2006年11月2日木曜日

禅話休題


 何時もの、ラーメン屋さんへ朝飯を食べにいった。

注文するのは,「バーミー・ヘン(汁なしラーメン)」。

おいしい上に,値段もいい。

最近では,味にうるさいインド人達も食べに来る。

スープの代わりに、黒い焼豚のたれ、それにナンプラー(魚礁)を少し、そして、酢の利いた唐辛子ソースも一寸。ネギやパクチも効いている。

これで、ペルフェット。

 東洋のパスタの妙。

複雑なハーモニーが旨さを引き立てる。

宇宙を食べるようなものだ。

程よい,酸味,辛み、渋み、苦み、甘みが調和して、旨味が引き出されている。

現代風の「粋な味」と言っても良いだろう。

そして、旨ければ、当然だが、何時も繁盛している。

日本語の「商売繁盛」の、暖簾(のれん)もぶら下がっている。

 日本からの旅行者に出会った。

「良いですねー、タイは!」

いつもの通り,汁なしのラーメンはうまい。麺も、湯で加減もちょうど良い。

「何が,何処がという事は特別ないんですが・・・・・。」

 「何というか、この空気、雰囲気、寛ぎますよねー。今まで何をしていたんだろう、と思ってしまいます。」

「気付いた時が、誕生日ですよ。」

「なにか、不思議な安心感がありますね。」

「それは、きっと、世界中の誰しもが,望んでいる事ではないのかなあ・・・・・、自分という山を越さない限り、道は見えてこない。

でも、自分という山を越す前に、皆、自分を消耗して、くたばってしまう。生に出会う前に・・・・。貴方は,運良く、それに出あったのかもしれない。

それと、もしかして、呼吸がゆっくりとなってきたのと違いますか?」

「確かに,海や島、森林、観光地は、素晴らしいですが、それよりも、何かに注目していない時、そんな時、南国の所為かも知れませんが、生命力が生きていて、其れに気づいたのです。心に、少しゆとりができてきたように思います。身体も心も目が覚めたような気がします。

日本なんかは、割と何処もきれいじゃないですか。だけど、何か、お座なりで、生きていないような気がします。

物質主義、形式主義ですかね。ものばっかり生きていて、人は死んだまま。つまらないんですよ。

ここは、ものではない、何か実質的なものがあるような気がします。本当に、豊かだなと思いますよ。ゆったりとしている。

人々の表情、子供達が遊んでいる様子、子供達の目、南国の気候、蓮の花、緑のジャングル、ヤシの木の森、犬や猫の様子、みんな幸せそうで、初めて美しいものを見た感じです。インスパイアされて、生きる意欲が自然に湧いてきたような気がします。スピリットですかね。」

「人が成長するに際し、法則があるんです。

親や社会、教育、家庭によって、子供の頃から、条件づけられる観念があります。

其れは,何処の国でもそうでしょう。

その段階で、無意識に観念づけられていたら、当然、ひとの自由は阻害される。

「価値観の硬直」が起こってしまうんです。物事の一面しか見えなくなってしまう。

人のマインド、心も、その条件づけに沿ったものになる。不自然ですよね。

環境に依る条件づけ、伝統、習慣、全て自分のものは一つもなく、外部から押しつけられる。

それは、社会的な便宜。本質的なものじゃない。

だが、その社会で生きるには重要な道具となっていますよね。

言ってみれば、鳥かごみたいなものです。

 だが、一概に、鳥かごを非難も出来ない、だってそうでしょ、

一方で、その鳥かごに、守られてもいる訳だから。

物質主義でも何でも良いじゃないですか。ものに罪は無いですよ。

 主義に問題がある。

生は主義とは関係がない。主義が真実を覆い隠す。

主義の中でだけ、主義は生きる事が出来るかもしれない。

だが,現実には、どんなシステムも、哲学も、主義も即さない。

現実に必要なのは、洞察力。

虚構は必要ない。かえって邪魔になる。

主義とはマインドのゲームにすぎない。思い込み、仮説の投影ですよ。

だから、世界中が虚飾におおわれ、それが現実と思ってしまう。

 むしろ、貴方に責任がある。と考える方が、簡単ですよ。

「価値観の硬直」が、一面しか見えなくしている。

生活がマインド・ゲームになってしまった。

 又、便利な道具、合理性が、人の主人に成ってしまうことが起きて来る。

気づかれたかもしれませんが、人のマインドというものは、極端な事に魅了される。

中庸にいたら、マインドは居場所が無くなってしまうからです。

マインドからすると、それが怖い。でも、そこが私の好きな所。

無心は賢いですよ。

一方の極端ではなく、両極を見る事が出来る。関係性も見えて来る。

そこに鍵がある。

それが、本当の世界への鍵。何時も、生き生きとしている。

一度は、鳥かごからでてみたらどうですか?

 その意味では、旅を通じて、本質的なものの一部を垣間みる事が、たまたま出来たのかもしれない。それは自己発見ですよ。

貴方の中から、余計なものが落ちて、マスト(MUST)が落ちたのかもしれない。

旅においては、自分の過去や思い込みを、忘れられますからね。

そこから、再構築を初めても良い。

 粋でなくては、つまらないでしょう。

粋(いき)の源は、ある種の無関心性、無目的、そして遊び心が、表に現れている事、と聞いた事が在ります。ランクの高いお洒落です。

その上で、生,息、意気、行に関与する事だそうです。

一言で言えば、粋(いき)とは、生きるという事です。

 何故そう成ったのか、よく思い出せば、その方法も判るじゃないですか。

マインドも旨く使う事が出来るようになる。ものや道具も旨く使えば良い。

その「こつ」を、利用しない手は無いですよ。

プログラミングされた思考体系から、一歩、進めて、未知へと入っていくチャンスですよ。

 新たな現実と、洞察力が手に入る。本当の自分に出会うチャンスですよ。

それは、本当にかけがえの無い事。

理解が深まると、言葉は忘れるものです。説明するのが大変なんです。

知識も、深刻さも、マインドもね!

でも、こうやって、街に戻って来ると、言葉を思い出す。(笑い)。

いまでは、その事が、両方が面白い!

 貴方は気づいていないかもしませんけど、開放的になっている。

無防備に近く、今、ここにいる。

今、現在という時間の一点は、永遠に触れる事が出来る、唯一のポイント。

唯一、リアルなもの。

そして、「私」という感覚が希薄になっている。頑張っていないからですよ。

 これは、宇宙法則、無心で、受け入れれば、あらゆるものが味方に成るってことで、敵は、問題は、否定性から生じて来る。という事なんです。」

 「このラーメンうまいですねー! 初めて食べました、さっぱりしていて、こくがある。」

「ナンプラーで旨味が増してくる、こんな便利な調味料はないですよ。ほんの一寸の事、なんだけど・・・・・。食べるときは、楽しみながらたべる。食べている事そのものになって、自分を忘れる程に・・・・・。身体はマインドよりも賢い、より、現実的で、真実ですよ。」

「一見,調子っ外れのものも、包括すれば、ハーモニーが起こるんですね。」

 暫く、のんびりしてったら良い。

例え、それが一日や二日であっても・・・・・。

何千、何万のもの生よりも、貴重なものとなる筈ですよ。

開放性を訓練していったら良い。

 ゆったりと休み、目を開ければ、そこは春。

ここは、花がいつでも咲いている、普通の国。

そして、何でも無い国。

貴方が笑えば、世界も笑う。