心には,これと決まった形がない。心は,生まれては、また消えて行く。それは,絶えざる思考の流れ。その思考に自分がどのように取り込まれているかを観察してみると、心は判断したり,推理したり,想像したり、空想したりする事ができるが,二つの事を同時に考える事はない。又,時空の限界を超える事もない。
人は、あちこちから知識を集め続ける。真実を知りたい者にとって、知識は時には障害にもなってしまう。知れば知る程、肝腎の気付きが失われて行く。気付きが現れれば、知識は落ち、知る事、知覚だけが、残される。
心にも,当然、本性がある。心の本性というものは、とは言っても、“もの”ではない。心と呼ぶものや思考の彼方に在る。心とは、人が生きるに付いての、肝腎なるもの。心なきは、人に非ずだ。今日は、心について瞑想、探求してみよう。
知る事には、三つの要素がある。まず、知るもの、そして対象、知られるもの、それから、関係性、知る事である。
知る事は,人の本性。それが意識の質というものだ。人が,本来の姿、本来の面目に立ち返れるのは,思考を超えた時。そのとき,“知る”という事を知る。となると,全ての思考は、臨時の借り物という事になる。上着の様なものだ。それは自分の選択であって,自分自身ではない。
知られた事は、知識となり、過去となり、場合に依っては記憶となる。知る、という事を通じて、知る事の意味を知る。真に、知る事を通じて、自己は空間に輝き始める。まず、身体のどの部分でも,全身でも,限りなく広がったものとして見なしてみる。自分の知っている物事の多くは、聞いたこと、思い込み、読んだ事、自分の直接体験以外は、全て借り物だ。借り物が悪い等という事ではない。借り物は,借り物として使えばいいのだ。だが、自分が、本当に知っている事ではない。それは、自分への啓示にはなりえない。そこの所を,ごっちゃにしない事が肝腎。
人の習性として,自分に無いものを補う何かを持っていたいという習性がある。それが普通だ。世間ではそれが普通となっている。真理を知りたいとき、逆説的だが,知識が落ち,思考が落ちたとき、初めて「知る」という事の意味を知る。それが判れば,特に見せびらかす必要はない。物事が起こるに任せる。無心で眺める。静かになれる。
タントラ曰く
“音のただ中で,音に浴する。
例えば,絶え間ない滝の音の中で、
或いは,耳を塞ぎ,音の中の音を聴く。“
音がする時は,耳を通して聴く。
だが、耳で聞く訳ではない。耳を通して,深い所で聴いている。
耳は伝達作業を行うだけだと言われる。
視覚の波動は直線的だが,聴覚の波動は輪の様にやってくる。
音を聴く時は、誰しもが中心になる。全宇宙の中心になる。
何故,中心になるのか?
それは,無音だからだ。中心が無音だからこそ,音が聴こえる。此処の所が大事だ。
その中心がどの辺りにあるかを探ってみると、頭ではない事が判って来る。
それは腹の近くに在る。
寺院で鐘が鳴らされれば、その都度、瞑想者は、自分の中に入って、中心に来る事が出来る。
音を技法としているのだ。
もし、その中心を感じる事が出来たら、意識の転移が起こり、音を聴いていた筈の注意が内側へと転移する。生の中心、初めて、音の中の音、無音性を聞く事が出来る。ストーン意識と言ってもいい。心が何処を彷徨っていようとも、うち外の如何を問わず、此の場所は言葉を超えた素晴らしさがある。 普通、繁華街で,あらゆる音を聴いていて,100%全ての音を聴いていたとしたら,人は発狂すると言われる。人の聴覚は、普段、選択して聴いている。要らないものを切り捨てている。無意識の内に、自律神経が行っている。有り難いね。音は絶えず、幾らでもやって来るが、音が到達しない一点がある。それがあなただ。其所にあれば、あらゆる物事を吟味できるのだ。此の発見は、実に偉大である。しかも5000年もの大昔に、発見されていたという事にも、驚かされる。
そんな意味で、繁華街は、自己発見するには良い環境とも言える。現代では,感覚器官は,扉ではないと迄言われている。感覚器官はむしろ、センサーの役割、関所の役目を行っていて、調節をしているのだ。さもないと、人は発狂する。静かな環境で、何かに集中しているとき、何かに夢中になっている時、時計の音も、気にならなくなったり、聴こえなくなったりする。そのときあなたは、自己の奥深い中心にいる事になる。 目は人間の窓とも言われるが、現代では、実際は視覚も調節を行っているといわれる。脳も、実際には数%しか使用されないと言われる。自分の感覚をリラックスさせる。全てが入るに任せてみる。あらゆる者が、あなたの中心へと向かって来る。
真の心は,無心に在る。四六時中、そこにいる必要は無いが、時には,必要になる。それは、生きている限り、力となるからだ。
2007年2月11日日曜日
心を洗う
“優美なる者よ,遊べ。 この宇宙は、空っぽの貝殻、 その中で、あなたの心は無限に戯れる。“
時刻: 3:35