流とか、新蔭流といった剣術があるのをご存知だろうか? 
「カゲ」と言う、真髄から生じたからだそうだ。

 「面白い」と言う言葉には、色々な意味があって、芝居の役者が、顔を白く塗って、演技をして、それが「面白い」と言うことになったらしい。 
或いは、趣が深い、興味をそそられる、と言った意味がある。
目の前が開けてくる、という意味もある。

闇の重要さが判ると、この世は、益々「面白い」。