オーストラリアのカカドウー、アリゾナ、コロラド、ニュー・メキシコ、そして、ヒマラヤには、何故かは判らないが、鷲が沢山集まってくる。
多い時には、4-50羽も集まってくる。
波動の高いところ、プラーナ(スピリット)の濃いところは居心地が良い。
その上、獲物も多いのだろう。獲物は、小動物、蛇、だが、やはり魚が好きなようだ。
私も、よく、飽きずに、鷲が飛び、舞うさまを、何年も眺めていた。
飛ぶと言うよりは、浮かんでいる。
他の野鳥や、雀や鳩のように、羽をバタバタさせて、何か、無理やり跳んでいるように見えるのとは、明らかに、違いがある。
巧みに、気流を読み、それに乗る。
ただ、翼を広げれば、浮かんでいられる。
気流がらせん状に上昇する時は、えんを描くように、螺旋に沿って、上昇したり、又、滑空して降りてくる。
まるで、スカイ・サーフィンだ。
とても、美しい。
鷲ほど、美しく飛ぶ鳥は、他にいない。
人はもちろん、どんな鳥にも、真似は出来ない。
それは、無努力だからだ。
僅かに、微調整するだけだ。
まさに自然体。
キマッテいる。
ネィティヴ・アメリカン、チベットの人々も、私同様に、鷲が舞う姿を見ることが好きなようだ。
彼らは、様々な、夢見の方法をよく知っている。
当然、こころの深層と接触することが、容易に出来る。
インスピレーション、トランス、メディテーション。
超自然(これも自然なのだが)な前兆など、何千年もまえから、受け継がれてきた。
彼らは、それらの全てを日々お生活に生かすことが出来る。
超感覚的知覚は、理屈や理論とは、関係が無い。
又、特別な才能でもない。
ただ、自分を無にする、能力と、敏感さ、そして、自然な心が要求される。
何年も鷲を見続けていると、やがて、普通の人には見えない何かが、見えてくる。
テレパシーやシンクロ二シティーは、共有意識から起こると言う。
それは、無意識のうちに、多くの人がやっているにもかかわらず、すどうりして、きずかない部分だ。
そのことに、意識的になれれば、自然と、それらは、リアルなものになっていく。
鷲は、スピリットに共鳴する、神秘的な生き物。
とても、気になる存在である。
2006年8月26日土曜日
Glidelogy(滑空学)
時刻: 16:10