思い起こしてみると、私が瞑想を覚えたのは、バイク(モーターサイクル)とフライ・フィッシングを通じてであった。フライ・フィッシングとは毛鉤釣りの事。両者を楽しむうち、その奥の深さを知った。釣り道具をバイクの後にセットして、山の渓流を目指す。
只、その事だけで、気持ちは昂ぶってきた。
釣りに出かけるときは、常に朝が早い。
朝が早いと、気分もさわやか、又、期待で気もちも,充満してくる。
バイクのエンジンを掛け5分程、ウォームアップ(暖機運転)して、オイルを循環させる。
ドロドロドロ・・・・・と言わせながら、エンジンが、目を覚ますのを待つ。
エンジンが温まった所で、軽くエンジンを,ふかして見る。
調子がいいときは、殊更、フーン、フーンと軽く小気味よく吹き上がる。
持ち物をチェックしてから、バイクのスタンドを外す。フロント・ブレーキを掛けながら、サスペンションの動きを見る。しっとりとした良い感触が伝わってくる。
クラッチを切り、ギアをローに入れる。カチッとした、クリスピイな感覚が、何も問題がない事を告げる。
そろそろとクラッチを繋げ、スタートさせる。エンジンは暖まっても、ギア周りはまだ冷えている。
ムリせず、2-3KMくらいは、低めのギアでゆっくりと馴染ませるように走る。
この位の配慮をすると、バイクは調子を崩しにくく、又、長持ちする。
バイクの妙味は、気配り、バランスそしてタイミングだ。
日帰りのつもりでも、やはり旅は旅。
何が起こるか判らない。
何事も無く、無事で戻ってこれれば、最大の成果。
そのためには、覚醒をもって、リラックス。
エンジンの暖気運転が十分になったら、無理の無いスピードに上げ、道の交通の流れと一体になる。別に急ぐわけでもなし、急ぐんだったら、少し早めに出発すればよい。
周囲の交通と波長を合わせれば、、疲労も少ない。
緑が多くなってくると、交通量も次第に減り始め、空気も次第に瑞々しくなってくる。
風圧を丁度よくしようと、スロットルを緩める。 無理せず,楽にこなせるスピードがいい。
何事もそうだが、釣りを始めた頃、子供の頃というのは、何事でも目的指向がどうしても強くでて、何が何でも、魚を釣らなくちゃとの思い込みが強く、様々な仕掛け,様々な毛鉤、ありとあらゆる技法を試してみたいものなんだ。
ある時。朝、数匹釣って、一服している時、水の煌きが創り出す、水面の模様の美しさに気がついた。
せせらぎの水の音は、この上ない音楽となった。 水面に映った風景を清流の波が、端からフェイクしていく。
蒼い空には、ぽっかりと雲が漂い、おちこち(遠近)の森の中からは、リラックスした鳥の声。
空気は、濃密であった。
何事も無い。
何が起こったんだろう? と、思った。
無心が起こったのだ。
意識がおおきな拡がりを見せた。
これは、更なる楽しみ方を学び、しかも悩みが少なくなるという事でもある。
只、そこにいるだけで、十分だった。
他には何もいらなかった。
水の中を凝らして見ると、何匹もの、鱒や山女魚が岩陰や瀞で休んだり、餌の虫や羽虫を待っている姿が見えた。
大きいのも小さいのも、素晴らしい、姿と形、そして色彩を持っている。
いつしか、釣る事を忘れ、只、そこにいる事、「只、在る。」と言うことが、リアルなこととなった。
只、自然の豊かな環境でゆったりとする事が、何にも増して素晴らしいと覚えた。
余談になるが、オーストラリアの中心部に、エアーズロック、現地名でウルル、の近くの砂漠を散歩していた。360度,まっ平らな地平線。日本人にとっては、インド、アリゾナ、アフリカの砂漠同様に、不思議な景色。その近くに直径5-6M程の小さな池、水溜りがあった。底が岩盤の故か、水が溜まっている。そして、そこに、魚の一群が住んでいた。何処から、どうやって、この砂漠の真ん中にやってきたのか? 出来ることなら、もし、魚がわいてくるのなら、その瞬間を見てみたい。
この世は不思議なことが沢山在る。
話は、もとに戻るが、時には、釣り道具は、持って行くものの、現場に着いてからも、道具は、バイクにセットしたままで、気に入った場所をみつけては、ただそこにいることを楽しんだ。
このことが、瞑想の始まりだった。
なにか、初めて、自分の家、住みかを見つけたかのようだった。
ネパールのヒマラヤのどこかの渓流には、日本のアマゴが放流されていると聞いた事がある。
私はまだお目にかかっていないが、いつか、出会える事もあるかも・・・・・・・。
最近は、あまり釣り三昧は無いのだが、3年前「2002年)に、カシミ-ル(北インド)に行って、釣りをした。シュリナガルのの近くの川、奥地の海抜5000メーター以上の高度に在る、ヴィシュヌ・レイクと言う山上湖の近くの川で、合わせて、数十匹もの、鱒「レインボウ、ブラウン、ブルック)を釣る事が出来た。
カシミール流の釣り方も覚えた。 今度は日本や、マレーシアでも楽しんでみたい。
話によると、時には、年に数ひきらしいが、一メーターを越すものがあがると言われる。
さすがに一メーターは、ムリだったが、延べ五日に渡る粘りの故か、80Cmもの、大物を上げることが出来た。日本ではまず見られないサイズだ。
思い出すほどに、自分のなかで輝きだす。
空気も濃密になってくる。
2005年11月17日木曜日
フライ・フィッシング。
時刻: 18:17