波動が、あらゆる形あるものの源泉ならば、色はその視覚的な翻訳だと言われる。
又、色はスピリット・エナジーが、あらゆるものを通し、或は、反響して生ずる振動数だと言う。
共に詩的な表現と知的な表現とに違いがあるが、兎に角、この世には色がある。
それは、素晴らしい。
人の体も、光を放射している。
人の体も、丁度プリズムのようである。
赤外線、紫外線、虹の七色、光が体を通り抜ける時、それを見ることの出来る人ならば、様々な色、
もしくは波動を見ることが出来る。オーラと言う。
クリスタルの中にも、虹を放射するものや、内包するものがある。
しかも、その虹の波が、日によって変化する。
ワークする人によって、クリスタルも変化する。
まるで、生きているようだ。
ある種の石とワークしていると、何時しか自分の霊体に共鳴して自分の光の波動が柔らかくて大
きくなる事がよくある。
当然、クオリテイ、質も変わってくる。
次元に変化が起こる。
それは、とてもハイな気持ちになる。
そして、そこから、また新しい扉が開いていく。
オーラは、人の肉体にオーヴァーラップしている霊体、エーテル体を通して現れると言われる。
時には、オーラは雲や霧のように見える事もある。
オーラを通して、体やマインド、感情の起伏を量る事もできる。
オーラは体の奥深いところの核からやってきて熱や光を放射するからだ。
オーラは我々のライフ・エッセンスをも、無言で表現しているのだ。
それ故、体(霊体も体も)は、頭よりも賢いと言われるのだ。
人でも、花でも、動物でも、植物でも、ストーン(石)でも、性格や行動を超えて「ある感じ」と言
うものがある。
それに気ずくだけでも、世界の見え方に変容がおこってくる。
それは、考えでも、推測でも、理論でもなく、頭はこの場合は無能なのだ。
最初のうちは、細心の敏感さが、要求されるかもしれない。
何故なら、普通、人は肉体は酷使するが、霊体は意識的に使った事がないからだ。
いつか、自分の体が乗り物であることに気ずく頃には霊体(エーテル体)は、より自由に使える事
になるだろう。
形なきものに入り、形を知る。その感覚が見つかれば、自然に寛げるものなのだ。
そろそろ、体(肉体)に戻ろうか。
疲労はとれて、リラックスできたのではないだろうか?
2006年9月9日土曜日
レインボウ
時刻: 18:58