宿に入って、一寸、寛ごうと思っていたら、猫が部屋に入ってきた。
この宿の猫らしい。
初めのうちは、荷物のにおいを嗅いだり、周りを歩き回ったりしながら、こっちの様子をみているのだ。
最初のうちは、照れ隠しってこともある。
だが、猫の直感力の凄さは、人間の及ぶ所ではない。
千里眼かどうかは判らないが、洞察力、観察力は凄い。
体の柔軟さも又素晴らしい。
集中力だって凄い。
鼻は、犬に一歩も二歩も譲るが、視力は、特に夜目の利く事はすごい。
まるで、人間等は無能に思えてしまう。
感のよさは天下一品。
勿論、耳もいい。
猫という生き物は、いろいろな生き物がいるこの世で、牛、馬、象、犬、ロバ、らくだ、羊、鶏といった動物が、何らかの働きをして人に喰わせてもらっているが、勿論、人間もその恩恵で生きている。
だが、猫だけは、鼠避けにはなるものの、何もせず、その天真爛漫なかわいらしさ、愛らしさ、ときには、憎いくらいの賢さで、人のそばに何千年もくらしている。
人の心を掴む達人だ。
時には、人よりもずっとよい生活をしている。
しかも、人間と対等に生きている。
古代エジプトでは、家を守る神にもされた。
下手な人間よりも、身分も高いのだ。
そういう賢さからすれば、万物の霊長だ。
これはと思った客がくると、もう自分の獲物のようにして近寄ってくる。
ただ、餌だけが目的でもない。
この辺りがとってもクール。
新しい人には、興味があるのだ。
好奇心からか、それとも遊んでもらいたいのか・・・・・。
人の波長を量る事が出来るのだ。
もう、チューニングを始めている。
知らん顔しながら、見えないアンテナを出して、感度をあげているのが判る。
きっと、凄いアンプを持っている筈だ。
嫌な人の所には、近寄らない。
私は、気に入られたのだ。
猫にとっては、良い鴨だったのだ。
牢名主には、ツルがいる。
差し入れだ。
近くの店で、ソーセージをかってきた。
もうすでに、ベッドの上で寛いで、毛繕いをしている。
猫は、「買ってきたか、よく気がつくじゃないの、よしよし」
と言っているようだ。
視線を会わせても、眼をそらさない。
波長があったのだ。
しかも、そのエネルギーたるや力がある。
夜、真っ暗な中、猫がいると、眼と脊髄あたりが、ボーッと、或は、ギンギンに光っていることがある。
意識がしっかりして、クリアなのだ。
シヴァ神もびっくりだね。
音楽CDの、川の流れや鳥の声を録音したものをセットして、シャワーを浴びにいき、シャワーが終わってでてくると、もうすやすやと眠っていた。
猫は自然の音がすきなのだ。
これは経験上間違いない。
猫と遊び、猫に遊んでもらう。
猫を観察し、猫に観察される。
言葉を超えた、コミュニケーションが可能と成る。
このプロセスを通じて、人は、様々な、普段使わなくなってしまった面を、回復する事が出来るのだ。
一種のヨーガである。
猫がマスタ−と成る。
それは、普段使わない部分を活性化し、意識と無意識とを繋げる事である。
猫にとっても、嬉しい筈だ。
基本的に、猫は天真爛漫、豊かなのだ。
天衣無縫、無邪気で、悪気など、元々、持っていない。
猫にはかなわん。猫は不思議な生き物だ。
でも、猫はかわいい。
これからも、何千年もそうやって生きて行くんだろう。