人それぞれに思考があり、志向もあり、意見がある。
それぞれの意見の違いは、頭の問題、知性、視点の違いでもある。
それぞれの立場や状況、或いは、言語の違いがあり、多少の違いがあって当然。
同じだったら、まるで奇跡のようだ。
好みの違いについては、タオイズムに依れば、「人の立つ所、その人の座る所に依る。」と言われるとうり,在り方に関わってくる。それこそ百人百様。
性格も趣きも、体質の違い、年齢の違い、男女の違いと言う事もある。
違いがあるから、世界がある。
違いが無ければ、世界は無い。
だが、それは心や存在の次元では本来関わりがない。
意見の違い、好みの違い、人それぞれに、理由と言うものがある。
大切な事は、全部、ごっちゃにしない事だ。
太極的、或いは、仏教、ヒンドゥー的視点に立てば、全ての生きているものは、一つのエネルギーから分かれたもの。
トータルでは、一つのスピリット、大きな一つの生命力。
全ては一つである。
だからと言って、ごちゃ混ぜにしてしまったら、あらゆる、障害や問題が必然的に生じてくる。
無理矢理、なんらかの理由や都合でかき混ぜてしまったら、その問題が内なるものか、外なるものかを問わず、まだ未熟なままのエネルギーを放出してしまうことになってしまう。
ごちゃ混ぜにしてしまう心理とは、無知、或いは一つの狂気。 あまりに粗雑。
例えば、何らかの圧力に反発して、手当たり次第に、あちこちへとぶつかって行く、何か漠然とした、不満、無明の不完全なエネルギーが原因だと思う。
これは、周囲にトラブルや問題を起こしたり、問題をより大きくしてしまう。
何らかの、隠れていたものが、自発的、自然に現れたときには、気ずきや冷静な判断で、自ずと解決出来るもの。
「上善は、水の如し。」(老子の言葉)。
心をいきる人々には、頭の違い、好みの違いは、それほどの問題とはならないと思う。
人の「インナー・マンダラ」(内的宇宙、人の身体の微細なエネルギー・システム)をご存知だろうか?
タントラ・ヨーガに於いて、重要な事は、呼吸。
立っている時、座っている場合、運動している時、手を挙げたり、拡げたりする時、呼吸の質も変わる。人の感情、感覚は呼吸によって左右される。
自然でゆったりした呼吸は、感情にも、身体的にも、又、環境にも左右され難い。
一方、不規則で、緊張度の高い、浅い呼吸からは、憎しみや怒りの感情が現れやすい。
スポーツや運動については、身体中のエネルギーが循環していて、空性が十分にいきわたっているので、問題がない。
暫く、休めば、また、もとの静かな呼吸に戻れる。
タントラ・ヨーガと言うと、性的ヨーガと思われる方も多いと思うが、それはチベットの歓喜仏、カジュラホやカトマンドゥーにある、ミトウナ(男女交合の彫刻)に代表される。
それらの交合図は、男女と言う、二人の人間をモデルとして、「不可分の一体性」(不二なるもの)を、そして、空性の理解と知恵を現したアートと言える。
又、同時に、陰陽と言う、太陽エネルギーと月のエネルギーとの、不二なる一つと言う状況(昼と夜とで一日なのだ。)を現している。
二つのエネルギーは、微細身と言う、肉体にオーヴァーラップして存在する、目に見えない身体のシステム「インナー・マンダラ」に流れている。
スピリチュアル・ボデイ(霊体)と言ったらいいだろうか。
そしてその二つのエネルギーがうまく出会うと、光がともる。
二つのエネルギーの出会いは、本来、原初の境地として、生まれつき、潜在的に万人に備わっているものとされる。
中国のタオイズムに見られる、陰陽のマークも本来、不可分の一体性と相互依存性を現している。
それは、原初の次元から、元々、ひとつと言われる。
インナー・マンダラは三つの要素で構成される。
一つ目は、呼吸と共に、微細身と言う次元に入り込んでくる、「プラーナ」、或いは、生気、神気(この言葉は、杉田玄白の創作と聞く。)と言う。
そして、二つ目は、そのエネルギーの通路。これを「ナディ」と言う。経絡と言うところだ。
三つ目は、エネルギーの最も重要な形、「クンダリー二」、或いは「ビンドゥー」(ポイント)と呼ばれる。
プラーナとクンダリー二は意味も形も異なるが、別々のものではない。
互いの相乗効果で、、互いのエッセンスとなり、相互依存で成り立っている。
丁度、現代の波動力学において、波動と粒子との関係に似ている。
それは、見る人の視点によって、見え方に違いが出てくる。
余談になるが、音はサンスクリット語で、ナーダと呼ばれるが、ナディとは、波動的に共通性があるからなのだそうだ。
言語的にも近いわけだ。
クンダリー二(インナー。マンダラに入ったエネルギー)からは、七つのメイン・チャンネル(チャクラ)と、補佐的に72000もの、マイナーなチャンネルがあると言われる。
それは、丁度、人の身体を樹に例えると、頭を根にもつ、逆さまの樹のようだ。
プラーナと人のマインドがリンクすると、エネルギーは、集中する事を通じて、マインドが焦点を合わせたところに集まってくる。
同時に、人のマインドもバランスがとれ、プラーナと一体化してくる。
呼吸と言うものがいかに大切か、お解かりいただけたと思う。
また、プラーナが、脊髄の中を通っている、意識(純粋意識、シヴァ神に象徴される。)と繋がると、クンダリ-二はより力を得て、二元性を越え、覚りなり、光明なりが、リアライズすると言われる。
2005年11月19日土曜日
エッセンス(その2、インナー・マンダラ)
時刻: 16:34