2005年11月12日土曜日

時(その3、時の裏側}

 時に働きかけるとき、全面的に宇宙と対峙するだけでなく、流れを押し戻そうとしたり、無理に何かをしようとするのでもなく、行為、或いは、努力を少なくする事で、物事が起こり易くする。
これを、タオイズム(老子の教え)では、無為(ウー・ウェイ)と言う。

 その意味は、する事から,「在る」と言う事へ・・・・、作られた時間から、作られていない時間の処女地への、次元への変容なのだ。

 自然の流れに逆らえば、私達のエネルギーや、集中力は、減じてしまい、逆らわなければ、そしてくつろいで物事を起こらしめることで、パワーをチャージする事も出来る。上善は水の如し。

 もし、今、寛いだままこの瞬間を信頼し、今日一日、「日」にも自由を与えてみる。慣れないうちは何か不自然だが、やがて物事がスムースに動くような感じがしてくる。時の性質に変化が訪れる。無為(ウー・ウェイ)は、時にも、異次元があることを'きずかせてくれる。
 何事もないとき、そよ風、川のせせらぎ、鳥の声、花の声、虫の音楽、日の光、空の力、月の光、夜空の力、全てが力となる。自然で無限の力が次第に帯びてくる。

 時は濃密になり、知覚はきめ細やかになる。自分の感覚で自分のリズム感を感じると、生と時とがシンクロして一体感が生じてくる。始めて体験できた時、奇跡のような気がしてくる。ハーモニーが生ずると、風すらも体を通リ抜けて行くかのようだ。そして、自分本来のリズムにきずく。一瞬一瞬、リズムはリアルで、まるで預言者のようだ。それは、人の意識を目覚めさす。自然の奥深くとシンクロナイズする事が、瞑想の目的だ。

 そのパワーは穏やかだが、環境をより自然に、好ましいものにしてくれるようだ。時には、宇宙を内側から触れているかのような感覚、そして知覚の喜びを知る。