2007年1月31日水曜日

The place I love 2(好きな場所)


 人には、誰にでも好きなことがある。
大人は、皆、嘗ては子供だった。
子供の頃から好きだったこと、物心ついてから好きになったこと、最近好きになったこと。
きっと人には、それぞれ好きなことが沢山ある。
それが仕事になっている人もいる、好きなことを趣味にする人もいる。
大人になってからも、形を変えた好きなことがある。

 人には、生まれながら、時には意識を変えてみたいという衝動がある。
それはちっとも目新しいことではない。
それは、何時の時代でも、どんな人でも持っている、人の本性である。
誰にでも、我を忘れるということがある。
直感の閃きというものがある。
又、何かの折、対立した物事と自分との関係、世界、周辺、時間が変化するということがある。
日常的な現実から、違う現実に入ると、物事の見え方、感じ方に変化が訪れる。
人が好きなことをするには、そのような意識が変化する面も含まれて、或いは、凝縮した何か特別なものがあるのだ。

 文明化された現実という騒々しい世界の中で、人は時間というものを真に実感せず、今、現在に生きていることすら忘れてしまう。生に実感を見いだせなくなってしまう。
そして、過去を思い出し、未来を夢見て、無意識の内に現在を過ごしてしまう。
だが、時として、時間の流れを意識しなくなる瞬間がある。
心理的に、時間が消失する。

 そんな訳で、一人でいることが好きである。
人と一緒にいることが嫌いという訳ではない。
さりとて、孤独ではない。
単独と言ったら善いだろうか。
だが,町の中でも、ヒマラヤでも、海の中でも、ジャングルでもたった一人という感じはしないのだ。
一人でいる時、周囲の自然は、一人でないとき以上に、語りかけて来る。
形の上では、単独だが、現実には、周りの自然、動物、見知らぬ人々が語りかけて来る。
無心になればなるほど、世界が語りかけて来る。何か、恩顧に恵まれるということかもしれない。
所謂、孤独な人というのは、全てを遮断してしまっているので、そんなことは起こらない。

直感は、経験を通して、誰もが知っている。
それは、思考や、理性、知性を超えているにもかかわらず、最もリアルな状況が提示される。
直感の力は、どんな理路整然とした論理や知性よりも、直でしかもずっと正しい。
思考とは、視力が無いことを意味する。
直感は、直に繋がる。

 新たなものを発見したのだ。というよりも、別の次元の扉が開いたのだ。
新たな視力が付いて来たのだ。常に新鮮さに恵まれる。これは、水の中にそよ風が吹き始めたのだ。

 私が好きな場所、其所にいると、自分が好きなこと、好きなもの、心地よさと言ったものがリアライズしてくる。
意識の様々な面を発見するにつけ、より生の深みへと入り込んで行く。

そしてそれは、徐々に広がって行く。