雨降りは、かつて、日本では天降り(あぶり)と言ってありがたい事だった。
神奈川県には,大山阿夫利神社というのがある。
それは天の恵み、甘露であった。
南国の、陰影のはっきりした、原色の風景を見慣れていると、雨の風景はありがたい。
何時もの、ギンギンの日差しや埃っぽさ、騒音がまず減る。
何よりも、涼しくなるのが嬉しい。
大地に力がやって来る。静まり返る。
天気が変われば、世界も変わる。
バナナやマンゴーの葉に落ちるザーッという雨音が世界を変える。
まるで、印象派の絵画のように、ぼんやりと、柔らかく、風情を変えてしまう。
からからの、暑い空気が、涼しくそして潤って来る。
ベランダにぶら下がっている蘭の花も笑い始めたように見える。
「よかったねー」と声をかける。
雨には、それなりの美学がある。
ジーン・ケリーの映画に、「雨に歌えば」というミュージカルの名作があった。
雨であろうが、青空であろうが、同じ状況が続けば、そうでない事が楽しみになる。自然も人もバランスが必要なのだ。
喉が渇けば、水が欲しくなる。
自然も人も、相対的に生きているからだ。
朝早くから、雨の中を、人々がはしゃぎながら、雨の中を何処かに向かっている。水煙の中、何か楽しそうだ。
大地に響く雨音で、声はかき消されてしまう。
朝から、集会でもあるのかな。
久しぶりの大雨に嬉々としているのだろうか?
もう、雨期が始まったのかな?
といっても、一日中降る事はまれだ。
1〜2時間、或は2〜3時間降ると、雨は上がってしまう。
だが、あまりシトシトとは降らない。
紫陽花(あじさい)を湿らすような梅雨の雨ではない。
そのかわり、これでもかと言った具合に激しく降る事もある。
時には、滝の中に入ったように雨が降る事もある。
時には、雷が樹々を倒し、圧倒的な雨量が、土をも掘り起こす
傘など何の意味もなくなる。
そうなると、川が氾濫する事もある。
田舎の方に行くと、石けんもって雨の中に飛び出して来る人や子供もいる。
天然のシャワーだ。
大はしゃぎしながら、雨を喜ぶ。
それは生きる喜びだ。それは甘露だ。
日焼けした肌が、雨に濡れてキラキラと光る。
雨は、あらゆる生命を育み、蘇えさせる。
雨が降り終わると、まだ軒下に雫がポタポタとおちてはいるものの、やがて雲間から、青空と太陽が顔を出し始める。
時には、虹が現れる。
もうそろそろ良いかなって感じで、空が微笑みだす。
雨上がりの草むらのにおい、光りのにおい、そして土のにおい。
濡れたところがキラキラ。
風がユラユラ。
テーブルの上に遊びにきたヤモリと目が合った。