きずいたことがあるだろうか、太陽や月や星、勿論、地球も含めて、いかに存在しているのか? それは,背景に「無限の空」と言う空間があるからなのだ。空間なしでは、なにものも存在し得ない。 空には、形がない。目にも見えないし、何処から始まり、何処で終わるという事もない。そして空には外側がない。
子供の頃、今もそうだが、空を眺めている時、星や月や太陽の背景にある、無形のものの神秘に夢中になった。何時しか、形あるものから、形なきものへとスタンスが変わり、形あるものを全てのアングルから見ることが出来るようになり、新たな視点が生じて来る事に気がついた。それは、全ての条件付け(コンディショニング)や、自分の拘り(こだわり)抜きで,知覚や形の理解力に直に、しかも自然に繋がる事であった。
別の視点(タオの視点)で見てみると、空性のエネルギーからスピリットは生じ、その空性のスピリットから、様々な変容が起こってくる。そして、空性に於ける変容から、様々な現象が、現れてくる。
全ての物事の源は「原初の空性」にある。それは、空と大地に存在する。しかし、それは、何の方向性も持たず、特定の場所にも縛られていない。「原初の空性」そのものは、エネルギーでもなく。又、形も持っていない。
現象として現れたものの内、クリアなものは空となり、濁ったものは大地となる。
二つに分かれた後、そこから、人間性が生じてくる。つまり、人は、クリアなものと、濁ったものとの両方で成り立っている。そして、当然、「原初の空性」も内包されているのだ。
もし、純粋で、本来の気性が、「空性」(ひとつなるもの)と一体となり、丁度、マインドが無心の状況にある時の如く、濁ったものもクリアになって行く。そして、そこで、スピリットは輝き始めてくる。
この天の働きを人が知るとき、スピリットも、影のスピリット(例えば、先祖の霊)も支配する事が可能となる。そして、陰なるもの、陽なるものの神秘的な働き、それに加えて、千万もの物事を理解することが出来る。即ち、不滅性(イモータリティー)は、空性を育み、耕すことをを通じて、クリアなものと、濁ったものとを分別することにかかってくる、と言うことになる。
物事を知るには、知性が必要だが、自分を知るには、知恵が必要だ。知性は形を主張するが、無心の英知は、形のないものにスタンスを置く。そして、形あるものと形なきものとの間に、新たな理解を深めることが出来、世界が大きくなる。それは全くの新次元で、一瞬一瞬、そして、毎日が新しい。
そこから形あるものの美学や,機能のおもしろさ、神秘が倍増したのは言うまでもない。言葉を変えると、自分を含めた、あらゆる条件付けの外に出たことになる。そこは、創造性、クリエイティヴィティの源だ。
2005年11月4日金曜日
エッセンス(その1)
時刻: 23:19