2005年11月11日金曜日

時(その2)

 多くの人々にとって、真実とはある意味で、恐れている何かかもしれない。
恐れている人は、様々な理由で、又、無意識の内に、時間のスケジュールを「力」の源にしているからかも知れない。そして、いずれは、自己の存在の核に触れるのを恐れているからかも知れない。
無意識のうちに、恐れげもなく、必要に応じて、しばしば、スケジュールを加算する。
そのパターンに入ってしまうと、ストレス社会は、ますます蔓延しつずける。

 「今」をクリエイトする事は、つまり「無時間の間」を持つ事は、いかに私達が、必要以上に、自分達にプレッシャーをかけつずけているかが、明らかになる。そこで、私達は、自分の時間を再調整する事ができる。

 もし、「今」をクリエイトしようと思ったら、日常的な動きの中でも、できる事は多い。
たとえば、車を運転していて、信号待ちで渋滞している時、或いは、切符を買うために長い列を並んだりしている時、如何に、自分がつまらない事にいらいらさせられかに、注意する。そして自分にこういい言い聞かせる。「今日は、今を、無時間を楽しもう。」 腹が座ると、いらいらはおさまり易い。
 
 或いは、これは、チベットのマントラ(呪文)だが、只、「アー」と言う声を出して腹から体中に響き渡らせる。これは、体中の。気のエネルギーを循環させるマントラで、気分は、軽くなり、そして落ち着いてくる。実に簡単で、馬鹿げているようにも見えるけれども。効果はある。

 近くにかわの流れや海岸の傍だったら、水面に映る空や雲、或いは水の動きを見つめてみる。
静寂なひと時は、自分の感情と環境とを融和させる。これは、ある種のブレーク・ダンスだ。

 もしそんなことで、自分への自信が取り戻せたら、より時間を自由に使う事もできるのである。その為には、自分の長所も弱点も知っておきたい。
場合によっては、自分の弱点は、英知の隠れ蓑だったりもする。
少なくとも、前進したことに間違いはない。
自分自身と融和していれば、葛藤に」時間を浪費する事もない。

 どんな些細な事でも、楽しみや喜びは、つらい時ほど、ベストであり、自分のバランス感覚をチェックできる。もし、ある行為、或いは無為(ウー・ウェイ)が楽しみとなれば、自然なバランス感覚にフィットできるのではなかろうか?

 楽しく、物事を行っている時、自分にとっては、いつも正しいと思えてくる。いやいや、渋々と行っている時は、失敗が多くなる。楽しみは何も特別なものではない。ただ、物事を楽しむには、バランス感覚がじゅうようなのだ。
相互依存的に、楽しみのシナジー効果として、良いセンスがクリエイトされる。

 多くの人が、きずき始めている。自分が楽しんでいる時、「時は飛ぶ」事をしっている。  
人が無心にある時、時は飛ぶのである。